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29.山城ママのカラダにむしゃぶりついたように

 ……ところで、石頭の治彦をどうやって口説くどこうか?

 この孫は臆病ゆえに、慎重派だぞ。おいそれとは丸め込めまい。

 せっかくの猟場クラでの回収初日だ。ここはおとなしく帰還し、まずは堅実に、初物取引のご祝儀相場をいただくべきではないか。


 まだ五分の一を採ったかどうか。それはそれで嬉しい悲鳴だが。

 明日にそなえて、こんなところで油を売っている場合ではない。いちど地面から顔を見せた松茸は、刻一刻と生長する。採れごろを逃がすのは、なんとしても避けたい。一日たりとも休むわけにはいかないのだ。


 治彦を明日、日曜は連れ出せるとして、週明けに学校を休ませるのもどうか。

 あいつがよくても、息子夫婦たちは難色を示すにちがいない。それでなくてもすでに体力を使い、疲弊しているではないか。五連勤できるかどうか怪しいものだ。


 なのに、後ろ髪引かれる。

 このままさっさと下山したくても、六人行者岳くんだりまで来たのだ。せっかくだから『らず山』まで足を延ばすべきではないか。例のお宝をりにいきたくて、身体がウズウズする。


 なにも採らなくったっていい。

 せめて前回、偵察したときに確認したそいつ(、、、)の育ち具合を下見に行こう。

 そうだ、下見――いい名目ではないか。


 『入らず山』の例のモノはいい塩梅あんばいに育っているのではあるまいか? 『行者転ばし』の松茸同様、もしかしたら、採るのに絶好な頃合にさしかかっている気がしてならない。

 そう思うとダメだ。いても立ってもいられない。やはり下見がてら行くべきだ。


 いや――下見に行って、いい育ち具合のモノを見つけたら手を出さずにはいられない。

 催眠術にかかったかのようにマンションまでついていき、ベッドに誘われ、山城ママにむしゃぶりついたみたいに。

 たったひとつだけでいい。


 例のモノ、たったひとつかすめ取ってくるだけで、こんな背負いかご一杯の松茸など、足元にもおよばないほどの高値がつくはずなのだ。こんなものなぞ、ゴミに等しい。

 松茸はあくまで、もしも例のモノが空振りに終わったときの保険みたいなものだ。仮にブツ(、、)がまだ生長途上であるならば、さっさとあきらめ(さらに数年寝かせるという意味だ)、いつもどおり松茸を売りに出す。

 それでいいじゃないか。あえてギャンブルせず、堅実に稼げばいい。


 ……クソッ! ダメだ。いちど考え出したら思考の切り替えができない!

 あの不老不死の秘薬となるモノを見に行きたくてたまらない。

 たった一個でいい。


 のどから手が出るほど欲しい。熱烈なほど心が騒ぐ。

 都合四度にわたる偵察で、生えた場所の目星はついているというのだ。たとえ藪で覆われた道なき道だろうとも、おれは生けるブルドーザーと化してかきわけて進み、ピンポイントでそこにたどり着く自信がある。


 いやいやいや……。

 ほんの下見だ。せめて寄り道してこうじゃないか。

 仕事帰り、ガード下の赤ちょうちんに惹かれるようなもんだ。キュッとコップ酒を引っかけていく感覚。ちょこっと覗いてくるだけでいい。

 今年の松茸は夏場の猛暑にくわえ、雨の日が多く、例年にない豊作となった。たちまち景気づいた。治彦が怖気づいて愚痴をこぼしてばかりいるが、それがどうした。


 ちょこっとだけだ(、、、、、、、、)

 幸い、秘密の近道の術(、、、、、、、)も会得した。まともに尾根を四つ越えて行くよりかは、多少なりともショートカットできる。そうだ、『入らず山』へは、ここから四つもの尾根を越えなくてはならない険しい道のりなのだ。


 ただし、正規の手続きを踏んだ場合だ。

 ショートカットできるからこそ、よけい行きたくてウズウズしている自分がいる。どうにもがまんできない。

 クソッ、欲深じじいめ。己の貪欲さに呆れる。


 ほんのちょこっとだけだ。

 暗いカラオケスナック『ひとみ』の店内。山城ママを隣の席に座らせ、おれは年甲斐もなく熱烈に口説いたものだ。

 はじめこそ山城ママも、ダメ、ぜったいダメ……と首をふり続けたが、酒を勧めているうちに、しだいに理性がぐらついていった。


 いくらでも松茸をおまえにくれてやる。桐の箱にたっぷり入った特上の『つぼみ松茸』セットだぞ。

 なんなら小遣いをあげるから。頼む。な、な、な?

