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21.生き胆取り列伝①

「……そんな過去があったなんて、ひどすぎないか?」治彦は口を押さえながらうめいた。のどの奥から烈しく突き上げてくる苦いものを必死でねじ伏せた。


 かつてこの秘密の猟場で、鬼畜の行いがくり広げられていたなんて予想外だった。いくら今から一〇〇〇年以上も昔のできごととはいえ、この窪地はたらふく人の血と、怨嗟えんさを染み込ませたにちがいない。

 ましてやそんな呪われた土地から、にょきにょき生えてくる松茸を長田家だけが採り、全国の消費者はなにも知らずに口にしていたのだ。


 丁次が先ほど言ったように、人骨から溶け出したリン酸が松茸に栄養を与えているのは事実かもしれない。

 では人間の遺体そのものが植物の肥料になり得るだろうか?

 結論としては植物を肥やさない。むしろ枯れてしまう。

 植物は動物の体細胞組織の塊のままでは吸収することができないのである。植物がその成分をもらうには、微生物などに分解され、水に溶ける形になっていなければならないのだ。


 人の遺体は皮膚という袋に覆われている。密封された状態から水分が流れ出そうにも、そのまえに細菌が繁殖してしまい、二酸化炭素やメタンなどを含む嫌気的な腐敗を引き起こしてしまう。

 この嫌気性腐敗ガスは植物の根の細胞にとっては害にしかならない。ことごとく枯れてしまう。


 焼いて粉末状にしたり、灰にすると分解されやすくなるが、与えすぎれば肥料焼け(、、、、)を起こし、結局植物は枯れるだろう。

 むしろ遺体を乾燥させ、細菌より先にカビが増殖できるようにすれば、肥料として利用できるかもしれない。

 動物性の肥料として一般的なのが魚粉ぎょふんである。魚を煮て圧搾あっさくし、水分と脂を抜いて乾燥させ、細かく砕いた粉末状のものだ。窒素・リン酸を多く含み、作物の味をよくする効果が期待できる。


 もっとも魚粉でさえ大量に作物の根元に与えてしまうと異常発酵が起き、同じく肥料焼けになり、場合によっては枯死こししてしまう。

 それを防ぐためにも発酵から熟成へと移行させ、植物が吸収しやすい形に与える必要があるのだ。

 少なくとも人の遺体をよい肥料にさせるには、発酵させるひと手間がいるのであって、そのまま放置しても松茸を肥やしたり、『シロ』が枯れないようにはならない。




 それはそれとして、疑問が浮かんだ。

「しかし、大昔の人骨がいまでも土にかえらず、こうして残るもんなの? いくら緑色に変色してるからって、形はしっかりしてるんだよ?」


「言ったろう。あの岩壁を開門の術で開け、内臓回廊を伝って『行者転ばし』へたどり着いた。正規の手続きでは、ここには入れんのだ。おれたちは異なる次元に足を踏み入れてる。もしかしたら時間の進み具合だってちがうのかもしれん。いずれにしろ、おれにもよくわからん」


「よくわからないのに、いままで疑問をもたず、毎年のんきに松茸を採りにきたもんだね! あの岩壁がピシャッと門を閉じちゃったらって考えたことないの? 」


「すでに門は閉じておる。また内側からマタギの巻物を使って、開門の術を唱えるまでさ。そもそも万が一、誰かに尾行された場合を考えて、門は閉ざすにかぎる。さっきも不法侵入者がいたことだしな。おれたち以外の者に猟場を見つけられては困る」


「先に見つけられたら」

「大ごとになる」

「……それにしたって子供の生き胆って」と、治彦はそばに転がった小さな頭骨を見ながら言った。そのひとつは頭頂部が硬い鈍器のようなもので殴られたかのように陥没していた。

 丁次はタバコを捨て、たんを吐き捨てた。


「マタギがイタズをしとめたときも、いちばん健闘した者が胆嚢たんのうをいただく。これを木の板で挟み込み、乾燥させて作る生薬しょうやく――くまだな。古来より中国でも使われ、日本においては飛鳥時代のころから利用されてきた。胃を丈夫にしたり、肝機能を整える作用があることから、消化器系の薬として幅広く活躍したものだ。マタギは薬屋にこの熊の胆を高値で買い取ってもらったし、薬屋も良質のそれを欲しがった。漢方薬の『熊胆丸ゆうたんがん』の原料にもなったからな。なかでも人間の生き胆は――」

