三話 到着前夜
……さて、ここまでで俺がどういう人物かは分かって貰えたと思うが、改めて自己紹介をするか。
と言うのも、西側の国では『ギルド』とやらに所属せずに魔物の討伐を行うことは違法らしく、最悪専用の処刑人まで出向くらしい。
何でも、討伐が基本禁止されている特定保護種族とやらの素材は馬鹿にならないレートで裏取引されるらしく、それを防ぐためなんだとか。
そいつらの素材が試せないのは惜しいが、まぁ、決まりなら仕方ない。
しかし、その肝心の『ギルド』に所属するにあたって専用の身分証明書を発行しなきゃならないらしく、書類も書かなきゃいけないらしい。
と言う訳で、今はこうして柄にもなく自己分析をしてるって訳だ。
俺の名は骸。苗字なんて大層な物は無いが、便宜上、俺がおやっさんから受け継いだ『クロガネ』の称号と合わせて、クロガネ・ムクロと名乗っている。
目印は額に付けた傷入りの黒い鉢金だ、分かりやすいだろ?
育ちは世にも珍しい黒い狐妖怪が住む集落『黒妖狐の里』、俺はその黒妖狐じゃないんだが、気が付いたらそこにいて、妖怪の世話になっていた。
俺自身は正真正銘只の人間なんだが、常日頃から東側の大陸にしかいない固有の魔物こと『妖怪』から放たれる特異な魔力、通称『妖気』を大量に浴びて育ったせいなのか、妖怪としての力が僅かに定着してしまったらしく、そうして身に着いたのが唯一使える妖術、『圧縮収納』だ。
媒体こそ必要だが、空間や物体などありとあらゆる物を圧縮し、封じ込める事が出来る。
媒体ってのは一番分かりやすいのは持ち運び式工房『箱庭』に使っている鞄だな。あれのガワの制作には大量の魔石を使用している。意外と重いんだぜ? あの鞄。
年は禄に数えたことも無かったが、多分十七、八歳くらいのはずだ。
名前のムクロってのは屍……まぁ、死体の事なんだが、七奈の話じゃあ俺がガキの時に『婆ちゃん』達が狩って来た獲物の骨で変な物を作って遊んでいたことから来てるらしい。
確かに今も、退治した妖怪や獣の骨や皮で武器を作ってはいるがな。
職業は見ての通り鍛冶屋だ。だがそんじょそこらの鍛冶屋と一緒にして貰っちゃあ困る。
『クロガネ』は人も妖も幽霊も対等に扱う鍛冶屋だ。
だから体長が自分の倍近くある狼男の武器の手入れもするし、妖刀とか呪われた武具の手入れはお手の物、加えて訳ありの素材を使った武器の設計もやっている。
そして、俺が今書いているこれは二代目になる『クロガネの武装制覇』の冒頭独白部分の下書きでもある。
こいつをそっくりそのまま使うかどうかはさておき、その『クロガネの武装制覇』についても少し触れておくか。
黒い龍の皮で作られた表紙が特徴的な初代『クロガネの武装制覇』は、先代であるおやっさんのそのまた先代、詰まる所の『初代クロガネ』が書き残した100通り以上に渡る武器や道具の設計図と、日記の一部を書き記したものだ。
初代からおやっさんの手に渡る頃には大分間が空いたせいで伝授されなかったカラクリもあるらしく、おやっさんはそれを再現するので精一杯だったらしい。
で、三代目である俺はおやっさんや初代クロガネの作ってきた武器を超えるべく、新たな素材を求めて西側の大陸に渡ろうとしている訳だ。
船が東側の大陸を出発してから今日で四十九日、予定では明日の朝に西側の大陸の港町に着くらしい。あぁ、早く着いてくれねえかな。
七奈ってのは、今では俺の護衛を務めてくれている妖怪の少女だ。
剣術を習う師であり、旅を共にする友であり、そしてガキん時から俺を見てくれた姉みたいなもんだと思ってる。
年齢に関する単語に敏感なのでここにこっそり記しておくが、少なくとも人間基準では『少女』の年齢じゃあないだろう。
俺が物心ついた時から、その容姿は全く変わってないしな。
ふさふさの黒い尻尾と頭頂部のもう一対の耳から分かるように彼女も黒妖狐で、何と族長である『婆ちゃん』の孫だったりする。
勿論、本来の姿である狐に戻ることも可能で、その際は綺麗な毛並みが特徴の黒い七尾の狐になる。
最も、元来なら妖怪からすれば、自分らより低能の人間に化けること自体が烏滸がましい事の筈なんだが、彼女ら黒妖狐たちは好んで人間態になる珍しい種族だ。
