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22.生き胆取り列伝②

 また、藩政時代の鹿児島では、なんと罪人が処刑された直後、肝臓を取ることが公認されていたという。

 現在の鹿児島市電の二軒茶屋停留所から山に入ったところに『サカセド刑場』があった。

 まずは処刑される罪人が広場の杭にくくりつけられる。

 打首によって首がねられると、刑場をとりまく武士たちがいっせいにその胴体に群がり、短刀で腹部を切り裂き、肝を取り合いしたというのだ。


 短刀ならまだしも素手のハンデを負い、罪人の肉にかじりついて皮膚を裂き、歯でえぐり出したとも言われていた。

 この競技を『ひえもんとり』と呼び、薩摩藩において、武士たちの胆力を強くする恒例の行事だったとされている。『ひえもん』とは『生臭いもの』という薩摩の方言である。




 さらに、人の胆で作った秘薬『浅山丸あさやまがん』というものがある。

 江戸時代に刀剣の試し斬り役をつとめ、死刑囚の首を切り落とす職業を代々継いでいた山田やまだ 浅右衛門あさえもん(山田家の当主が代々名のった名称)が、 内職として作っていた肺病の薬である。金二分で売っていたという。


 その薬の作り方はこうだ。

 首を刎ね落とした罪人の体温が暖かいうちに、みぞおちのあたりを切り開く。その切り口から手を突っ込み胆嚢たんのうを引き出す。小刀で切り離し、胆汁がこぼれないように切り口を糸でかたく縛る。それを陰干しにして、乾燥したらケシ粒ほどの丸薬に加工してできあがるのだ。


 この代々の山田 浅右衛門は胆嚢のみならず、肝臓や脳さえも原料とし、結核に効くとされる丸薬を製造していた。これらは『山田丸やまだまる』『浅右衛門丸あさえもんまる』『人胆丸じんたんまる』『仁胆じんたん』『浅山丸あさやままる』の名で販売され、肺病のみならず、梅毒、切り傷、ハンセン病などに効くと吹聴した。

 『浅山丸』は現在でも存在するが、今日のそれは鹿かなにか動物の肝で代用されているのだろう。




 ほかにも富士川ふじかわ ゆう(医学者・医学史家)の著書『迷信の研究』によると、「神戸、大阪にて小児しょうにを買い集めて、小児の生き胆を取って売薬を作る」とのうわさがあったことを指摘している。

 広島では「八歳の学童を殺し、首と胴体とは付近の谷川へ沈め手足のみを取り、その肉を黒焼きにして妻某の生家に柏餅かしわもちとともに送った。ハンセン病患者に小児の肉の黒焼きがよく効くとの迷信による」といった、難病治療のための子殺しが、明治や大正のころでさえあったことを記している。




 かつて、『人さらい』にさらわれると肝を抜かれ、血や油をしぼり取られるという恐ろしい都市伝説が親から子へ伝播されたものである。それは『子取り』『肝取り』『油取り』『血取り』などと呼ばれ、子供たちのあいだでは、『人さらい』とは怖い人間というよりも妖怪じみた存在として捉えられていた。


 じっさい、まき 英正ひでまさ(法制史学者)の著書『人身売買』によれば、かつて『人さらい』の背後には全国各地にネットワークをもった『人買い―人売り』集団が存在していたという。

 そうした『人売り―人買い商人』の生態をよく描き出しているのが、中世末から近世において盛んに行われた語りもの芸能、『説経節せっきょうぶし』の『さんせう太夫』である。


 奥州の岩城いわき 政氏まさうじは罪に問われて、筑紫国に流される。

 安寿姫あんじゅひめ厨子王ずしおうの姉弟は、母と乳母とともに父を訪ねる旅に出る。

 越後国直井(直江津なおえつ)のうらで日が暮れてしまうが、宿を貸してくれる家がない。


 困り果てているところに、人をかどわかして(、、、、、、)売ることを商売にする山岡の太夫たゆうという者にだまされて、母と乳母は佐渡の二郎、姉弟は宮崎の三郎に売られてしまう。

 宮崎の三郎は姉弟を丹後国由良(ゆら)の港のさんせう太夫に売りつけ、姉の安寿は汐汲しおくみ(歌舞伎・日本舞踊の演目)、弟は柴刈りの仕事をさせられる。




 鎌倉時代の中ごろの成立とされる『撰集抄せんじゅうしょう』巻一第六には、越後国志田の上村というところの浜辺の市では、山や海だけでなく、馬や人間までも売買されていたと語られている。


