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32.「あなたは欲に憑かれた鬼です!」

「その袋の中」と、丁次は指さした。「人間が入っておるようだな。まさか誰かを誘拐してきたわけじゃあるまいな?」


 アカマツの上の和弘は上半身をそらして笑った。

「さっき、あんたが言ったみたいに、山伏がガキを袋に閉じ込めてさらってきたみたいにか? バカこくんじゃねえ。この()はたまたま山んなかに倒れてたんだ。ちょっと手荒いが、これでも介抱したつもりさ」


「娘だと?」と、丁次が目尻を吊りあげた。

「この山は女人禁制だよ。いったい誰が」治彦は救いを求めるかのように丁次を見た。


「生きておるのか? えらくグッタリしてるようだが」

「大丈夫だろ。猟場へ来る途中の、気味の悪い内臓回廊とやらで見つけた。ちょっと気を失ってるだけだ。そういや、しきりにうわごとを言ってたな。『ハルくん』だの、『治彦』と。――小僧の名をくり返し呼んでたところを察するに、まんざら知らねえ仲じゃなかろう。で、こいつは使えると思ったわけさ。偶然にしては出来すぎだがな」


「おれの名を?」治彦は眉をひそめた。「どういうこと?」

「内臓回廊に倒れていただと? あそこは特殊な空間だぞ。まっとうな人間が入り込めるもんじゃない」と、丁次。かたわらの治彦と顔を見あわせた。


「なんにせよだ。こいつにとっても小僧と運命の再会らしい。――そら、いまからご対面だ」和弘は言って、乱暴に袋の端をまさぐった。袋の口を開き、下にずらした。

 少女の頭部が現れた。まぶたを閉ざし、力なくうつむいている。


「ウソだろ!」治彦は信じられない面持ちで思わず叫んだ。「ひょっとして、皆川みなかわなのか?」

 クラスメートにして美術部員の皆川 ひなただった。メガネを失い、眠り姫のように眼をつむっているとはいえ、見まちがえようがなかった。


「やっぱりお知り合いだったか。おまえにお熱(、、)らしく、あとを追ってきたのかもな。いったいどうやって内臓回廊に入ったのか、ひとつ問いつめる必要がある。少なくとも、あんたたちが歩いた回廊の途中では見つけられなかった。そのあと五分後に入ったおれが発見したってことは、わずかなタッチの差で潜り込んだにちがいない。それにしたって不自然な登場の仕方だ。しかも気絶してることだし。この娘、くのいち(、、、、)か、なにかじゃねえのか?」


 和弘はひなたの頬を叩いた。

 痛みで顔をしかめる少女。わずかだが頭を動かした。和弘は乱暴に袋をずりさげ、ひなたの身体を取り出した。制服姿ではなく、Vネックのカーディガンに、ジーンズの恰好をしていた。

 徐々に眼を開けはじめたが、まだ意識が混濁しているらしく、言葉を発するまでには回復していない。


「つまりだ。この娘は人質ひとじちってことよ。――取引しよう」と、和弘は歯をむいて笑った。ひなたのあごをつかみ、舐めるように見た。ヘビがカエルを丸飲みする直前みたいに舌なめずりした。「なかなか可愛いツラ、してるじゃねえか。それに身体もめすの匂いがムンムンしてやがる。試せばさぞかし味もいいだろう」


「よしてくれ、和兄かずにい! 皆川に手を触れるな!」

「返して欲しくば、『入らず山』へ連れていけというわけか」丁次は両手をあげたまま観念した様子で言った。文字どおりお手あげだった。「昔から思い切りのいいおまえのことだ。やるといったらやるだろう。……わかった。『入らず山』へ行く。おまえを連れていくから、その子は離してやってくれ」


 たまりかねた治彦も祖父に懇願した。

「仕方ない。じいちゃん、行くしかない。おれもついてくよ。皆川が心配だ」


「そうこなくっちゃ。なら、娘には手を出さないでおいてやる。――ただしだ。『入らず山』へはこいつも連れて行く。お荷物になるかもしれねえが、道中、あんたたちにおかしな行動を取られても困るしな。どうせ、娘ひとりをこんなところにおっり出すのも酷な話だ。なんなら小僧といっしょに下山させてもいいが、それはそれでサツを呼び寄せる危険にもつながる。だから四人で『入らず山』へ出かけよう。ピクニックは大勢で行くに限る。だろ?」


「おれとしてはだ」と、丁次は下を向いて暗い声をしぼり出した。「どちらにしたって、『入らず山』へ行くつもりだった。治彦を誘っていっしょに行くにせよ、断られてひとりで行くにせよな。まさか、おまえが後押ししてくれるとは」


