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25.「天然のグリルの完成だ」

「火を使うのはいいけど、どこで? 弁当食べるにしたって、ここでは絶対ヤだよ。さっさと猟場から出ようよ」

「決まっておる。ここで焼いてみる。都合がいいことに、アカマツの枯れ葉はいくらでも落ちているしな」


「正気じゃない! 骸骨だらけの場所だよ? おれとしては早くこの場から離れたいっていうのに。さすがにここはやめとこって!」


「おれとしてはだ。腹が減りすぎて、あの斜面を登るのはいささかこたえる。荷物はかなりの重さになるんだぞ。いっそのこと、ここで補給してから弾みをつけたい」

「ありえないって! こんなに骨がゴロゴロ転がった処刑場みたいなところで飯なんて!」


「なに、たいした時間は取らせない」丁次は涼しい顔で、まわりに散らばった落ち葉を集め出した。「それに野暮用(、、、)がこのあとに控えておるのでな。おれとしては昼飯もさっさとすませて、次に行きたいんだ」


「なんなの野暮用って! このまま山をおりて、採った獲物を高値で売るだいじな仕事もあるでしょ。明日もここへ通うんじゃないの? グズグズしてたら日が暮れちゃうよ」


「心配しなさんな。ここ最近は、下山したあとの取引は、おれの知り合いがすべてやってくれるようになった。アルバイトで世話してくれる男たちが何人かいるんだ。おれなんかより、はるかにやり手(、、、)の奴らがな。だからおれは採るのに専念できるってわけさ」


 丁次は言いつつも、アカマツの葉と松ぼっくり、枯れ枝を拾って、治彦のそばに小山を作った。手ごろな枝はいくらでも落ちていた。


「だったら、それはいいとして……。じいちゃん、信じられない。神経イカれてるよ。松茸をいっぱい稼がせてくれる、ありがたい猟場だと思うけどさ。こんなとこ、長居は無用だって!」と、悲鳴に近い声をあげた。「そもそも、どうやって松茸を焼くのさ? バーベキュー用の網もないのに!」


「ハル坊、おまえのココにつまってあるのは、タラの白子かなにかか?」と、丁次は治彦の側頭部を小突いた。「少しは知恵をしぼれ。この場に焚火をおこし、小枝に松茸をさして、そのままあぶってもいい。だが、もっと合理的に、大量に焼ける方法がある。ちょっとしたサバイバル・テクニックってやつだ。いまから教えてやろう」




 祖父は針状の落ち葉に火をともし、枯れ枝をくわえた。松の枝葉が焼ける、かぐわしい甘い匂いが立ち込めた。

 腰の鞘からなたを抜いた。物騒な肉厚の刃で枯れ枝を断ち切り、形をととのえはじめた。そして二つのY型の枝を焚火の両脇にねじ込んだ。

 そのあと、不法投棄された産業廃棄物のような人骨の山から、比較的部位のそろった成人のものと思われる上半身のそれをつかみあげた。


 腰のところで断裂した人骨で、きれいに肋骨がそろい、色も汚らしくない。それこそ理科室に展示された人体骨格模型なみに白かった。

 丁次は頭蓋骨のあごに手をかけた。


 なんと、首の部分から力まかせにヘシ折ってしまったから驚きだ。

 不気味な頭蓋骨をはずし、焚火の方向に投げ捨てた。しゃれこうべは乾いた音を立ててバウンドしながら転がっていった。

 それにしても丁次は、死者へのいたむ心が足りなさすぎた。そういう死生観なのだろう。


 焚火がほどよく安定してきた。火を絶やさぬよう、治彦に面倒を見させた。

 続いて丁次は、林立する松茸を踏みつけぬよう注意しながら、忌み木のそばに忍び足で近づいていった。地面に落ちた枯れ枝を品定めしはじめた。


「できれば、まっすぐな枝がいいんだが」と、片膝を折ったまま言った。枯れ枝のひとつを手に取り、これからパターを決ようとするゴルファーように直線具合を確かめた。

 いくつか試したあと、忌み木の反対側で登山の杖がわりに使えそうな枝を見つけた。長さ一メートル五〇はある。


 その枝を手に、焚火のところへ戻ってきた。

 丁次は、先ほどの筒型となったあばら骨がついた人骨の内部に、なぜか採れたての『つぼみ松茸』を八本ばかりを並べた。太い脊柱せきちゅうを中心にして、左右に四つずつ。カーブを描いた横に伸びる肋骨に対し、松茸が縦になるよう寝かせるわけだからすき間からこぼれ落ちることはない。


 そのドーム状になったあばら骨の内側に、拾ってきたまっすぐの木の枝を通した。胸骨きょうこつぞいに枝を引っかける形となった。それを焚火の両脇に立てたY型の木の枝においた。


「そら見ろ、ハル坊。天然のグリルの完成だ」と、丁次は得意満面の顔で呵々(かか)と大笑いした。「おれは毎年、こうして焼いておる。なかなかのアイデアだろ?」

 かつて『行者転ばし』であった非人道的な歴史もさることながら、この丁次もあきれるほどの鬼畜っぷりであった。


「うへっ……。なんて焼き方だよ! じいちゃん、それは人としていかがなものかと思うぞ!」と、治彦はうめいて、思わずうしろに飛びのいた。わが祖父ながら、冷酷非道な人間性に眼を疑った。

