27.「チャックして、南京錠を三つばかり、ぶらさげとくから」
だから治彦はドクロ杯に口をつけた。かならずこの通過儀礼を経て、猟場を自身のものにしなくてはならない。
傾けた。スライスされた松茸といっしょに熱々のスープが流れ込んでくる。
眼をつぶり、噛みながら飲みくだした。
グロテスクな容器に満たされていながら、うっとりするほどの秋の豊かさを感じた。
奥深い美味なスープを三分の一ほど飲み干すと、いろんな意味で半泣きになってしまったが。
「どうだ、まさに山の幸の帝王だろ? これが長田家だけが伝えてきた秘密の猟場だ。おれはわが子にすら隠し通してきた」
「……これ、ぜったい、青少年への虐待だよ」
「ツベコベ言わず、もっとグイッといかんか」
ちなみに、松茸を食文化に摂り入れているのは日本国以外では、韓国や中国の東北部、ブータンなどと、極めて限定的である。
なかでも高級食材として珍重されているのは日本だけだ。
松茸の香りの主成分である珪皮酸メチルが独特な香気を際立たせている。これは日本人にとってなじみの深い大豆に似ていることから、好ましい匂いとして受け入れられると言われている。
反対に、日本食に縁がない海外の人からしてみれば、松茸のそれはどぎつい悪臭にすぎないらしい。
欧米では『革靴のなかの臭気』『まるで軍人の靴下』『数ヶ月も風呂に入っていない不潔な人の体臭』と、散々な例えられ方をする。大豆そのものや、大豆の加工食品を食べないだけでこうも評価が異なるわけである。食文化の相違であろう。
海外の反応は芳しくないかもしれないが、この秘密の猟場『行者転ばし』で収穫したものは、そういった否定的な意見を一蹴するほどのすばらしい香りと、絶品の味を誇った。
治彦はつくづく日本人に生まれてよかったと、ひざを打ったほどだった。
それにしても日本人の食に対する探究心と、許容範囲の広さにはあきれる。
生卵をはじめ、コンニャク、海苔、白子、馬刺し、イカの塩辛、納豆、ウニ、ナマコ、ひじき、穴子……極めつけは、命の危険を冒してまでフグを食べようとする精神である。
とりわけ魚に対する執念にも近い探究心はどこからきたのか?
塩をまぶし、干して、火を通す。あるいは燻し、たたき、発酵させてまで食べる文化が確立している。究極は生食である。
ひとつの魚をめぐり、これほど手間をかけて、なにがなんでもおいしく食べようとする。
先人の知恵により生み出された多種多様な魚の食べ方は、必ずしも豊かな水産資源がもたらしたものではなかった。じっさいは、『食べたくても食べられない』という足掻きから生まれたものだという。
昔は保存や流通もむずかしく、冷蔵庫や冷凍技術もなかった。
たとえ魚がたくさん水揚げされたとしても、すぐに傷んでしまう。ましてや生食は江戸前魚食文化が開花するまでは一般的ではなかった。一部の上流階級の特殊な料理法にすぎず、庶民にはなじみのない食べ方だったのだ。
ところが生魚の生臭さを抑える濃口醤油が、江戸時代中期から大量生産されるようになると、江戸じゅうに広まっていったのである……。
海外の人間からすれば、日本人の『食』に対する執着心には脱帽するという。
だが、単なるゲテモノ食いや、珍味を追い求めているわけではない。
狭い島国のこと。どうにか手に入るかぎられた食材を工夫して、残さずいただこうと苦心した結果であろう。
かつては飢饉が猛威をふるった。
一一八一年の養和の飢饉をはじめ、江戸時代だけで三大飢饉(全国的な異常気象・冷夏と虫害・浅間山の噴火・エルニーニョ現象による冷害など)で、正確な記録は残されていないが、少なくてもこの江戸期の三つの大飢饉だけで、計一〇〇万人の人間が飢えや病気によって死亡している。
飢饉でなくとも、ただでさえ日本は災害の多い土地柄である。
小さな島国でありながら、因果なことに四つの大きなプレートが交差する境界上に位置する、世界でも類を見ない地震大国だ。全国には無数の活断層が存在している。
また、日本は台風の通り道に位置するため、毎年といっていいほどこれの被害をうける。ここ最近は、地球温暖化の影響によって『数十年にいちどの大雨』と表現される豪雨がたびたび観測されることのもめずらしくなくなった。大規模な洪水や土砂災害が発生しやすく、各地に甚大な爪痕を残した。
さらに富士山をはじめ、桜島、阿蘇山、雲仙岳などの多くの火山を抱え、万が一、富士山が大規模な噴火を発生した場合、首都東京をふくむ東海~南関東にも深刻な被害がおよぶと懸念されている。
このように日本の歴史は自然災害との苦闘の連続でもあった。
生き残るためにも、口にできるものはなんでも食べ、栄養を摂らなくてはならない。
