39.とっておきの三〇-〇六スプリングフィールド弾
いずれにせよ、白色の体毛・体色をもつ獣は聖性をまとい、通常のやり方では射抜けないのかもしれない。
――もちろん丁次にも切り札があった。
カモシカの上着の下につけているラクダのシャツ。特別にファスナー付きの胸ポケットを縫い込み、そのなかにとっておきの命玉を忍ばせていた。一発どころか五発も入れて、ジャラジャラ言わせていたのだ。
丁次は襟もとから手を突っ込み、その三つをつまみ出した。
一見すると、なんの変哲もない三〇-〇六スプリングフィールド弾に見える。
七.六二×六三ミリ――。弾頭が黄銅で被覆され、美しい光沢を放っていた。
じつは内側は純金で作られていたのだ。尖った頭の部分がわずかながらむき出しになっており、先端に空洞があけられていた。黄銅そのものも金色をしているので違和感がない。
この黄金の弾丸は火薬が詰め込まれたあと、厂原村にある神社で祝詞を唱えてもらい、お神酒で清められたものだ。
神主いわく、これをもってすれば、この世ならざるモノさえ打ち破ることができると、太鼓判を押してもらっていた。
力学的に言えば、通常弾である鉛よりも金は比重が重いため、射程距離は伸びず、柔らかい金属なので貫徹力にも欠ける。
しかしながら柔らかい素材ゆえに、着弾と同時に弾頭はキノコの笠のようにつぶれ、内部組織をグズグズに破壊する効果が期待できそうだった。とはいえコストパフォーマンスが悪すぎて、とても量産できるものではない。まさにここ一番で使うに適したホローポイント弾だった。
「小幡、命玉だ! 切り札を使え! 命玉装填!」
小幡老は思い出したように眼を見開いた。そして丁次にウインクし、にやりと唇を吊りあげた。
「……あいよ!」
同じように懐に手を突っ込み、特別な弾丸をつかみ出した。こちらも金で作ったスラッグ弾だった。あわてることなく散弾銃にこめる。
丁次もレバーをあげ、神の力が宿りし七.六二ミリ弾を薬室内にねじ込んだ。
その直後だった。
アルビノの右手が勢いよくブン助に振りおろされた。手のひらで真下に殴られる形となった。
ブン助はかわす余裕もなく、分厚い手のひらの直撃をうけた。
衝撃で偉丈夫の身体が腰まで雪のなかに埋まるほどだった。
丁次はライフルをかまえるまえに、眼を瞠った。
強烈な一撃をうけ、ブン助の首が縮んでいる……。
いや、よく見れば、頭部が首ごと体内に埋没しかけているのだ!
恐るべきクマの怪力だった。ブン助の頭部まで半分に圧縮してしまっていた。これではモグラ叩きそのものだ。
ブン助は手足をバタバタさせながらもがいている。悲鳴すらあげることができない。瞬時にして発声気管まで破壊されたのだろう。
アルビノは振りきった右手を、返す形で横殴りにした。
ブン助は防御することさえできない。頭を殴られると、もげ飛んだ。扁平になった頭部がバウンドしながら丁次のそばまで転がってきた。雪上に血の染みが点々とついた。
生首と眼があった。丁次のなかに同調したひなたは、小型犬のシーズーみたいだと思った。
「小幡、鉄砲、撃け! 生かすな!」
「くそッ……! くたばれってんだ、化け物が!」
二人は同時に発射した。
小幡の黄金のスラッグ弾がアルビノの背中にめり込み、丁次の命玉が眉間に食い込んだ。
おびただしい血煙が舞いあがった。――効いた!
