表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/47

23.九年前の厂原村神隠し事件のこと

 また十四世紀中ごろの貞治五(一三六六)年の『興福寺こうふくじ 六万衆評定事書ろくまんしゅうひょうじょうしょ』によると、山伏にかかり、稚児が大袋に入れられて誘拐された事件が多発したという。これはおそらく男色が目的であったとされている。


 この誘拐道具としての大袋に着目した保立ほたて 道久みちひさ(歴史学者・東京大学史料編纂所名誉教授)は、従者下人が主人の荷物を運ぶ大袋とは、

「人間の拉致らち誘拐のための手軽な拘禁用具こうきんようぐだったのであって、武装した優勢者の襲撃行動においては従者の持った袋は、即時に強制連行の用具に転訛てんかしたのである。それは、強盗的な行動においては、つねに備えられた用具のひとつであったであろう」と、述べている。

 また、大袋が誘拐犯と同義になったと指摘しつつ、次のような興味深いことを示している(『中世と愛と従属』)。


 『夕方、外で遊んでいる子供を「人さらいが来るぞー」と言っておどかすことは、今でもあるのだろうか。こういうおどかし方は、あるいは中世からあったものなのだろうか。子供などはクルッと丸めて袋に突っ込んでしまえば、少々泣き叫ぼうが、かんたんに誘拐できたにちがいない。』




 では、強制的にさらわれた子供たちは、その後どうなったのか?

 重複するが、たいていは危険な仕事場での労働力として使われたり、売春を強要されたりした(逆に金に困った親が娘を女郎として売り飛ばした)。あるいは子供を産めない女性が、子供欲しさにさらってしまったケースだってあっただろう。


 被差別階層の者が外界の遺伝子を求めて連れ去ったこともないわけではあるまい。狭い集落内での近親交配をやめ、外界の種を混ぜる必要もあった。

 身代金みのしろきん目的や、あるいは性欲のけ口として誘拐されたこともめずらしいことではなかった。後者の二つに関しては、現在の失踪事件においても通ずる。


 神隠しは天狗のしわざだと、かつて民俗社会の人々は口をそろえて言ったものだ。

 天狗と言えば、山伏との類似点があげられる。姿恰好も同一視されることが多い。

 山という危険な神域にあえて踏み入れ、命がけで修業してみずからを鍛える。超人的な験力げんりきを得て、迷える人々の救済をめざすのが修験道の本質であった。


 断食、滝打ち、火渡り、座禅、南蛮いぶしなどといった山伏の修行は、ほかの宗教のそれとは異なり、見た目にも異様に映ったことだろう。

 とくに護摩行ごまぎょう、またはお火焚ひたきと呼ばれるぎょうがある。燃え盛る護摩壇ごまだんを目前にしながら祈願し、己の煩悩を焼き払う荒行である。炎を間近にするため、顔じゅう火ぶくれで真っ赤になるほどだった。そこから天狗の赤い顔として連想されるようになったのではないか。


 身に着けている彼らの十二道具(法螺ほら頭襟ときん斑蓋はんがい結袈裟ゆいげさ鈴懸すずかけ錫杖しゃくじょう金剛杖こんごうづえ最多角念珠いらたかねんじゅおい肩箱かたばこ引敷ひっしき脚半きゃはん)は、仏の教えの象徴物としての意味があったため、里にいる者たちからすれば、常軌を逸した姿に見えたはずだ。


 このような奇怪な恰好の集団が、人里離れた山中にて、命がけの修行を行っていたとしたら……。事情も知らない人々が目撃すれば、奇異に見えてしまうどころか、山の神の使いか、妖怪に見まちがえたとしてもやむを得ないだろう。


 厳しい修行を積み、徳と験力を得た山伏は、じっさいに里の人々の願いをかなえてやったり、病気すら治したことだってあったかもしれない。

 彼らは薬草にも精通していた。漢方薬を作り、病に悩める人々に処方した。だから天狗そっくりの山伏に命を救われた人は、天狗=善神と敬うこともあったのだ。


 一方、修行に耐えきれず挫折した山伏もいた。

 そんな場合、里におりて拝み屋や祈祷師、占い師のようないかがわしい商売に身をやつすしかなかった。

 他方においては、そんな職にすらつけず、修行で鍛えあげた体力で犯罪に手を染めた者もいたはずだ。


 なまじ禁欲の生活を続けていただけに、その反動は大きかった。手あたりしだい女や子供をさらい、女犯にょぼんの戒律を犯し、稚児との男色にふけった。天狗の鼻はペニスを見立てたイメージがあるように、どうしても性行為との関係を切り離して考えることができない。


 いずれにせよ神のように高い徳と験力をもった山伏に対し、怪しい呪文で人々をたぶらかし、または大袋に包み込んで誘拐していく山伏崩れという構図は、天狗にあるイメージ――人々を救う善神と、仏教の敵対者という両義性に通じるのである。