「伯父貴、親父がつねづね口癖のように言ってたぜ。あんたは食えねえ男だから、素直に従うものか。が、今日は物分かりがよくてよろしい」

「誰しも年をとると、人間丸くなるもんだ」


「角があるなら、ヤスリにかけて丸くしてやるまでだ」

「そのときゃ、できるだけお手柔らかに頼むよ」

「おおとも。お年寄りは大事にしねえとな」




 そのとき、ようやく皆川 ひなたが酸欠の金魚みたいに口を開け閉めさせた。眼の焦点が合ったのか、治彦を認めると、

「……ハルくん? そこにいるのはハルくんなの?」と、力なく言った。


「皆川! 安心しろ、おれだ。治彦だ。いますぐ助けてやるから!」

「私」と、ひなたがいまにも泣きそうな声でつぶやき、「ハルくんに伝えたいことがあって、飛んできちゃった(、、、、、、、、)また(、、)あの技(、、、)使っちゃったの(、、、、、、、)


 動揺する治彦。眼を見開き、

「ひょっとして、いまの皆川は実体がないのか?(、、、、、、、、) アレ(、、)を使うと寿命を削るから、めったにやるべきじゃないと――」と、叫んだ。


 ひなたは治彦の問いをさえぎるように、

「ハルくん、あの山に行っちゃダメ! あの山には山姫がうろついてる! それに……」と言葉を濁し、烈しく取り乱した。丁次に眼を向けた。「……おじいさん、あなたは猟師がやってはいけない禁を破ってるでしょ! あなたは人じゃない! あなたは『入らず山』へ入ったばっかりに命を落とします! あなたはもう年だから仕方ないとして、お願いだから、ハルくんまで巻き込まないで!」 


 かたわらの和弘は眼を丸くし、治彦もひなたの迫力に気圧けおされた。またぞろ巫師シャーマンの神がかりの眼でなにかを見たのだろう。

 治彦は丁次の横顔を見た。遠慮のないひなたの言葉に、祖父の顔面はどす黒い色を呈していた。まるで死相が浮いているかのようだ。


「マタギがやってはいけない禁を冒しただと? 『入らず山』へ行ったことか?」と、丁次がうめくと、ひなたはかぶりをふった。

「ちがう! あなたは撃ってはいけない獣を、わざと撃ったはずです! あなたはあの熊(、、、)を殺して、内臓を取り出した――。それで山姫に仕返しされます!」

  

 丁次が茫然たる顔つきで前へ進んだ。

「なぜそのことを知っておる? あのこと(、、、、)はマタギ仲間しか知らないはずだ」丁次はうめいて、ホールドアップしていた両腕をさげ、その場に両膝をついた。


 和弘がひなたを脇にどけ、散弾銃を両手保持にし、銃口をひなたの横顔に突きつけた。

「伯父貴、おかしなことをしてみろ。娘の頭がきれいさっぱり涼しくなる」


「あの熊は山の神の化身だった」ひなたは半ベソをかきながら言った。「あなたはほんとうなら、猟をやめるどころか、山へ入っていけないことになってるはずです。なのに、あの事件をなかったことにして、平気な顔でこんなとこにいる。あなたは人じゃない……。欲に憑かれた鬼です!」


「だろうよ。伯父貴、ご指摘のとおりだ。あんたの強欲はこんな小娘を動かしてしまうんだよ。過去になにがあったのか知らんし、なぜこの娘がその情報をつかんだのか見当もつかんが、いずれにせよ、あんたは人として外れてる」と、和弘は言った。ひなたの側頭部に銃口を突きつけたまま、「まあ、この際、あんたの人間性の批判は脇にどけておこう。いまは『入らず山』へ一刻も早く出かけるべきだ。時間が惜しい。――皆川と言ったな、小娘? 『入らず山』へ入ったばかりに伯父貴が死ぬだと? 山姫? 十二単じゅうにひとえを着た姿で、山をうろついてるっていう妖怪だか山の精だかのことか? そいつに殺されるだって? なんでおまえが未来を見ることができる?――おまえの方こそ、人間離れしてやがるじゃねえか。どうやって内臓回廊にまで飛んできた(、、、、、)? おまえの正体と、ここに潜り込んだ経緯いきさつをとっくり説明してもらおうか。しらばっくれるとタダじゃおかねえからな!」


「……わかったから、銃をおろして。ちゃんと順を追って話すから。そうだよね、いきなり山んなかに私が現れたんだから、気味悪がられるのも無理はない」ひなたは片手で制して、喉をしゃくりあげながら言った。

 そしてひなたは、内臓回廊に気絶していたまでの顛末てんまつを語りはじめた。

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