30.「だったら、ここで二手に別れるか?」
徐福は秘薬探索を志願しておきながら、失敗のたびに苦しい言い逃れをした。
しだいに眉をひそめるようになった始皇帝。徐福ばかりに頼るのも時間が惜しいと思い、ほかの方士らにも不老不死の秘術・秘薬を探させた。
さすがの徐福も、次こそ手ぶらで帰国すれば処罰されるだろう。あまりにも多額の資金を食いつぶしていた。
身の危険を感じた徐福と一行は逃亡する形で日本にたどり着き、そこに永住したとも言われている。その子孫が『秦』という姓を名のったというまことしやかの『徐福伝説』が、日本各地に点在するのである。
伝説地はざっとこれだけある。
佐賀県佐賀市、鹿児島県出水市・いちき串木野市、宮崎県延岡市、広島県廿日市市、三重県熊野市、和歌山県新宮市、京都府伊根町、愛知県一宮市・豊川市、静岡県富士吉田市、山梨県富士吉田市、長野県佐久市、東京都八丈町、秋田県男鹿市、青森県中泊町……などと、枚挙に暇がない。
意図的か、海難事故に巻き込まれたかどうかして、大船団は日本列島を挟み込む形で分断していった。
東シナ海を出た船は季節風によって南向きに進む。対馬海流にのれば日本海沿岸、黒潮では太平洋沿岸に漂着する。場合によっては離岸流と強烈な黒潮に引っ張られ、はるか遠く八丈島に流れ着いた船もあった。
諸説あるが、徐福船団は一〇〇隻もの数で押し寄せたのではないかと言われている。だからこれだけの徐福伝説が散らばっているのだろう。それぞれの乗組員がたどり着いた地で、徐福の名を騙ったにちがいない。
徐福が雲隠れしてからも、始皇帝は方士らに不老不死の秘薬を研究させた。
その結果、『辰砂』を基本原料とした『丹薬』と呼ばれる秘薬をあみ出すことに成功した。
しかしながら、主原料である辰砂とは、水銀が硫黄と結びついた『硫化水銀』のことである。不老不死の効能などありはしなかった。むしろ猛毒の水銀を含む丹薬を飲んだ始皇帝は、四十九歳でこの世を去った。ときに紀元前二一〇年のことである。
「蓬莱と呼ばれたこの日本で、徐福は生涯を終えたんだと思う」と、丁次はきっぱりと言い切った。「古代中国では古くから不老長寿を得た仙人のことを『神仙』と言ったそうだ。その神仙は不老不死の仙薬を作り出すことに長けていたとか。――これを中国人が思い描いた妄想ととるか、それともちゃんと現実に存在したモノなのか」
治彦は頭をかきむしった。
「なんていうのかな、モヤモヤしたこの感情。いきなり秦の始皇帝だとか、徐福だとか。わけがわかんない。――そうだよ、まったく雲をつかむような話って、このことだ」と、治彦はお手あげのポーズをして、つばを飛ばしてまくし立てた。
「だろうな。そうかもしれん。結局のところ、徐福は不老不死の仙薬を得たのか、それとも得られなかったのか。――おれは、まんざら妄想ではないと考えをあらためた。それはちゃんと、『入らず山』にあったんだ。おれはついにそれを見つけた。文献を読み漁った結果、そいつの姿形、特徴と合致したモノがあった。いささか食欲をソソらない、奇怪な姿をしてるがな。まちがいない――それは不老不死の食材だ!」
丁次は心ここにあらずの表情で、自身の手のひらを見た。鷹が獲物をつかんだみたいに開き、小刻みにふるえていた。
「仮に」と、治彦は頭をかきむったせいでボサボサになった髪の毛もなおさず、丁次を見あげた。「仮にだよ――人間がそんなモノを食べたところで、不老不死になるなんて、ちっとも現実的じゃない。始皇帝は死を恐れるあまり、おかしくなってたにちがいない。死なない肉体なんて得られるもんか」
「たしかに効能があるのかどうか、道半ばだがな。はじめて『入らず山』へ潜入したのが一九七七年、おれが五十まえのことだ。そのとき、偶然つぼみサイズのそれを見つけ、持ち帰った。そしてちぎってばあさんにコッソリ与え、害がないのがわかるとおれも口にした。五回ほど食べておる。おかげで活力がみなぎったこともあった。この年で性欲も二十代に負けんほどあるからな。だが、口にしてから四十一年も経ってしまった。やはり定期的に食べ続けないとならないだろうが」
治彦は両眼が飛び出るほど見開いた。
「ひどい人だよ、じいちゃんは! ばあちゃんを実験台に使ってたなんて!」
「続きを聞け。――ところがばあさんは棚田から転げ落ち、頭を打って、あっけなく死んだ。物理的な損傷には、とんと効果がないのはこれでわかった。火葬場の釜に放り込む直前、息を吹き返すこともなかったからな。おれの場合は、いまのところ大病を患っていない。毎年の人間ドックの検査結果も問題なし。総合病院の先生方に言わせると、とても九十のじいさまには思えないほど、身体のなかも若々しいんだと。はたしてこのまま病気知らずを続けられるかがカギだな。病気に対して不死の効果があるかはどうか、いまのところなんとも言えん。現実に百歳すぎても健康体のじいさまばあさまは、全国にはいくらでもいる。去年だけで、なんと過去最多、六万七千人もいるそうな」