だが白い巨体は倒れない。憤怒の形相で吠え、丁次に向きなおった。
その獰猛な肉厚の手は仲間の血で染まっていた。なんとしても血で贖う必要があった。
丁次は聖なる次弾を真横にしてつまんだまま、眼のまえにかざし、
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・カン ……」と不動明王の真言を唱え、 七.六二ミリ弾に息を吹きかけた。小幡も同じく弾丸に祈りを捧げている。
ふたたび銃に装填。
狂える白いクマが大口を開けて威嚇した。両眼が血走っている。口から白い吐息が盛大に洩れた。山に響きわたり、木霊となるほどの咆哮だった。
丁次は冷徹なまでに心が冷えていた。
自身の扱うライフルにスコープはいらない。視力にかけては子供のころから衰えがなかった。生まれついての狩人の眼だった。
ブナの幹に銃身を依託した。これでブレは軽減される。距離はたかだか八メートル。
照門から照星を覗き込み、狙いをつけた。
間髪を容れず発射した。
命玉は銃身内の螺旋状の溝から加速して撃ち出され、高速回転しつつ一直線に、クマの口の中に吸い込まれた。
後頭部に大きな射出孔をあけ、液状になった脳漿をまき散らした。
油断してはならない。なにせ相手は、山神が地上界につかわせた特別な獣。
丁次はレバーを引いて、銃から排莢させつつも、
「いまだ、緒方!――やれ!」と、叫んだ。
アルビノの真上の枝で待機していた緒方がクマ槍を下に向けた。
壮年の年齢である緒方の身長は一三〇足らずしかない。成長ホルモン分泌不全性低身長症――いわゆる小人症だった。しかしながらその敏捷性は、丁次率いるマタギ衆のなかにおいて突出していた。
それだけではない。命知らずの勇猛果敢な心もそなえていた。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・キャナヤ・バンジャ・ソハタヤ・ソワカ !」緒方はすばやく真言を唱えた。ついで、クマ槍の穂先を真下に向け、飛び降りた。なんと頭からだ。「死にくされ、ミナシロ! 敬太とブン助の分、たっぷり思い知れ!」
緒方は槍ごとアルビノの口のなかに落下した。穂先を喉の奥に突き立てた。
なまじ身体が小さいだけに、直接大口におさまった。
クマは死に物狂いで緒方の上半身を飲み込んだまま、あごを動かした。
小さきマタギの戦士は槍を押しつけ、グリグリとこねくりまわして傷口を広げる。
「緒方!」丁次は三つ目の命玉を握りなおした。
「なんて奴だ。まだくたばらねえとは!」小幡は大胆に近づき、銃口をクマの背中に密着させ、スラッグ弾を浴びせた。腹の射出孔から、色とりどりの内臓と一緒くたになった血がしぶいた。
「あああああああああぐッ!」
緒方がアルビノの口のなかで、声にならない叫びをあげている。
なにを思ったか、手負いのクマは緒方の胴体をつかむと、槍ごと口の奥に押し込もうとした。牙でねじり絞られ、緒方の血が飛び散り、クマの形相がひどいものとなる。さながら歌舞伎役者の隈取のようだ。
アルビノは小刻みにあごを使い、緒方の命を削っていった。言ってみれば、人体をジューサーにかけるようなありさまだ。緒方は短い下肢をばたつかせている。
丁次は三度、命玉をライフルにこめた。
膝撃ちの姿勢でかまえる。
引き金を絞った。銃口が跳ね、黄金の七.六二ミリ弾がアルビノめがけて放たれた。
すべての動きがスローモーションとなる。
弾丸は上胸部のほぼ中央――本来、月の輪がある第一、二肋間にめり込んだ。クマの心臓の位置はそこだった。
着弾すると、ボッ!と音をたて、たくましい胸に白い埃が舞い、たしかな手ごたえを感じた。
緒方を頭から飲み込んだまま、仁王立ちで一瞬動きをとめた。
赤い射入孔が見えた。コンマ一秒をおいて、赤黒い飛沫が穴から迸った。
ゆっくりと、横綱級の大物が倒れていった。
どう!と大の字に倒れ、雪煙が舞いあがる。
「やったか」小幡が言った。新たな黄金のスラッグ弾を装填し、用心深く近づく。
「緒方だけでも救うぞ!」と、胸から新たな命玉を取り出し、ライフルにこめる。
小幡はクマのそばに来ると、散弾銃を突きつけた。
クマは緒方の上半身を飲み込んだまま、ピクリともしない。
念のため、巨大な頭にお見舞いした。
瞬時にして大きな頭部がスイカを叩きつけたみたいに砕け散った。まわりの地面がえらいことになった。
丁次はクマの口をこじ開け、緒方の小さな身体を引っ張り出した。
が、緒方は咬まれに咬まれ、すでにこと切れていた。自身の血かクマのそれか、判別がつかないほど真っ赤に染まっていた。眠るような顔がせめてもの救いだった。
小幡が額の汗をぬぐいながら丁次のかたわらで、
「ミナシロを仕留めたはいいが、その代償、高くついちまったな」と言い、大きくため息をついた。
「仕方なかった。まさかタカスにいたのがミナシロだとは、夢にも思わんかったからな。奴を怒らせちまったら、とても逃げきれるもんじゃあない」
「残ったのは、因果なことにおれたち年寄り二人だけとは……。ブン助の嫁っ子に、どのツラさげて伝えるってんだ? 敬太や緒方だって、親に知らせるとなると、ちょっとした修羅場だぜ。やれやれ、どうしたもんか」と、小幡は言ってブン助の首なしの遺体を見やり、顔をしかめ、唾を吐いた。




