16.山達由来記と呪文による開門術
「それはなに? 血がついてるけど」怪訝そうに聞いた。「もしかして鹿? 鹿っぽい形、してるけど」
「これ……山言葉だ。カモシカと言いなさい」と、治彦の声をさえぎるように鋭く言った。
「じゃあ訂正。コシマケ」
たしかに、くたびれた皮のような物体は四肢をそなえ、頭部とおぼしい部分には角を思わせる突起物が飛び出ていた。骨はあるのだが、身体の中身がきれいにくり抜かれている。なぜこんなことになっているのか――。
「いかにも、これはコシマケだ。いましがたの鉄砲持ちに撃たれたのだろう。おそらく至近距離から散弾がばらまかれるまえに直接ヒットし、腹の一部に穴が開いたにちがいない。強烈な一撃で内臓が飛び出した。幸か不幸か、致命傷にはならなかった。コシマケもたいしたものだ。人間さまに捕まりたくないわけだから、必死の気力で逃げようとする。ワタを露出したままだ。逃げようとするのだが、はみ出た腸を木の枝に引っかけ、ズルズルとワタがはき出される。しまいにはほとんどの臓器が露出し、皮と骨だけとなって、ようやく死に至る。その名残りがこれだ」
話を聞いていた治彦は慄然とし、顔色を失った。いくら瞬時にしてアドレナリンが分泌されるとはいえ、獣はそこまでも死に物狂いで抵抗するとは……。
「内臓がないぞうかよ」と、治彦は顔をそむけて吐き気をこらえた。「山じゃ、こんなことって、よくあるの?」
「さほどめずらしくない。カモシカのほかに、猪や熊だって、同じように手負いとなり、最終的にこんな死に方をするものもいる」
「こえー!」治彦はわが身を抱いた。すぐに眼を見開き、「……でも、秘密の猟場ってそろそろなんでしょ? ひょっとして、いまの違法ハンターに先を越されてるってことはないよね?」
「その秘密の猟場だが」丁次は腰の鉈の鞘に手をかけたまま、背筋を伸ばして言った。「ここからは、ある意味、常識が通用しない方法で猟場に入っていく。おまえが好きなオカルトの世界と言いきっても、さしつかえないかもしれんな」
「オカルト?」
「長田家だけが知る秘密の猟場へは、特殊なやり方でしか立ち入れん。方法を知らぬ部外者にはできん技だ。なぜならその秘密の場所は、この世界とはちがう次元を超えた先にあるからだ」
「いきなりなんなのそれ――」
「とにかく、例のハンターがまだ近くにいないか、いま一度探してみよう。おれたちがその方法で入るところを目撃されても困るからな。手分けして探し、まちがいなく逃げていったか確認するのだ」
と言って、二人は森を歩き、違法ハンターが立ち去ったことを念入りにたしかめた。
どこを探しても、すでに気配はなかった。
ようやく緊張を解いた丁次が背負いかごをおろした。なかから荷物を出した。
風呂敷に包まれたものを丁寧に地面におき、布をめくっていった。
現れたのは黄ばみ、ボロボロに破れた巻物だった。丁次はさっと巻物を広げてみせた。
『山達由来記』と達筆で書かれている。――マタギの秘伝書だった。
「おまえはちょっと離れて待っておれ。いまから猟場へ入る儀式をはじめる」
「儀式ってなに?」
「とにかくおれがやることを、しかと憶えるんだぞ。来年からはおまえがやらねばならん」
「だったら、メモしとかなきゃ……」
丁次は巻物を広げたまま、森の端に歩いていった。
岩壁がそそり立っていた。およそ乗り越えられそうにない。森には太陽の光が届かないが、岩壁だけが陽光を照り返し、白く輝いている。
治彦は上の庇状になった部分を見あげた。
庇の下には、あきらかに誰かが彫り込んだ文字が描かれていた。〇が刻まれ、円のなかに『長』と彫られている。わざわざ聞かなくとも、長田家を示すものなのだろう。
意味ありげな岩場だ。しかしいくら見まわしても、それ以上の情報は得られない。
丁次はその岩場に向かって、
「阿毘羅吽欠蘇婆訶」と、つぶやいた。大日如来に祈るときの呪文だ。丁次はくり返し、唱えはじめた。
そもそもマタギとはなにか?