「正確なデータもそろってないそんな植物を採って、よく食べる気になるよ。ましてやそれをお金持ちの人に売りつけるわけでしょ? 億単位を吹っかける? もし不老不死の効果がなかったら、訴えられるかもしんない」
「とにかく採ることができたら、専門機関に持ち込み、研究させてもいい。トラブルになったら、そのときはそのときだ。――ハル坊、ここでグズグズ議論してもはじまらん。時間のむだだ。おれについて来るのか、来ないのか。二つに一つだ」
「はっきり言って、リスキーすぎると思う。尾根を四つ越えた先にあるんでしょ、その山は? 早く下山しないと、真っ暗になって立ち往生するって。おれたちは明かりも持ってないんだよ。仮に行ったところで期待外れだったらガッカリだ。ここは堅実に松茸を売るべき。行くなら、猟場ですべて採り終えてから、別の日に、朝一で出かければいいじゃん――いやいやいや、やっぱり山の神がいる神域なんでしょ? だったら、むやみに荒らすべきじゃない。元マタギのくせに、あれほど山の神を敬ってきたのに、なんでここにきて、欲しいものがあったらルール無視してでも手に入れようとするんだよ!」
丁次は孫の頑なな反応に、しびれを切らしていた。盛大にため息をついた。
「だったら、ここで二手に別れるか?」と、祖父は暗い声で言った。冷たい眼差しを治彦に向けた。「やはりおれは、『入らず山』に潜入する。わがままを許してくれ。未来の長田家にとっても、おれにとっても、憧れの獲物なんだ。危険を冒した分、得るものは大きい。いずれおまえにもわかるときが来よう。だからおれだけでも行く。となるとハル坊、いま来た道をひとりで戻れるか? それともおれが山から帰ってくるのを、ここで待っててもいいが」
「こんなところで待てっこない! 夜になったら、気が変になるって!」
「おれだって過去に四度、『入らず山』へ入っておるが、今度こそ山の神の報復をうけないとも限らん。山に入れば、つねに監視されてるような視線を感じるのだ。だから今回、おれひとりで行ったはいいが、万一命を落とすようなことがあれば、おまえはここで取り残されるだろう。どうだ、猟場から出て、内臓回廊を通り、開門の術を暗唱できるのか? あいにくマタギの秘伝書はおれが懐に入れたまま出かけるのだぞ。これがなければ開きっこない」
「それって脅迫じゃん! 遠まわしについてきた方が身のためって言いたいんでしょ!」
「おれとしても、おまえとしても、その方が好ましいと思えるのだ。山の神は人間の背後から忍び寄るという。おれたちが、たがいの急所をかばいながら移動すれば、奴につけこまれるすきを少なくすることができる。できればついてきて欲しい」
「意味わかんない!」
「なんにせよだ。ここで残るも、もと来た道を引き返すのも、賢い判断ではないってことだ。いっそのこと、おれと行動をともにすべきだ。おまえの命ぐらい守ってやれる。逆もしかりだ。そばにいればこそ可能だろ?」
「なんで、じいちゃんはがめついんだよ。どこからそのエネルギーが来てるんだよ」
丁次はそれに対し、腕組みしたまま、
「……ガキのころ、家は貧しくってな。そりゃみじめな暮らしをしたもんだ。さっきも言ったように、『行者転ばし』の恩恵は、おれの代になってようやく授かることができた。ひもじさの反動で、自分の子供や孫には苦労させたくないと思った。家族の誰もが、なに不自由なく人生を謳歌してくれたらと願っておる。この年になっても頑張り続けるのは、そんな過去があるからだ。あんまり甘やかしすぎると、金にだらしない自堕落な人間になっちまうことも、往々にしてあるがな」
その言い分に、治彦の態度はいくらか軟化した。
が、それはそれ。人が踏み入ってはいけない禁足地に、あえて入るのを見すごすわけにはいかない。
治彦は立ちあがり、なおも反抗しようとした、まさにそのときだった。
頭上でガサガサと松葉が揺れる音がした。木の枝がしなる音がやけに窪地に反響して、なにかの気配を感じたと思ったら――。
けたたましい笑い声がした。
「そいつぁ、ビッグニュースを聞いちまったな。まさか秘密の猟場だけじゃなく、そんな情報まで隠してたとは!」と、二人の斜め上から男の声が降ってきて、窪んだ猟場に響きわたった。「『入らず山』の不老不死の植物か。長田家はただでさえ猟場を独占してたのに、このまま野放ししとけば、とんでもない大富豪になるとこだった。――が、そうは問屋が卸さねえ。今度こそ、おれがかっさらってやる!」
反射的に、丁次と治彦は見あげた。巨大なアカマツの、日本家屋の梁みたいに立派な枝。
その男は豊かな松葉の陰に潜んでいたらしい。いまのいままで気づかなかったのは迂闊だった。
太いの枝のうえで、白髪頭に口ひげをはやし、サングラスの男がしゃがんでいた。
その両手には物騒なものが握られていた。危険な先端を二人に向けていた。――散弾銃だった。