そんな黒妖狐は、太古より認めた相手にはある特殊な『石』を献上する習わしがある。
その名も『黒妖石』。
黒妖狐の体内でしか生成されない、非常に特殊かつ貴重な石だ。
素材としての評価だが、まるで闇を具現化させたような禍々しくも綺麗な黒色の鉱石で、持ち主の妖気の影響をダイレクトに受ける性質があり、その使い方次第では硬度だけに頼らない、まさしく柔よく剛を制す武具も作れてしまう。
んで、肝心の認められる相手なんだが、人妖問わず鍛冶屋や職人等が多いな。
俺もその一人で、七奈から託された黒妖石で彼女の腰に下げている太刀、『月夜羽々斬』を鍛え上げた。
あれは俺の中でも最高傑作の一つに入るね。
ちなみに七奈って言う名前は実のところ七本の尻尾から取られた偽名で、本名は俺も知らなかったりする。
妖怪の中には真名を握られると面倒な奴もいるらしいからな、当たり前の対策だろう。
例え俺が人質に取られても、俺が知らなければ口を割らせようにも割れないしな。
「—————だぁーっ!! 指がいてえし内容が思いつかねえ!!」
そろそろ書くのも疲れたので、西の国から仕入れた巨大な獣の牙から作られた万年筆を置き、個室のベッドに倒れこんでやった。
今俺は、西と東の大陸を繋ぐ数少ない連絡船の宿泊用個室にいる。七奈は夜風に当たってくると言っていたので、部屋には俺一人だ。
船の規模は長距離の航海に耐える為か中々大したものなのだが、個室の居住性などはお世辞にも料金に見合っているかと聞かれたら首を捻らざるを得ない。
何でも、海路の環境が整い直したのはここ数年の出来事らしく、船の本数も少ないので使用料金も馬鹿にならない。
それでも連絡船が出せるってことは、多分水霊龍のおっちゃんが尽力してくれたんだろうな……ちょっと前は、何者かに壊された海の守り神である水霊龍の依り代を誰も直す事が出来ずに守護の力が弱まってしまい、海は魔物が跋扈する魔境だった。
船を動かそうと思えば、それこそ戦争でもする気かと目を疑うほどの数の護衛が必要なくらいには。
まぁ、俺がおっちゃんの依り代である矛を鍛え直したお陰で、今では以前のように海の環境を整えるために動いてくれている訳だが。
――――――――そこまで一通り考えた所で、俺はふと思い出した。
「……この船、何でか知らんが浴場付いてるんだよなぁ」
そう、何故搭載したかは知らないが、この船にはなんと大きな浴場が搭載されている。
何回かお世話になったが、その時は先客も一緒だったりであまりゆっくり入ることが出来なかった。
もう夜も遅いし、今なら俺一人で占領することも可能だろう。
「ま、風呂に入って気分転換でもするか」
思い立ったが吉日、俺は今では下書きの寄せ集めと化した二代目『クロガネの武装制覇』に鍵を掛けると、『箱庭』の蓋裏から着替えを取り出し、浴場へ向かった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
風呂。
それは体を洗う場所であり、魂を洗う場所である。
いつか『箱庭』にも搭載しようと思っているんだが、空きスペースが無い上に素材が集まらず、中々作れずじまいだ。
しかし、まさか海の上でこんなに豪華な風呂場に入れるとは思いもよらなかった。
床は一面上質な石が敷き詰められており、浴槽には特上とは言わない物の上質なヒノキが使われ、湯気に独特の香りを持たせる。
しかも広い、こんなに広い風呂場を独り占めできるとは、俺も随分贅沢した物だな。
「そう言えば、こんなデカい風呂入ったのいつ以来だっけなぁ……」
「確か、これの前は三か月ほど前の温泉街以来では?」
俺が独り言を呟くと、少女の声で返答が返って来た。
すげぇな、最近の風呂は独り言に返答までするのか。どういう仕掛けなのか気になる所だ。
先日までは何とも無かったはずだが、もしかして一人の時だと機能するのか?
「そうそう、確か依頼の報酬で宿泊券を貰ったんだよな……ん?」
そこまで言った所で一度桶の中の湯を頭から被り、冷静に考える。風呂場が独り言に返答するだと?
ん な わ け あ る か ! !
