2.「そろそろタテを収めようかと考えておる」
長田 治彦の家は、長野の田舎にあった。これといって取り柄のない山間部の集落ながら、長田家は豊かな暮らしをすごすことができた。
両親はせいぜい一町ばかりの田畑をもつありふれた農家で、農繁期以外は上信越自動車道のサービスエリアで、土産物店の手伝いをして生計を立てているにすぎない。けっして世帯年収がほかより飛び抜けているわけではなかった。
というのも、二世帯住宅でいっしょに暮らす祖父、丁次の助けが大きかった。
祖父は若いころ、製材所ひと筋の職人だった。いまは現役を退き、家庭菜園をして余生を送っていた。
そのかたわら、猟を趣味としていたのだ。若いころから余暇を利用して親しんできたので、近隣の山々は知り尽くしていたといっても過言ではない。
いまでこそ九十の高齢ということもあり、長年愛用したボルトアクションライフルはとっくの昔に返納してしまった。
治彦は幼いころを思い出す――山へ行くたび、前日には和室で手入れをしたものだ。全長一〇八センチを誇る、凶暴にして絶対の武器を。
春は山菜、夏は川魚、秋は栗やキノコを採り、冬は罠で小動物を捕らえるといったサイクルで副収入を得て、家計の足しにしていたのだ。その腕前は他県に知れ渡るほどの名人級。いくつもの猟場を知っているからこそ、なし得た稼ぎ方だった。
残暑の日差しがいまだ強い九月下旬。ある日の夕方だった。
縁側の障子戸を開け、涼をとっていた。縁側から外は中庭になっており、打ち水をすませたばかり。池には錦鯉が優雅に泳ぎ、鹿威しがときおり音をたてていた。
八畳の和室で、長田家の四人が食卓を囲んでいた。
食事をしながら、今日あったことを情報交換していた。どれもがありふれた、取るに足りない報告会だった。
話が出尽くすと、やおら丁次は茶碗をおき、
「話の腰を折ってすまんが……おれも大台にのったことだし、猟に関してはそろそろタテを収めようかと考えておる。なにかと心配かけたしな」
と言い、上座に座った息子の宗教に目配せをした。
タテを収めるとは、猟をやめるという意味である。マタギの世界の表現だった。
「そりゃそうだ」と、宗教がたくあんを噛みながら言った。味噌汁の椀を手にしたまま、突き出した。「親父が山へ行くたんびに、こっちは内心ハラハラしぱなしだったんだ。万が一、現地で倒れてみろ。探す方の身にもなってくれ。親父が通ってる猟場はそこらじゅうにあるってのに、いったいどこを探していいやら。ここいらの山じゃ熊だって出る。噛み砕かれた遺体なんか、あんたの知人に見せられやしない。そう言ってくれるのをずっと待ってた」
「あなた、そこまで言わないであげて」宗教の妻である佳苗がとりなした。「……お義父さん、山歩きはたしかに危険なんだし、やっぱり家でじっといて欲しいの。いくら身体が鈍るからって、畑仕事で充分じゃないですか。ご近所のお年召された方たちなんか、グラウンドゴルフで盛りあがってるそうよ。こんどブロック大会が開かれるみたいで、選りすぐりのメンバーで殴り込みをかけるって息巻いてたわ。混ぜてもらったらいかがです?」
丁次はお茶を飲んだあと、唇の端を吊りあげた。
「あんな球転がしなんざ、どこがおもしろいんだか、こちとら理解に苦しむがね」
「また軽蔑して。じいちゃんも、ほかの趣味を見つけたらいいじゃん。器用なんだから、なんだってできるよ」
孫の治彦が横から言った。
治彦は高校一年生だった。地元県立高校へ自転車にのって片道一時間かけて通っていた。勉強はもうひとつだったが、陸上部に入り、めきめき力をつけていた。どちらかと言うと、長距離が得意だった。それも、この祖父といっしょに山歩きをしてきたおかげで、同年代とは比べものにならないほどの持久力を身につけていた。
臆病な一面もあったが――よく言えば慎重派――、いざ覚悟を決めれば、思いきりのよい性格をしていた。六年前に他界した祖母になついていたので、思いやりもあり、人に気遣いもできた。それゆえいささか若者らしくなく、達観した考えをもっていた。
まだあどけなさが残る顔立ちで、となりに座る丁次の横顔を見あげ、
「でも、じいちゃんが猟をしなくなったらしなくなったで、おかずのレパートリーが少なくなっちゃうのも寂しいな」
と、言った。
たしかにテーブルにならんだキジ肉のささ身を混ぜたサラダといい、香ばしいイワナの塩焼きやテナガエビの素揚げ、自然薯の磯辺揚げも、クロスズメバチの幼虫の甘露煮だってそうだ。冷凍していたとはいえ、タケノコの南蛮酢もしかり。すべての食材は、丁次が自然を歩きまわって採取した成果だった。