『……かの里は海のほとりにて、おくよりの津にて、貴賤きせんあつまりて朝の市のごとし。

 海のうろくず、山の木の実、絹布のたぐひを、うり買ふのみにあらず、人馬のやからを売買せり。

 その中にいとけなく、又さかりなるは申すにおよばず、頭にはしきりに霜雪そうせつをいただき、腰にはそぞろにあづさの弓をはりかがめて、けふあすともしらざる物、しばしのほどの命をたすけんとて、そこばくのいつわりをかまへ、人の心をたぶらかして売買せり。』


 ……つまりこの市では、幼い子供や働き盛りの者はもちろん、余命いくばくもない老人さえ売られていたというのだ。

 こうした人身売買を生業なりわいとする者たちのネットワークや市が設けられることによって、身内の者に売られた子供や娘、誘拐されて遠方から連れてこられた人たちなどが、強制労働や売春させるために買われていったのである。


 『夜に口笛を吹いてはならない』という風習がある。古い世代が子供たちに言い聞かせたものだ。

 なぜ口笛を吹いてはならないのか?

 諸説がいくつかある。闇夜を歩く悪霊、鬼、妖怪を呼び寄せてしまうからタブーとしたとか、親を吹き殺す、あるいは親を早死にさせるからと言った。泥棒たちは口笛で合図するため、招き寄せるので禁じたとする説もある。

 なかでも『人買い』が全盛だったころ、彼らは夜、口笛でやりとりしていたので、むやみに口笛を吹くと人さらいが来てしまうという説は生々しい。




 昔は、子供の行方不明になる事例がしばしばあった。

 大人が総出で、いたるところを片っ端から捜しても見つからない。

 まさしくチョークで書かれた文字を、さっと黒板消しでひと拭きしたかのようにいなくなる。

 古代日本は現代のように交通網が整えられておらず、森林で人が忽然といなくなったのだ。


 山や森は汚してはいけない神域とされ、境界線には注連縄しめなわが張られ、結界で守られていたほどだった。

 山などで誰かがいなくなった場合、残された人はそれを神隠しと呼んだ。

 どんなに捜しても発見できない。みずから姿を消す理由も見当たらない。最終的に、これは神のしわざではないかと人々は首をひねるしかなかった。


 神隠しの『神』とは、神奈備かむなび神籬ひもろぎ磐座いわくらなどにおわす(、、、)古神道の神々だけでない。天狗をはじめとする民間信仰としての山の神や山姥・鬼・狐狸などの山や原野にかかわる妖怪の類なども指した。


 もっとも現実は、迷子、家出、夜逃げ、誘拐、監禁、自殺、口減らし、殺害、事故により身動きが取れない、純粋に事故死、熊・犬・毒蛇に襲われて死亡、乳児ならとびや鷹に連れ去られる……などの要因で、思いもよらぬ場所に行方をくらませてしまったケースが大半であろう。だからいくら捜せども見つからないわけである。


 山に迷い込んで死んだとか、事情があって逃げてしまった、事故で死んだにもかかわらず死体が発見されなかったやら、あるいはなんらかの理由で誘拐されてしまったにせよ、集落の大人たちはこれを天狗などのせいにしているが、真相は上に述べたいずれかであり、ていのいい方便にすぎなかった。あるいは口減らしで殺してしまった親がそうごまかし、慰めることで、一種の免罪符にしたのだろう。




 となると、何者かにさらわれた場合はどうか?

 古来、誘拐の道具は大きな袋がよく使われたのが常だったとされている。

 鎌倉時代の『古今著聞集ここんちょもんじゅう』に、こんな説話が見られる。


 健保(一二一三~一二一九年)のころ、高倉たかくらという女官に、あこ法師ほうしという七歳になる子がいた。

 近所の子供たちと小六條しょうろくじょうまで出かけた。

 夕暮れどき。子供たちが相撲をとって遊んでいたときである。うしろの小山の上から垂れ布のようなものが降りてきて、あこ法師を覆い隠してしまった。布がさっと風にのってしまうと、そこにはあこ法師の姿がなかった。


 その場に居合わせていた子供たちは恐ろしさのあまり、口をきくことさえできなかった。

 事情を聞いた母は、半狂乱のままあちこちを捜しまわったが、見つからなかった。

 三日目の夜中に、女官の家の門を叩く者がいた。女官は恐れつつも戸を閉じたまま、

「誰ぞ」と問うと、

「行方不明になったおまえの子を返してやろう。戸を開けよ」という声がするではないか。


 それでも開けないでいると、家の軒のところで、大勢の笑い声がして、ろうに何かを投げ入れた。

 恐る恐る火を灯してみると、あこ法師がいた。

 子はまるで死人のようで、口もきけず、ただ目をしばたたいているばかりであった。

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