一話 思い立ったが何とやら
この世界には、俗に魔力と呼ばれる不思議な力が存在している。
その力は大気に宿り、水に宿り、物に宿り、そして当然ながら生き物にも宿る。
魔力が宿った存在は皆、不思議な力を使え、人はそれを『固有魔法』と呼ぶ。
この世界にある存在は、全てその力と共に在り続けた。
だが……世の常と言うべきか、それとも人の性さがと言うべきか。
人間はいつだってこの力の強さと、神から授かる才能、通称『スキル』でその人物の価値を見てしまう。
強大な力を授かった者は優遇され、そうで無かった者の末路は言うまでもない。
そんな世界で、とある村に住む鍛冶屋の少年は、己には全くと言って良いほど力が宿っていないことを知らされる。
だがその少年は、決して絶望することは無かった。
『無い物はねだっても仕方ねぇ。迷う前に知恵を絞れ、妬む前に手を動かせ、じゃなきゃ鍛冶屋はやってけねぇ、ってな!!』
そう言って、彼は今日も図面を描く。
『固有魔法』や『スキル』などに頼らずとも戦える『武器』を、己の手で作り上げるために。
そうして彼が作り上げた武器は、素材の味生かしながらも幾多ものカラクリと他とは一線を画す独自の術式を仕込むことにより、固有魔法の恩恵無しに不可思議な能力を秘めるという。
頭には黒い鉢金が巻かれていたことから、何時しか人々はその少年の事を『クロガネ』と呼ぶようになった。
やがて少年は老いて老人となり、この世から去る前に一冊の本を完成させる。
今まで自分が作り上げた武具の設計図を全て詰め込んだ、龍の皮で作られた背表紙が特徴の黒い本を。
その書物の名は――――――『クロガネの武装制覇』
その日は雨が降っていた。大降りでも小降りでもない、ごく普通の量の雨。
その中をただ一人、傘を差さずに歩いている少年がいた。特に何の変哲もない十歳くらいの、東の国の服を纏った黒髪の少年だ。
だが、誰一人としてその少年に近づこうともしない。
『やーい、無能!! 逆立ちしても火球すら放てない無能やーい!!』
『あの子が噂の? 近寄っちゃだめよ。無能がうつるから』
『何でお前寺子屋に来てるの? 来る意味ないでしょ? 能力も使えないのに』
傘の無い少年に浴びせられる言葉に慰めは無く、その全てが罵倒だけ。
そう、誰しもが持っているとされている『固有魔法』を、この少年は持っていないのだ。
故に無能と呼ばれ、周囲から蔑まれてきた。
少年の通う寺子屋の教師も彼をどこか煙たがっている節があり、そんな虐めを見て見ぬふりをし続けている。
幸い、少年は体術に関するセンスはあったのか、同い年くらいの子供二、三人程度の相手ならばまだ拳で黙らせることが出来たが、日に日にエスカレートしていく虐めには流石に対抗しきれない上、彼の敵はもはや寺子屋にいる人間だけではない。
暗転。
そんな少年も限界が来たのか、遂に本格的な行動に出る。
ぜぇ……はぁ……と、息を切らす少年の腕は、まるで鎧を付けた鬼の腕を彷彿とさせるほど、隆々として巨大だった。
その鋼で作られた両腕を装備した少年は、巨大な柄を抱えている。
そう、彼が抱えているのは巨大な打刀の柄だった。当然柄があるのなら刃もある訳であり、その巨大な刃の全長は、人間の身長のおよそ十数倍の大きさを持つ。
両肩の肩鎧から『魔水』の蒸気を吹かしながら、少年はその人間が使うにはあまりにも巨大すぎる打刀を引きずっていく。
当然の如く逃げおおせる人々、悲鳴を上げる寺子屋の同級生。
それらを無視し、目的地である今まで通っていた寺子屋を視界に入れると、
『今までの……お返しだあああああああああああああああっ!!』
全力の気合を込めて、その打刀を寺子屋目掛けて投げた。
空気抵抗すらも切り裂いたその刃は放物線を描いて宙を飛び、その余波で数件の建物の屋根と寺子屋の戸口を破壊し、そして巨大な刀は寺子屋の屋根を突き破って地面に突き刺さる。
幸い、今日は寺子屋は休みの日なので怪我人は出なかった。
無茶な運用で限界を迎えた鋼の腕が崩れ落ち、少年の本来の両腕が露わになる。
その両腕には負荷が掛かったせいか、幾多ものあざがあった。まるで、彼の心の傷を現すかのように。