「なにもそれは昔の話ばかりじゃあない」と、丁次が暗い声で言った。腰かけた岩塊のわきには、なかば土に埋もれた頭蓋骨があった。二つの眼窩がんかに指を突っ込み、掘り起こす。これも緑色に変色していた。土を払い、手にひらにのせて真正面から見つめた。あきらかに子供のものだった。「現代でもたまに子供がいなくなる事件も、ロリコンが一線を越えちまったからじゃないか。そして用が済んだら口封じってわけさ」


 丁次の言い分は極端すぎたが、小児性犯罪者チャイルド・マレスターによる誘拐は現在でもあとを絶たない。

 通常十三歳以下の子供へ性犯罪をくり返す者は、精神医学の世界では『小児性愛ペドフィリア障害』と呼ばれている。


「その常習性と衝動性は、ほかの性倒錯の群を抜いている。好みの子供を見ると、まるでそれに吸い込まれるように近づいてしまう。抑えきれないんだ」

 ある小児性犯罪者の言葉である。


 小児性犯罪にかぎらず、性犯罪者のほとんどは『強迫性』『反復性』『衝動性』『貪欲性』という特徴を持っている。彼らは「やらずにはいられない」と語るほど、その性暴力に執着を示し、いちど欲求にスイッチが入ると、一日じゅうそのことが頭から離れなくなるという。


 ある小児性犯罪者は、性的接触を禁じられている状態を「断食をしているようだ」と語った。

 食欲にも勝るほどの強烈な性的欲求。彼の言葉を借りれば、小児性犯罪者にとって欲求を満たせない状態こそ、耐え難い禁欲生活を強いられていることになる。


 たしかに法務省の法務総合研究所の調査によると、裁判確定から五年経過時点での再犯率は、低年齢の子供を狙った小児わいせつ型の再犯調査対象者で『性犯罪再犯あり』が九・五パーセント、『その他再犯あり』は六・六パーセントだった。

 しかしながら、性犯罪前科が二回以上ある者を類型別でみると、小児わいせつ型は八十四・六パーセントにのぼり、痴漢を除く強制わいせつ型(四十四・〇パーセント)や単独強姦型(六十三・二パーセント)と比べて、同一類型の小児わいせつ型性犯罪をくり返す傾向が浮き彫りとなっている。




「いつぞやの件を思い出すな。ハル坊、おまえといっしょに学校へ通ってた女の子がいたろ。かれこれ十年近くになるか」丁次は手にした頭骨をブランデーグラスのようにまわしながら言った。「長田おさだの家から、ホレ、三軒隣りの最上もがみさんとこの娘だ」


 治彦は平手打ちをうけた思いをした。

「最上」と、泡を食った様子で眼を見開いた。「――まさか茉子まこちゃんのこと?」

「そうだ。最上 茉子。あの子も純粋ゆえに神に連れていかれたと、当時の世間知らずどもは言ったもんだ。都会じゃ、『厂原がんばら村神隠し事件』と話題にされたっけな。たしか、あの子が六歳のときだったか」


「まさか茉子ちゃんが――茉子ちゃんもわいせつ目的で誘拐され、殺されたの?」

 治彦のなかにも、そんな最悪の考えがくすぶっていなかったと言えばうそになる。しかし大人の事情で隠された秘密もあったのかもしれない。それを丁次の口から聞くのは勇気がいった。


「証拠はない。ただ、失踪する三日前にも予兆があったと憶えておる。白いコートの男。八月の盆の時期にコートなんて着るもんか。あれはおそらく……」

「山伏のしわざだと?」


「言ったろう。決定的な証拠がないんだ。なにぶん暑い時期で、人気ひとけのない誰時たれどきだったからな。目撃情報もなかった。しょせんおれの推測にすぎない」

 丁次は緑色の頭骨を治彦に渡した。治彦はそれを両手で受け取った。


 人によっては、神隠しに『遭いやすい気質』があるとされている。

 成人女性の場合では、産後の肥立ちが悪くホルモンバランスが崩れているときなど、精神的に不安定な時期に遭いやすかったと言われた。

 とくに家父長制かふちょうせいの支配する時代、女性は家の都合で嫁に出され、ときには公然と売られたり、奉公に出されたりした。惚れた男と一生添い遂げられることは少なかった。気がおかしくなったり、不平や厭世えんせいのために山へ自殺しに入ったことも考えられるだろう。


 子供だと神経質な者や、知的障害がある者、なかでも圧倒的に男児が占めていた。

 天狗は男の子を好むと、民俗社会の人々は考えていたのだ。やはりこれも天狗のおもな目的が、天狗自身の性愛の相手にするためであるという観念が流布していたことにつながるわけである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