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19.枯れないシロ

 窪地くぼちふちから中心のアカマツに向けてり進んだ。

 治彦は注意したつもりだったが、夢中になっているうちに後ろ足で松茸を踏んずけたり、『シロ』を台無しにしてしまった。松茸は星の数ほどあるのだから多少の犠牲は仕方ないとして、『シロ』まで荒らしてしまえば、来年以降、松茸が育たなくなる。由々しき問題だった。


 治彦は祖父に詫びると、意外な返事をよこしてきた。

「それがふしぎなことにな」と、丁次は大声で言った。窪地のなかで、おたがいの声はうつろに響いた。

 治彦とは忌み木の反対方向で松茸をみ採っている。しゃがんだ祖父の背後には、産業廃棄物のようにおびただしい人骨が山積みにされており、かたや忌み木のまわりには同心円状に『つぼみ松茸』が飛び出している。負けず劣らず、大量の松ぼっくりも落ちていた。禍々(まがまが)しくも魅惑的な、眩暈めまいを憶えるほどのコントラストだった。


「ふしぎなこと?」

「なぜかこの『行者転ばし』では、『シロ』を荒らしたとしても、明くる年になると復活するらしいんだ。甦るなんて考えられんことだが……。ふつう、なにもしなくても『シロ』はいずれ枯れていく。そういうもんだ。ところがここの『シロ』は枯れることがない。信じられん話さ。代々長田家(おさだけ)が受け継いだ猟場で、安定的に松茸が生えてくるようになっておる。そりゃ多少なりとも、毎年収穫量のバラつきはあるがな。とにかく、そういう特殊な場所なんだ、ここは」


「『シロ』は寿命があるって言ってたじゃん」

「おれにも生態のメカニズムはわからんのだ。謎だな。もしかしたら開門の術で、異なる次元に入ってきた時点で、我々の常識が通用しなくなったのかもしれん。――まあ、そんなのはいいじゃないか。こんなにも松茸が生えてくるのは、ハッキリ言って奇蹟に等しい。おれたち長田家の者だけが独占できるんだ。むしろ、こんな状態がずっと続いてほしいと思っておる。いただけるものはいただく。それだけさ」




 くり返すが、松茸が生える条件として、『シロ』の保存は欠かせない。

 そして本来ならば『シロ』は年とともに衰退していき、完全に途絶えてしまうものである。したがって松茸は生えなくなる。いつまでも毎年松茸を生長させ、ましてや荒らしたとしても再生するなどありえないのだ。


 通常、アカマツの樹齢が二〇年から三〇年になると『シロ』が松茸を生やしはじめ、三〇年から四〇年がもっとも盛んで、七〇年から八〇年で衰退するとされている。この窪地の中央に生えたアカマツの巨木の樹齢は、丁次の知識をもってしてさえ計り知れないが、少なくとも数千年単位であろう。


 一般的にアカマツの平均寿命が二〇〇年とされている。それからかんがみて、異例の生長と言えるだろう。『シロ』自体も従来のデータと比較できず、もしや未知の力が働いているのかもしれない。

 『シロ』とは松茸の本体である菌糸とアカマツの根が合わさった塊である。土中でアカマツ本体を中心に、リング状に形づくられ、松茸はこの『シロ』に沿って生長するわけだ。


 それは松茸に限ったことではない。茸自体は土中にある菌糸の結晶だ。菌糸は白い糸のような形をしている。この菌糸が増える際には、胞子――すなわち植物でいう種を空気中に拡散させる。胞子を飛ばすために、茸ができる仕組みなのだ。


 おおかたの茸は時期がくると胞子を飛ばす。運ばれた胞子はたどり着いた先で発芽して菌糸を作る。そして二つの胞子から出た菌糸が合わさることで、茸を作るほどの力をもった菌糸へと育つのだ。

 松茸はアカマツと共生関係である。アカマツの根よりも松茸の菌糸の方がより細いので、アカマツの根の微細な部分にまで入り込み、土の栄養を効率よく吸収するのだ。


 松茸は水分やリン酸をアカマツに分け与えているとされている。一方、アカマツは光合成をすることにより、炭水化物を作り、これを松茸に送っているというのだ。

 山中にある松茸だけでなく、天然の栗だってそうだ。山の恵みを我々に分けてくれるが、人間が肥料を与えているわけではない。


 植物の根と微生物はギブアンドテイクの関係で成り立っている。植物はリンが足りなければ、みずからの窒素の放出量を増やし、見返りとして微生物からリンを多くもらうのだという。多かれ少なかれ、自然は持ちつ持たれつの関係で生存しているのである。




 治彦と丁次は松茸を採り続け、二時間もしないうちに背負しょいかごをいっぱいにさせた。うれしい時間はあっという間にすぎ去るものだ。緩衝材がわりのアカマツの葉は幾重にも敷きつめている。飾りとしていくつかの松ぼっくりを添えた。