 とはいえ、マタギの巻物を使って道を切り開き、内臓回廊を渡り、悪名高き『行者転ばし』までやってきたのだ。


 おまけに猟場にあるアカマツは規格外の樹齢を誇り、しかも『シロ』が枯れないときた。六年まえに祖母が亡くなったとき、火葬場で拾って以来、人骨を眼にした。それも大量のそれが野ざらしにされていたのだ。はじめのうちこそ衝撃的な光景に見えたが、松茸採りに夢中になっているうちに、なんども踏み砕いてしまった。お宝と天秤にかけたならば、骸骨の山など取るに足りない。


 ――なにもかもがふしぎと異常づくめで、常識や倫理さえもが麻痺していた。

 この際、人骨をバーベキュー用の網がわりにして松茸を焼くぐらい、なんでもないように思えてくるから、慣れとは怖いものである。


「さ、あとはいい塩梅あんばいに焼けるまで、佳苗かなえさんが握ってくれたおにぎりでも食べていよう」

「……じいちゃんには、ホント負けるよ」治彦は両腕を広げ、降参ポーズをした。「しゃーない。おれもブッ倒れそうなぐらい腹減ってるし、あの斜面を登るのは、たしかにエネルギーがいる。ここで食べるしかない。とりあえずお茶をぐよ」


「やれやれ、ようやく観念したか。おまえもはじめこそ愚痴るが、なんだかんだ言って順応じゅんのうしていくよな。頼もしいぞ。それでこそ長田家の男子だ」

「よけいなお世話」




 二人は腰をおろし、焚火の炎を見ながら遅い昼食をとりはじめた。十五時をすでにすぎている。

 火にかけた肋骨グリルのなかの松茸がゆっくり炙られ、白い湯気を放ち出すと、豊かな香気が漂った。

 おにぎりをひとつたいらげた丁次は、そばに転がった頭蓋骨を手にとった。グリルになるまえ、頸椎けいついにつながっていたものだ。


 あぐらをかき、両足でそれを挟み込こんだ。

 作業着の胸ポケットからなにかを取り出した。金属製の薄く、細長い板だ。かなノコのハクソーだった。


 丁次はうつむき、やおらノコ刃を頭蓋骨の額に押し当て、ゴリゴリときはじめたからたまらない。

 ためらいもせず、骨を断ち切っていく。恐るべきスピードで前後するノコ刃は、見る間に内部へと食い込んでいった。砂糖のような切りくずが地面にこぼれる。


「ちょっ……。じいちゃん、なにやってるの!」と、治彦はとがめるように言った。

「じきに終わる。待っとれ」


 言うが早いか、しゃれこうべの額から上が切り離された。ポロリと脱落し、地面に転がった。前頭骨から後頭骨にかけてカットされ、まるでどんぶりのような形だ。丼をひっくり返した。


「これで器に早変わりだ。吸い物といこう」と、丁次は罰当たりなことを口走るものだから、治彦はまたもや女の子みたいな悲鳴をあげた。

「だからじいちゃん、そういうの、心が痛まないの? ちょっとこの人、どういう教育うけたんですか!」


「偉そうにきれいごとばかり並べおって。信長だって、浅井あざい 久政ひさまさ長政ながまさ親子のモノで黄金の髑髏杯どくろはいをこしらえさせ、正月の宴会で披露したもんだぞ。――じっさいにその器で酒は飲まなかったろうがな」

「鬼!」


 丁次は耳を貸さず、肋骨グリルのなかの八本の松茸をひっくり返した。いい焦げ具合である。あとは片面をじっくり焼くだけだ。

 炎に炙られ、肋骨の一本がぜた。バキリと乾いた音を立てて、真ん中で折れかけたが、幸いにして焚火のなかへの落下はまぬがれた。


 もう片面が焼けると、ムラなく加熱処理するため、丁次はグリルの内側に通した木の枝を握り、揺らした。なかの松茸がコロコロと位置を変えた。そのうち、また別の肋骨が熱ではじけた。白い骨片こっぺんが舞うほどだった。


「そろそろ頃合だな。いただくか」と、丁次は言って、木の枝を持ちあげて肋骨グリルを炎から遠ざけた。

 選ばれし八本の皮かむりの松茸は、絶妙な焦げ目をつけて、香ばしい湯気を立てている。

 丁次は一本を手に取り、縦にむしった。絶妙な繊維のほぐれ具合で裂けた。豊かな山の幸の香りが、治彦の鼻を刺激する。


 丁次は上着のポケットから小さなチャック付ビニール袋を取り出した。どうやら塩まで忍ばせていたらしい。

 ひとつまみのそれを裂いた松茸にふりかけた。そしてじっくり香気を楽しんだあと、口に放り込んだ。

 眼をつむったまま噛みしめる。ひとしきり口を動かしたあと、のどの奥でうなった。


「……うまいものを食べたら、うまいとしか言いようがないな。テレビに出てくる食レポの奴らの、語彙ごいの乏しさやおおげさな表現にはうんざりさせられることも多いが、やはり絶品の味のまえにはノックアウトさせられる。こんな贅沢なひととき、ほかでは味わえんぞ」と、丁次は眼を開けて、ニカッと笑った。嬉々(きき)とした表情だった。あと十年は長生きしそうな元気さだった。

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