青森、岩手、秋田、宮城、新潟などの山中で、古い猟法を使って集団で狩猟を行う者を指す。『又鬼』などの文字をあてることもあり、アイヌ語で『狩猟者』を『マタンギトノ』というので、これから転じた語という説もあったが、のちに名称の伝播は逆に日本語から移ったものだと明らかにされている。
東北地方では特定の業に従う人であるが、アイヌの場合、狩猟は一般人の生業であった。
語源が不明なため上記のほかにいくつかの諸説がある。山をまたいで歩くからとか、山中を他領に越境して猟をするため、他地住民にとがめられた際に、マダ(繊維を生ずる樹皮)を剥ぎにきたと言い訳したことから『マダハギ』と呼んだ。それが転訛し、マダギとなったとするもの。もしくは、四国南部で狩することを『マトギ』と言ったことから流用したとする説がある。
いずれにせよ、彼らは遠い昔に神々や時の権力者によって、諸国を自由に越えて狩りすることが許されたとされ、そのライセンスのしるしとして、自らのルーツを記した巻物をつねに所持しているのだ。
いま丁次が手にしている巻物『山達由来記』とは、マタギの由来と権威をしたためた秘伝書のことである。かつては狩りで山に入るときは必ず身につけなければならなかった。巻物は神聖なものと扱われ、ふだんは家族にさえ見せてはならない決まりがあった。親から子へ引き継がれたという。
その内容を見ると、マタギにはいくつかの系譜があったことが明らかとなる。 たいていマタギの巻物のタイプは三つに分けられるとされる。
日光山と赤城山の戦いで日光山に味方して狩りを許された万治 万三郎を始祖とする日光派の『山達根本之巻』。
山の神の出産を助けたために福を得たという『西山猟師譚』。
そして三つめが、丁次が手にしている 弘法大師に諸国での猟を許されたと言われる高野派の『山達由来記』の流派である。
これらの巻物については、秋田民俗学の草分けとされている奈良 環之助によると、
「日光系は天台宗、高野派は真言宗を代表し、ともに密教、高山仏教との関連を物語る。精神的にはマタギの守り本尊で、実用的には峰から峰へと藩界越境の許可証となった」という。したがって、国境を越えて猟をする場合のパスポートと同義であろう。
江戸時代における仏教は生き物を殺してはならない、神道では肉を食べると穢れるといった教えが知れ渡っていた。公には肉食が禁止されていた時代であった。
にもかかわらず、庶民は猪肉を『山くじら』、または『ぼたん肉』、鹿肉は『紅葉』、馬肉は『桜』と、弁解がましい名称をつけて食べていたので知られている。
ちなみに兎は動物なのに、なぜ『一羽二羽』と数えるかというと、やはり四足動物を食べるのを禁じられた坊主や、江戸時代の庶民が『兎は鳥だ』と偽って食べたためだというのは有名な話だ。
同様に、マタギの世界でも殺生に対する罪悪感があったにちがいない。
『日本中、どこの山々でも、鳥獣の殺生を許される狩猟免許』が、巻物というシンボルに集約させることでその罪を弱めようとしたのかもしれない。
秋田マタギは、山岳信仰や密教、山伏(修験道)と出会って、こうした巻物やさまざまな宗教儀礼、禁忌などを取り入れ、独特のマタギ文化を形成していったと推測されている。
巻物には、獲物をしとめたあとの『仕送り』の方法所作や、呪文を記す伝書が記され、川内町畑マタギが持っていた『万事之巻』には武芸の捕縛術伝書まであり、マタギが独自の知識や技術を伝承していたことが推し量ることができる。
ただしマタギ自身が、これらの巻物を広げて内容を熟読することは少なかった。大切に所持していることこそ重要だったようで、やはりマタギには要とも言えるシンボリックアイテムだったのだろう。