今しがた聞いた声色を頭の中でもう一度再生、それが記憶の中のある人物と合致し、振り返るとそこには、
「七奈ぁ!? 何でお前がここに!? ここ男用!! つーか番台はどうした!?」
「この程度の幻惑術も見破れない見張りなど、いてもいなくても同じですわ」
一瞬俺と似たような姿の少年がいたかのように見えたが、それはすぐに陽炎の様に消え去り、本性を現す。彼女が得意とする術の一つ、幻惑妖術だ。
薄れた幻影から姿を現したのは、風呂桶を小脇に抱えた七奈だった。
一糸纏わぬ彼女の姿は見慣れたつもりだったが、その惜し気なく曝け出された瑞々しい肢体に、心臓が跳ね上がるのが分かる。
だが、当の本人は全く悪びれた様子を見せず、俺の反応を見て面白そうに笑みを浮かべるだけだ……が、
「はぁ……どうせ背中でも流しに、とか言う根端だろ?」
「あら? 随分と冷めた反応ですわね。はぁ……私、少し自信を無くしましたわ」
深呼吸して完全に動揺を落ち着けた俺を見て、つまらなさそうにため息を吐く七奈。
だがな、これは別に俺が異性に興味が無いとかそう言う訳では無い。確かに七奈は綺麗だ。
人間の18、9歳基準で言えば背は高い方だし、胸もそこそこに大きい。
その湯気の熱気に晒されてほんのり桜色に染まった肌や、長い髪が纏め上げられた事によって拝めるうなじに興奮しないかと言われれば嘘になるし、確かにそそられる。
けどなぁ……あれは8年前くらい前、つまり俺がまだ10歳前後の時か?
黒妖狐の族長である婆ちゃんの家で育った俺だが、何と婆ちゃんの家には大量の使用人がいた。
しかも全員七奈に匹敵するくらい美人のお姉さんときている。興味津々の彼女らは物珍しい人間の子供である俺を一目見ようと……後はまぁ、察してくれ。要はこういう状況に耐性が付いちまったんだ。
「単に慣れだよ慣れ。里にいたころに比べりゃあ、この程度の状況訳無いからな」
「ふふっ、そう言えばそうでしたわね。なんでしたら、昔みたいに『七奈姉』って呼んでくれてもいいんですよ?」
「却下だ却下。俺もいつまでもガキじゃないって……けどまぁ、お言葉に甘えて背中は任せるとするかな」
「えぇ、では失礼しますわ」
俺が背中を流すことに許可を出すと、嬉しさからか七奈の声色が僅かながら明るくなる。
いつもその蠱惑的な笑みと声色で俺を含む多くの男を魅了してきた七奈だが、それに惑わされること無く彼女の本心を読み取れるのは俺の密かな自慢だ。
最も、こっちは物心ついた時から一緒にいるんだ。それくらい出来て当然っちゃ当然か。
相当ご機嫌なのか、鼻歌を歌いながら俺の背中を丁寧に流してくれている七奈。
背中に感じる彼女のか細く柔らかい手と、触れそうで触れない何か柔らかいモノ。
それを意識すると少し気恥しいが、それ以上に安堵感が勝る。里にいた頃も、よくこうして洗って貰ってたっけな……
「こうして見ると、本当に大きくなられましたわね。少し前までは身長もわたくしの方が上でしたのに」
「まぁ、あれだけ大量に食わされればなぁ、少しは成長に影響も出るってもんだろ?」
確かに、いつの間に七奈よりデカくなってたんだろうな、俺。一昔前は背伸びしても二の腕に届くかどうかだったのに。
まぁ、毎日の様にあれだけ食わされてあれだけ寝れば、少しは身長も伸びるってか?
婆ちゃんの料理は確かに味こそ最高だが、人間の胃袋には少しばかりキツいものがある量だったな、あれは。
そう言えば、ここしばらく食ってねぇな……婆ちゃんの山賊焼き。
……………
そうこうしているうちに俺の背中は流し終わり、自分の体を流し終えた七奈と浴槽に背中合わせで浸かっている事数分。
俺たちは同時に異変を察知した。
上の階から僅かながら足音が聞こえる。しかし、そのどれもが慌ただしく、数も異常に多い。
こんな真夜中にこれほど大量の人員が一斉に動き出すことなど、普通ではありえないはずだ。
だとすれば……
「普通じゃない事態が起きてるって事か……」
「ムクロ様は『箱庭』を、上は私が見て参りますわ」
「頼んだ」
自分には関係ないと思って浴槽に浸かっていたい気持ちは山々だったが、もしもこの船が沈むようなことがあれば厄介だ。
気持ちを切り替えて同時に浴槽から立ち上がり、転ばないように早歩きで脱衣所に向かう。
そしてその数瞬後……船体が傾くほどの衝撃が、船を襲った。