26.この猟場は人生のリスクヘッジとしての機能を果たす
「ほら、ハル坊。おまえも食え」
「しかし、食欲ソソらない焼き方だよね。香りはステキなのに」
治彦も極太の『つぼみ松茸』を手に取った。特上も特上だ。熱さで思わずお手玉した。どうにか冷まし、縦に裂いた。
繊維のほどけ具合が、質の高い松茸だとわかる。この内部組織がいわゆる『肉』と呼ばれる部位である。
かぐわしい匂いに鼻孔をひくつかせた。
塩をまぶしたあと、その一片を口に入れた。噛みしめる。
シコシコとした食感は病みつきになりそうだ。噛めば噛むほど肉の繊維がほぐれ、茸特有の奥深いうまみが口のなかに広がった。癖になる典雅な味わい。口から鼻に抜ける風味もすばらしい。かすかに残る土の匂いも気にならない。のどに滑り落ちたあとも余韻がとどまるほどだ。ぞんざいにたいらげ、胃に落とし込むのは惜しいと思わせる一品だった。まさに幸せを感じさせるひととき――。
そのうち、治彦は三口目を噛んだとき、異物の感触がした。奥歯になにかが挟まった。
「……いま、ガリッって音がした」
口のなかに指を突っ込むと、硬い破片が出てきた。
小さなひし形の白い塊。端がささくれ立っていた。
まちがいない、骨の欠片だ。先ほど肋骨グリルが爆ぜたとき、砕けたものが松茸に付着していたのだろう。
「苦い」治彦は渋い顔をした。「……苦い味がするよ、じいちゃん」
「そりゃ、炙った骨は苦かろうよ」と、こともなげに丁次は答えた。
祖父は荷物のなかから五〇〇ミリリットルサイズのステンレスポットを手に取った。治彦は腰に二人分のお茶の入った水筒をぶらさげていたのだが、どうも丁次のそれはちがう用途で使う気らしい。ただでさえ家にいても、水分を摂らない人だったのだ。ほんとうは脳梗塞を予防するのに、こまめな水分補給をすべきなのだが……。
「それは?」
「お湯が入っておる。マグマみたいにアッチンチン」丁次は言って、ドクロの杯に少量注いだ。
さっと内側を洗って捨てた。保温もかねているのだろう。
胸ポケットからまたもや別のチャック付ビニール袋をつまみ出した。顆粒になった鰹節風味の調味料だという。
器に投じ、お湯をたっぷりと注ぎ入れた。塩も加えたうえ、木の枝を突っ込み、よく混ぜた。
そこに焼いた松茸二本分を、治彦の折り畳みナイフで薄く切り、器に落とした。
なにぶん座りの悪い容器なので、あぐらをかいた丁次が両足で挟み込まなければならなかった。
鉈を収めていた鞘でフタをした。
しばらく蒸すあいだ、丁次は新たなおにぎりをたいらげ、卵焼きに舌鼓を打ち、焼けた別の松茸に手をつけた。二本目のそれには、ちゃっかりスダチまでポケットに入れていたらしく、半分に断ち切り果汁をかけて味わった。
ドクロ杯を蒸すこと三分。鞘をどけ、スープの匂いを嗅いだ。
「ちゃんと火にかけていないでき損ないの吸い物だが、これはこれでイケると思うぞ。おれは毎年、こうやって採れたてを味わっておる。料理は素材が命」
「でも骸骨の器で飲むのは人としてどうかしてる。そもそも食欲、沸かないって!」
「なにをコノ、良識ある人間の代表者みたいな口を利くか」と、丁次はあきれた口調で言い、治彦の背中をどやした。「そのわりにおまえだって、たっぷりかごいっぱいに採っておきながら、捨てずに下山する気マンマンじゃあないか。自分に正直になれ、ハル坊。おれとは五十歩百歩だ」
「そりゃ、うしろめたいのは事実だけどね。けど、せっかくここまで苦労して来たんだし」
「なら、長田家の猟場を引き継ぐための通過儀礼だ。――先に飲め」と、丁次はドクロ杯をさし出した。
祖父にかかれば否応もなかった。
どうせ拒否すればヘソを曲げ、猟場はゆずらないと言い出し、悪くすればその場に置き去りにされかねない。丁次の教えはそこまで厳しく、本気でやる性分だった。
突っ返してもよかったのかもしれない。とはいえここにきて疲れが出て、抵抗する気力も萎えていた。それ以上に吸い物の匂いに惹きつけられて、どうにも逆らえない。
だから治彦は頭骨の器をうけ取ってしまった。
スープは湯気を立てている。ドクロ杯は持ちかねるほど熱い。ざらざらした手触りだった。
松茸と鰹だしの馥郁たる香りが嗅覚をくすぐった。
が、器が器だけに、さぞかし骨の成分が染み出して、味にアクセントを加えていることだろう。せっかくの松茸の魅力を減退させるに充分なビジュアルだった。
治彦は眼をつぶり、心を決めた。
――なるようにしかならない。
そうだ。いい大学を卒業して、どうにか大企業に就職できたとしても、終身雇用が約束される時代は終わった。