 丁次にかぎっては、三十六リットルサイズの大きさのかごだけでなく、持ち物のなかから風呂敷まで広げて、採ったものを詰め込んで結び、かごの上に重ねた。かなりの重量になるはずだ。


 結局、『行者転ばし』一面に生えた松茸の五分の一も採ったかどうか。残りは後日、ふたたびここに戻ってくることにした。なんとか一度ですべてを回収したいところだが、物理的に不可能だった。

 いまだ忌み木を中心にして、採りごろの松茸が生え広がっている。


 これだけあれば……このすべてを毎年、長田家だけが独占すれば、かなりの稼ぎとなり、家計の足しになるどころか、ひと財産を築くことができるだろう。

 相場では、一流の山菜採り名人は松茸のピーク時だけで、一日五~一〇万円稼ぐという。

 この猟場さえあれば、売り方にもよるが、一度の回収で二〇〇万~四〇〇万単位になるはずだ。今回、丁次だけではなく治彦の分を足すと、五〇〇万を超えるのではないか。


 治彦はかごのなかを見た。

 緑もあざやかなアカマツの葉を下敷きに、ぎっしりと、食欲をそそる特上の『つぼみ松茸』が並んでいた。地面に眼を向ければ、いまだ忌み木のまわりにはつゆで光った松茸が林立している。


 治彦は思った――これだけの松茸を売りさばけば、両親は小遣いを増やしてくれるかもしれない。

 いや、毎月五〇〇〇円のそれは据え置きでもいい。むしろこの時期の働きで、臨時ボーナスとして数十万ほどもらっても罰は当たるまい。それに見合う労働をしている。これからは治彦の若い体力がものを言うだろう。得体の知れない内臓に手を触れたし、無数の白骨死体に囲まれて、たっぷり怖い思いもしたのだ。


 最新式の家庭用ゲーム機をもう一台そろえ、ソフトも買いまくることもわけはない。大好きなRPGをやり倒してやる。それともえゲーの収集だ。後者のコレクションに関しては、クラスのみんなには内緒にしている。

 くわえて治彦は無類のスイーツ好きだった。

 陸上部に所属している身としては控えたいところだが、どうにも誘惑には逆らえない。プリン系とアイスクリームには目がなかった。


 ボーナスが入れば長野市までくり出し、朝から晩まで食べ歩きするのも悪くない。

 いっそのこと、美術部の皆川 ひなたを誘って全店舗のスイーツを制覇してやろう。――考えてみれば、ひなたとプライベートで会ったことがない。となると、これは立派なデートだ。


 デートになれば、エスカレートしそうだ。

 最近、ひなたの身体から色香が匂い立ってきた。二人で話をしていて、むしょうに抱きしめたいと思うことが多くなった。そのたびに治彦の若々しい肉体は、はちきれんばかりになる。どうにもがまんできない。

 いきなりホテルに連れ込むのは嫌われるだろうから、しばらくは自重するとして――いずれ押し倒したい。あとは野となれ山となれだ。そうだ、まずは勇気を出して避妊具を買うべきだ。


 そしてボーナスの残りは将来にそなえ、手堅く貯金しておこう。

 つまるところ、堅実に生きるのがいちばんだ。宗教むねのりも念仏のようにくり返している。気が小さくて皮肉屋なのが鼻につくとはいえ、なんだかんだ言って父みたいな人間が確実に財産を増やしていくものだ。




 ――ふだん、おっとりした治彦さえも、欲望のとりこにしてしまうほど、この窪地は魅力的だった。

 なるほど丁次が秘密にしたがるのもわかる。不可解なことに、『シロ』が枯れず、松茸が異様に採れる猟場。これを利用しない手はない。


 土地の魔力をもってすれば、いくらでも可能性が広がるだろう。畢竟ひっきょう、金さえあればだ。

 この際、至るところに散らばった人骨の気味悪さは慣れてきたような気がした。じっさいいまとなっては、さほど寒気を憶えなくなっている。欲の前にはなにほどでもない。


 背負いかごを担いだ丁次が治彦のもとにやってきた。ひと風呂浴びたかのように、さっぱりした顔をしている。まるでそんな浮ついた治彦の心を見透かしたかのように、

「わかるぞ、ハル坊。無欲のおまえですら眼が輝いておるからな。おまえもここで、本気でゼニを稼ぎたいと思ったろう。稼いだゼニでなにに使うかは、口をはさむつもりはないが」と言って、首にかけたタオルで顔の汗を拭った。「けどな、ハル。物事には節度ってもんがある。分をわきまえないといけない。あとで手痛いしっぺ返しをうけることがある。自然の摂理ってなあ、そういうもんだ。欲をかきすぎるなよ」


「……そ、そうだね。あやうくダークサイドに引きずり込まれるところだった。ありがと」と、治彦は眼をしばたたかせて、ぎこちなく笑った。それでも実感が沸かず、勢いよく頬を叩いた。欲望の坩堝るつぼにはまってしまうところだった。

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