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10.土壌の富栄養化と、山の手入れ不足

 三〇分かけてブナの原生林を突っ切った。

 二人が斜面を登ると、まわりはアカマツの目立つ林に様変わりした。

 適度に立木の間隔があいている。地面も腐葉層が豊かなのか、フカフカした感触が足裏に伝わってくる。


 松茸がいつ見つかってもふしぎではない雰囲気だ。

 ただ難点は、行く手を阻む雑木や朽ち木の数もおびただしく、落ち葉がうず高く積もり重なっていた。その量はいささか多すぎた。


「松茸は『山のダイヤ』と呼ばれた。山菜採り名人、あるいは茸狩り師にとって、まさにヨダレが出んばかりの最高の食材だ。誰もが眼の色変えて、それを狙う」と、丁次は手近なアカマツの根もとを調べながら言った。が、松茸は見当たらず、すぐに立ちあがった。


「残念ながら、こっちにもないね」と、治彦が別のアカマツ周辺を探りながら言った。

「嘆かわしいことに、最近はなかなか生えてこなくなってる。山の手入れ不足から、育ちにくい環境になっておるのだ。いろんな要素があるが――ここなぞ、落ち葉があまりにも多い。まったく地面が露出していない。こんな状態だと、やたらと土が肥えてしまい、富栄養化ふえいようかを嫌う松茸菌が、かえって育たなくなるのだ。松茸菌はアカマツと持ちつ持たれつの関係だ。よって、アカマツ自体も元気を失ってしまうんだ。結果的に枯死につながるってわけだ。そうなると、松茸もハイ、サヨナラだ」


 富栄養化とは、たとえば湖、沼、内海、湾など閉鎖された水域で、生活排水や工場のそれにより、微生物や藻類の栄養になる窒素やリンなどが増加し、これらが繁殖しやすくなる状態のことをさす。

 一見、栄養になるものが増えることは悪くないように思える。


 が、自然は生物が一定のバランスを保つことで守られているのだ。栄養の偏りは自然のバランスを壊してしまう。富栄養化した湖や海などでは、水中の植物やプランクトンが一気に過多となる。これらが死ぬと、窒素やリンが溶けてますます栄養豊富となり、植物やプランクトンはさらに増大してしまう。


 富栄養化が進むと、こんどはアオコや赤潮が発生する要因となる。アオコは沼や湖で、赤潮は主として海に発生。いずれも正体はプランクトンで、アオコや赤潮が広がれば、水中の酸素が少なくなるため、魚介類が酸素不足で死滅してしまうわけである。


 土壌にも同じことが当てはまるのだ。肥料をやりすぎて栄養過多となってもいけない。松茸菌はただでさえ脆弱ぜいじゃくなのに、なまじほかの茸菌や、土中の微生物が活発になるため、肝心の松茸菌の生長が阻害されてしまう。松茸はこれらの競争にあまりにも弱く、むしろ有機物の少ない、やせた土地の方が好ましいのだ。


 そもそも松茸はカビの仲間である。生物遺体を分解する能力のない菌根菌きんこんきんの一種だとされている。

 菌根菌は生きた植物(宿主ホスト)の一ミリ未満の細根さいこんに感染し、光合成産物である糖類を宿主から摂取。

  反対に宿主は菌根を介し、土壌中のミネラル類を受け取ったり、土壌微生物の攻撃や乾燥から根を守られたりする、いわゆる共生関係である。


 日本において宿主は、アカマツ、クロマツ、ハイマツ、エゾマツなどであるが、松茸が採取できる率の多さでは、やはりアカマツに軍配があがるだろう。我が国の山林で松茸狩りするならば、アカマツの存在抜きには考えられないとまで言われている。


 ちなみに農林水産省『特用林産物生産統計調査(平成二十六年度)』によると、国産松茸のおよそ八〇パーセントが、ここ長野県で収穫されている。次いで岩手県がおよそ八パーセント。

 したがって、市場に出まわっている国産松茸のほとんどは、長野県産が幅を利かせているということになる。


 もっとも、刻一刻と松茸の生産量は激減の一途をたどっている。

 昭和一〇から二〇年代こそ、松茸を『蹴飛ばすほど生えた』と、産地ではうれしい悲鳴があがった。

 ところが昭和十六(一九四一)年の一万二二二二トンの量をピークに、戦後、昭和三十五(一九六〇)年ごろからその数が減少傾向になり、最近ではその六〇分の一から一〇〇分の一にまで落ち込み、日本の市場は深刻化している。


 となると、輸入に頼らざるを得ない。

 しかしながら、松茸は生鮮食品。馥郁ふくいくたる香りと味わいは鮮度が命である。山で採取してから、調理するまでの時間が早ければ早いほどよいとされ、収穫後、三日までが限界だと言われている。

 輸入ものは輸送の段階で鮮度が落ちてしまい、挙句の果て、農薬などのせいで香りまで洗浄されてしまうので、国産ものにかなわないのである。


 土壌の富栄養化のほかに、なぜこれほどまで国産品の収穫が乏しくなったのか?

 というのも、丁次が言ったように、アカマツ林の手入れ不足が挙げられるのだ。皮肉にも、高度経済成長による国民の生活が豊かになり、それにともない、農業・林業の近代化が手入れ不足を招いてしまったのである。


 まだまきで煮炊きしていた時代、人は材木や炭の原材料や、柴を得るために森や林にくり出し、これを拾い集めていた。同時にこの仕事が、山を健全な状態に保つのに一役買っていたのだ。現在のように、わざわざ間伐かんばつ伐採ばっさいをする手間をかける必要もなかった。地方は高齢化が進み、そこまで人の手が入らなくなったのが現状である。


 いまや山に入る目的と言えば、山菜や茸を採るためにだけであって、豊かな土壌を維持するようにはなっていない。これでは遠からずアカマツも枯死し、安定的な松茸の収穫も望めなくなる。

 近年の山は疲弊ひへいしているという。そのうえ多様な生物の生活をも脅かす場と変化してしまった。


 いくら長田家が所有する六人行者岳とはいえ、アカマツ林への道のりは険しい。

 たとえ定期的に通ったとしても、高齢の丁次が一人がんばったところで、山を良好な状態に保つには物理的な限界があった。宗教むねのりも放棄したも同然だった。たしかに、山の手入れに時間と労力を割いたはいいが、はたしてどれほどの見返りが期待できるのか、現実的にはかなり怪しい。それほど松茸が自生するかどうかは天文学的な確率であり、土地を荒らしてしまえば、翌年は生えてこなくなる危うさなのだ。

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