必ずしも正社員に登用されるとはかぎらない。被雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は増加傾向にある。政府が改正労働契約者法を施行しようが、企業側は是とせず、現状はほとんどなにも変わらない。
少子高齢化は歯止めがかからず、人口減社会に突入した日本では、企業にとって雇用の確保は難しく、どこも人手不足がついてまわる。対策として企業は高齢者を雇用するしかなく、定年退職後も契約社員や嘱託社員として働き続ける高齢者が増えている。これが非正規率の高止まりの要因になっているのだ。
ただでさえ公的年金の額は昔と比べものにならないほど低い。
良きにつけ悪しきにつけ、医学の発達と医療制度の充実もあり、日本人の平均寿命が延びつつある。定年退職したあとの預金は、どれほどあれば穏やかな余生をすごせるのか。とにかく未来は不安材料が山ほどある。
老後に至るまえの、突然のリストラや病気、事故、家族の介護など、いまでこそふつうにできている生活が、いつ頓挫するかわからないご時世。
日々の暮らしには、地雷のようにリスクが埋まっている。必ずしも自身だけが不幸にならないとは言いきれない。
企業に勤め、毎月安定した給料をもらっていても、想定外のできごとで経済的に困窮、または破綻してしまうこともある。
自己破産や個人再生といえば、まっさきにギャンブルや浪費・遊興費などが原因と思われがちだが、じつはそれだけではない。病気・医療費、失業・転職、給料の減少、負債の返済や第三者の債務の肩代わりなども少なくないのだ。
危険は避けるに越したことがない。
そうなってしまうまでに、経済面で予防線を張っておきたいものである。仮に本業の仕事がだめになったとしても、なんらかの形でそこそこの副収入があれば、完全回避はできずとも、リスクを軽減できるのではないか。
かと言って、株式や不動産、美術品投資や、流行りの仮想通貨に挑むには、それなりの元手と勉強がいるだろう。経験も積まないといけない。
しかもそれらは扱いを誤ると手ひどく火傷することがある。ときには、のめり込みすぎて命を落とす危険だってあり得るのだ。
それならばだ。
この秘密の猟場『行者転ばし』を最大限に活かすべきだ。長田家の男子だけが知る絶好の稼ぎ場。たしかに気味の悪い場所ではあるが、手をつけないのはもったいない。
毎年、松茸の収穫量のバラつきはあるかもしれない。丁次に問うたところ、不作だからと言って収穫ゼロだった年はなかったとのこと。
平均して背負いかごに四杯分は回収できたという。いちばん少ない年でかご二杯分。そのときは茸自体のできも悪かったので、安く買い叩かれたらしいが……。
問題はその豊作・不作・まずまずの年が、どの程度のサイクルでまわっているかである。治彦が尋ねたが、丁次は言葉を濁した。この山の達人をもってして、読めないのだと首をふるばかりだ。
幸い今年は当たり年に恵まれ、丁次と治彦二人で、あと四度は通えそうだ。
なにはともあれ、そのあとの売り方が肝心である。
あらゆる山菜狩り名人や茸狩り師より先んじて売りに出し、まずは初物取引のご祝儀相場を奮発してもらう。これが破格の値がつき、かなりおいしい。一キロ二〇万の値がつくことだってめずらしくない。
しかも丁次やそのブレーンは、東京に散らばる高級料亭にも顔が利いた。松茸といえば生産量トップの長野産でも、丁次が採ったそれはさらにブランド品が冠せられ、直接店に卸せば高値で買い取ってもらえた。
仮に丁次が引退し、来年から治彦がうけ継いだとしても、丁次の孫という補正のおかげで、ブランド力まで継承されるはずだ。
この際、『行者転ばし』でのリスクは無視すればいい。いまのところは実害のないものばかりではないか。
人骨の山など眼をつぶってやりすごせばいい。しょせん骨は骨である。化けて出てきたりはしまい。過去にここでおぞましい殺戮の歴史もあったかもしれないが、それすら耳をふさごう。
ここは長田家の仕事場とすればいい。仕事に私情を挟むべきではない。粛々と儲けのタネを摘み取ることに専念するべし。回収したら、さっさと猟場から引きあげるだけの話である。
そうなのだ。――この猟場は人生のリスクヘッジとしての機能を果たすにちがいない。
とすれば、利用できるものは利用すべきである。不気味だの罰当たりだの、倫理的にどうのと言っている場合ではない。不安な将来に備えるべく、ここで稼がせてもらう。松茸が異様に採れる場所とはありがたいに決まっているではないか。
畢竟、ゼニを生むのだ、この土地は。道のりはハードだが、こんな稼ぎ場所がほかにあろうか? 田舎ならことさらありはしないのだ。