つらい歴史を経て、先人たちは試行錯誤を重ね、その知識は次世代へ受け継がれていった。そうして日本の豊かな食文化を築いてきたのではないか。
陶然と余韻にひたっていた治彦だった。
丁次はドクロ杯をひったくり、口もとへ持っていった。
ひと息に残りを干す。いやしい音を立てて松茸をすすり、くちゃくちゃと口を動かした。
「これでおれも思い残すことなく引退できる。『行者転ばし』へ来る方法と手順はわかったな? では、あらためておまえにゆずろう。来年からひとりで通うがいい。バリバリ採ってたっぷり稼げ。稼いだ金の使い道は自由だが、あまり散財するんじゃないぞ。若いうちからの浪費は、身を滅ぼしかねん」
「うん。将来にそなえて、秋の時期がきたらがんばるよ」
「そのかわりだ。このあいだも言ったように――条件を守れ。猟場のことは誰にも教えてはならん。口が裂けてもだ。不良グループにとっ捕まり、リンチされようが、プライヤーで生爪はがされるような拷問をうけようが、好きな女の子に寝床のなかでせがまれたとしてもだ」
「口にチャックして、南京錠を三つばかり、ぶらさげとくから」
「稼ぎどきがきたら、学校なんて適当に理由つけて休んじまえ。松茸の生長をよく見極めろ。『つぼみ松茸』はあれよという間に傘が開いちまうぞ。採りごろを逃してはいかん。採ってきたあとの市場への取引は、おれの仲間がちゃんと手配する。高値がつくよう努力しよう。そのかわり、ちゃんとアルバイト代もはずんでやってくれ。約束だ」
「約束するよ、じいちゃん」と、治彦は言って、丁次がさし出した手を握った。「それより、さっきの話の続き」
「続きとな?」
「これから野暮用があるって言ってたじゃん。どういうこと? さっさとこんなところから出て、一刻も早く山をおりるべきだよ。売りさばくにしたって、じいちゃんの仲間だって、品物をうけ取りたいだろうし。採ったそばから、どんどん鮮度が落ちちゃうって言ってたのに。グズグズしてる場合じゃないと思う」
「それはそうだが」と、丁次は言葉尻を濁した。まるで後ろ髪引かれるかのように、あらぬ方向を見つめている。しきりに生唾を飲み、のどを動かした。「――ハル坊、ちょっと込み入った話がある。しばらくおれに時間をくれんか」
「なんだよ、いまさらあらたまって。じいちゃん、ここに来るまで、もったいぶった話ばっかりしてきたじゃないか。まだやましいことでも隠してんの? でさ、結論から先に言ってよ。もうなにがあっても驚かないって」
治彦は祖父の言うことに従うべく、焚火のまえで体育座りをして、待ちかまえた。
その姿を見て、丁次は内心こみあげてくるニヤニヤ笑いを必死で制さなくてはならなかった。
片手でしわの多い顔を覆い、表情を隠すふりをした。
自然と笑いがこみあげてきて、肩をゆすった。――おれも罪作りな男だ。このふだんは無欲な孫さえもが、ゼニに目がくらみ、おれの思いどおりにコントロールできるようになってきた。山へ入るまえとは打って変わって、生き生きしているではないか。
これならば――誘えば十中八九、乗ってくる。
ええい、やはりおれも、甘い誘惑には抗えない。
『入らず山』へ行きたくて身体が疼く。いいオンナに会いにいくまえの、はちきれんばかりになった股間みたいに、それしか考えられなくなる。
はじめて山城ママに、マンションへ誘われたときのことを思い出す。――まさにあれだ。拒否できない魔性じみた磁力。いちど魅了されたら、正常な男なら眼をそむけることができない。それでなくとも、据え膳食わぬは男の恥と言ったもんだ。あのとき、おれはバッチリいただいた。あの夜のことは、棺桶に入るまで忘れはしまい。
その山は何人たりとも分け入ってはならない。
山伏どもが修行に入る霊山よりも格上だった。完全なる神域。山の神が寝床にしていると信じられていた。
山の神はその山を拠点にし、すべての山々に幸をもたらすとされているのだ。つまりここいら一帯にとって、『入らず山』は中央であり、すべての源であるわけだ。
そんなところへ人が土足で入ろうものなら、神は烈火のごとく怒り出し、殺しにかかるだろう。ろくな死に方はしないとおれの親や、そのまた祖父は囲炉裏のまえで語ったものだ。当時、ガキのころのおれは、我が身を抱いて震えたっけ。
一方、信濃マタギのあいだで、ひそかにあるうわさが広がっていた。
猟をする者たちの長年の勘だ。――神域は手つかずだからこそ、絶好の猟場となっているにちがいない。神聖な神の住まう場所にふさわしいモノが埋もれているのではないか。
欲望が頭をもたげる。誰もがよだれを垂らして、想像を膨らませた。
だからこそ、おれは『入らず山』に挑んだ。