 店の経営がうまくいっていないのなら、おれがパトロンになってやろう。いくらでも力になる。

 そのかわり――おれの女になれ。


 まずはちょこっとだけだ。その魅惑的なボディーにタッチさせてくれ。

 彼女の耳もとで、ありったけの愛を囁いた。

 営業時間が終わったあとの二人きりの暗い店内。おれはしだいにエスカレートしていった……。

 おれは乳飲み子のようにむしゃぶりついた。




 そうだ。しゃぶりつきたいほど、『入らず山』のあの獲物を採りたくて採りたくて、どうにもがまんできない。

 なにはともあれ下見だ。今日のところは下見だけでいい。いいだろ? ちょこっと寄り道するだけだ。


「ダメだよ! なに言ってんだよ、じいちゃん!」と、焚火のまえで体育座りをしていた治彦は身をのり出して叫んだ。「さっき、自分で言ったじゃないか。物事には節度がある、度がすぎると、あとで手痛いしっぺ返し、うけるって。そう言っといて、説得力ないよ!」


「舌の根も乾かないうちに、だな。たしかにそう言った。コロコロ考えをかえるのも男子として恥ずかしい。それは認める。――だがな、聞いてくれ。おまえにはもうひとつ、隠してたことがあったんだ」そのくせ、丁次は悪びれた様子もなく、立ちあがって焚火の炎を消化しはじめた。靴で蹴って炭を砕き、土をかぶせた。まわりに置いた荷物をそそくさとまとめ出した。


「自分に甘いんだって。じいちゃんの悪い癖。おれにはメチャメチャ厳しいのに」

「厳しいのは、最初が肝心だからだ。――まあ聞け。『入らず山』の例のモノは、おれにとって長年の悲願だった。おれはあえてマタギとしての禁を冒し、三十数年にわたって見守り続けてきたんだ。このブツさえ採れたら、長田家は一生安泰だ。多少危険がつきまとうが、それに見合うどころか、ありあまる財産を築くことができる。ハル坊、おまえはこれから先、コセコセ底辺を這いまわることはないんだ。――まさか、ここまで話していながら、興味を示さないってわけじゃあるまいな?」


「なんだよ、例のモノとかブツとか。曖昧すぎるって。いったいなにを狙ってるっていうのさ。意味わかんないよ」

「……不老不死の秘薬となるモノだ」丁次は眼をそらし、ため息をついた。「昔、古代中国のことだ。しん始皇帝しこうていは、絶対的権力と巨万の富を手に入れた。あらゆるものをつかんだ独裁者が、最後に求めたのが不老不死の肉体だった――」

「いきなり、なんの話だよ、始皇帝とか!」




 紀元前二二一年、中国統一を成し遂げ、初代の皇帝となった始皇帝。

 しかしながら老いと死を極度に恐れるあまり、強く不老不死を切望するようになる。

 しだいに神仙思想に傾倒していった。そこにつけ込んだのが方士ほうしと呼ばれる者たちであった。方士とは古代中国において、神通力をもち、人間離れした術や技を身につけた道士のことであるが、じっさいは怪しげな知識をひけらかし、権力者にこびへつらうペテン師のような集団であった。


 そのなかで、不老不死の秘薬の情報を持ちかけたのが徐福じょふくだった。

 せいの出身である徐福は、不老長寿の呪術をはじめ、祈祷きとう、医薬、占星術、天文学に通じた学者だった。

 はるか東の海上に、蓬莱ほうらい方丈ほうじょう瀛洲えいしゅうという三神山さんしんざんがあるとうそぶいた。


「そこには仙人が住んでいるらしいのです。ぜひとも私めに不老不死の霊薬を探しに行かせてください。そのためには、まずは出資をお願いします」と、申し出た。


 始皇帝は徐福に莫大な資金をあたえた。期待せずにはいられなかった。

 徐福はかならず朗報をもたらすと誓い旅立った。ところがしばらく月日が経ったころ、なにも得ず帰国した。台風のせいで断念したのだと弁明した。

 今度こそはと、大勢の技術者(機織はたおり職人、紙職人、捕鯨に秀でた漁民、農耕・木工・製鉄・造船などの技術者)や若い男女ら三〇〇〇人を徐福に同行させ、大船団を組織。ふたたび三神山めざして出航させた。


 何日かの航海のすえに、島にたどり着いた。

 じっさいに徐福がどこに漂着したかは不明とされているが、『平原広沢へいげんこうたくの王となって中国には戻らなかった』と中国の歴史書には記されており、この『平原広沢』こそ日本のことを指すのではないかと言われている。


 じっさい、徐福船団との文化交流により、進んだ水田稲作の技術のほか、埴輪はにわに見られる古代の服装や銅鐸どうたく、漁法(とりわけ捕鯨の技術)、紙漉かみすき、薬学、楽器にまで多岐にわたって伝播でんぱし、日本の発展のいしずえを築いた。

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