 と、丁次は言いにくそうに声をしぼり出した。




 伝説上において、『生き胆』で連想されるのは『安達ヶ原(あだちがはら)鬼婆おにばば』であろう。

  福島県二本松市(旧安達郡大平村)には黒塚くろづかと呼ばれる墓がある。同時に、かつてここには旅人を襲っては生血を吸い、人肉を食らう鬼婆が住んでいたとされているのだ。


 鬼婆の名は岩手といった。

 岩手はもともと京都の公卿屋敷くぎょうやしきに奉公する乳母うばであった。かわいがる姫が難病にかかり、哀れに思った。


 易者をたずねたところ、「妊婦の腹にいる胎児の生き胆を食べさせれば治る」と助言された。それにすがるようになった。

 こうして岩手は生まれたばかりの実の娘をおいて、生き胆を探すため出立した。

 しかしながら、都合よく妊婦のそれが手に入るはずもない。

 

 京を去り、はるばる奥州までやってきた。疲れきってたどり着いた場所が、この安達ヶ原の岩屋だった。

 彼女はこの岩屋を宿とし、旅人が通りかかるのを待つことにした。

 長い年月がすぎていった。晩秋の寒いある日――。

 若い夫婦が宿を求めてきた。生駒之助いこまのすけ恋衣こいぎぬと名のった二人は、この凍てつく時期に泊まるところもなく、女房は身重のため難儀していたのだ。


 その夜、恋衣が産気づいたので、生駒之助はとるものもとりあえず、薬を求めて外へ出かけていった。

 いまこそ好機到来。このときをどれほど待ち焦がれたか。

 岩手は出刃包丁を研ぎ研ぎ、はやる気持ちを落ち着かせようとした。

 やにわに包丁で女の胸をひと突きした。絶命させたあと、腹を裂き、そしてヌラヌラと血で光る胎児を取り出したのだった。


 ふいに、女が肌身離さず身につけていたお守りに眼がいった。

 愕然とせずにはいられなかった。それは京を発つ間際、実の娘に与えていたものではないか。とすれば、いましがた殺したのはわが子であり、腹の子は孫だったのだ。

 あるまじき所業に、岩手は打ちのめされ、身悶え、やがて発狂した。

 それ以来、旅人を襲う鬼婆へと変わり果てたのだ。




 『今昔物語集』巻二十九の第二十五にも、『丹波守たんばのかみ たいらの 貞盛さだもり児肝じかんを取る語』において、こんな話がある。

 平 貞盛が妊婦の腹を裂き、胎児の肝を得て、身体にできたかさの治療をしようとするのだ。その秘密を守るべく、治療法を教えた医師の殺害をたくらんだ逸話である。


 清盛きよもりの祖父、貞盛は平 将門の乱を鎮圧したことで知られている。剛の者だったが、暴君としての側面もあった。

 あるとき貞盛は矢傷がもとで、身体に悪性の腫瘍ができてしまう。

 都でも屈指の名医に診せたところ、厄介な腫れ物だと告げられた。命にかかわるという。


 治すにはひとつだけ方法がある。――児肝(胎児の、とくに男子の肝臓)なる薬を施せばよいと、ひそかに耳打ちされた。このことは人に知られてはならないとも釘を刺された。

 貞盛は早くなんとかしたいのだが、倫理的にも大っぴらに探すわけにもいかず、手をこまねいていた。

 そんなとき、息子の左衛門尉さえもんのじょうたいらの 維衡これひらの妻が身ごもっていることを知らされる。


 貞盛は息子を呼びつけた。なんと妻の腹にいる子をさし出してくれないかと頼むのだ。

 胎児を取り出せば妻も死ぬだろう。しかし武家の父子は主従と同義。維衡は父の求めには逆らえなかった。

 その場しのぎで了承したが、やはり妻と子の命をおいそれと失うわけにはいかない。

 困り果てた維衡は、児肝をすすめたあの医師に相談する。同情した彼は一計を案じた。


 ついに貞盛は医師を招いた。

 嬉々とした表情で、息子の妻の胎児をもらうことにしたと告げる。それに対し、医師は首を横にふった。自身の血を引いた子のそれではだめだ、と。


 貞盛は歯ぎしりした。

 結局、貞盛は懐妊して六か月の飯炊きの女の腹を裂くが、女子だった。

 さらにほかの妊婦を探しまわり、ついに男子の児肝を手に入れ、生き延びた。


 悪しきうわさが広まるまえに、医師から秘密が洩れるのを防ぐ必要があった。貞盛は維衡に口封じするため、医師を殺せと命じる。

 維衡としても妻子を救ってくれた命の恩人。こんどは医師を助けるため擬装工作を思いつき、まんまと逃げさせることに成功するという話である。

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