そして少年は、その場から全力で逃げた。
驚愕のあまり動けない人間も、騒ぎを聞きつけて駆け付けた衛兵も、すれ違った時に『待って』と言ってくれた、ただ一人の友人の声さえも振り切って、逃げた。
そして、雨の降り注ぐ山の中で、少年は再びむせび泣いた。
結局どう足掻こうと、無能力者であることに変わりは無く、自分はあの友人と同じ土俵には逆立ちしても立てない。その現実を思い知って、泣いた。
『ったく、これまた派手にやりやがって……気は済んだか、坊主?』
その少年に、声を掛ける人物がいた。
振り向くとそこには、一人の男が傘を持って立っている。
年齢は大体30代後半から40代前半と言った所だろう。少年と違って荒く、くしゃくしゃな黒髪。そして顎鬚を伸ばした中年の男性。
その額には、斜め十字型の傷が入った黒い鉢金を付けている。
少年は彼を見て安心したのか、その懐に飛び込んだ。
『おやっさぁぁぁぁぁん!!』
『ったく、あんまり野郎が泣くんじゃねぇよ。やっぱ、お前はまだまだガキだな』
男は少年を拒むことなく受け入れ、その頭を不器用にワシワシと撫でてやる。
しかし、その顔にはどこか申し訳なさが漂っていた。
『悪かったな。お前を人里に戻してやろうとしたんだが、どうやら逆に苦しめちまったみてぇだ。迎えがすぐ傍に来てる。お前がぶん投げた刀の後始末は俺がやっとくから、お前はとっとと行きな』
『……おやっさん。俺、なるよ』
『あん? 何にさ?』
『おやっさんを超える『クロガネ』にだ!! そうすれば、俺やおやっさんの様な『無能力者』も馬鹿にされなくなるんだろ!?』
『かもな。そういや、俺もジジイに似たようなこと言ったっけなぁ……』
男は苦笑いしながら少年を自分から離し、何処からか取り出したもう一つの小さな傘を持たせると、こう告げる。
『良いか、坊主。これだけは忘れるな? クロガネはその技術を持って例え相手が妖、幽霊だろうと関係無しに夢と浪漫を配る存在だ。俺を追い越したいってなら、そいつを常に意識しな』
さぁ、行け。と男が促し、少年は山奥の方を向く。
そこには、黒い着物を羽織り、傘を差した七本の尾を持つ妖怪がいて―――――――――――――
「――――――――っ……」
少年の夢はそこで覚めた。ゆっくりと体を起こし、今の状況を確認する。
ここは自分の工房の中だ。
薄暗い室内の周囲を見渡せば、鬼や獣の骨や皮、角に爪、牙など、ありとあらゆる素材が転がっている。中には加工途中のそれや失敗作と思われる物も幾つかあった。
奥の方に置かれた魔力の込められた水、通称『魔水』に属性を添加するための装置からは、ゴポゴポと怪しげな音が聞こえて来る。それは、順調に作業が進んでいる証だ。
机の上の製図板には、書きかけの武器の設計図が張り付けられたまま、放置されている。その横には資料として、一冊の本が置かれていた。
「ったく、またガキの頃の夢かよ……ここんとこ見なかったんだがなぁ……」
少年は断片的に覚えている今しがた見た夢の感想を呟きながら、凝り固まった肩と首をほぐす。
そして、棚に架けられた数本の剣を見て、少年は今自分何をすべきかを思い出した。
「あー……いけね、お客さんから預かってる剣、さっさと磨かねぇと……」
頬を軽く叩いて気合を入れ、今しがた寝ていた長椅子から立ち上がると、緩んでい額の黒い鉢金を締め直す。
別の棚に置かれた赤い『魔水』入りの瓶を一つ手に取ると、それを腰に巻いていた器具に取り付け、少年は全長2mほどある剣の前に立つと笑みを浮かべた。
「さーて、今日もいっちょ働きますか!!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ほいよ。あんたらの剣の手入れ、全部済ませといたぜ」
「ありがとうごぜぇやす。クロガネの旦那ぁ!!」
山中にひっそりと佇む集落で、人間の手足に狼の頭と尾を持つ妖怪男が深々と頭を下げていた。
その相手は、まだ17、8歳くらいの少年だ。
やや瘦せ型の体躯に東の国の着物を羽織り、額には斜め十字型の傷が入った黒い鉢金を付けている。
その少年は自分の身長の倍近くはあろう狼男相手に物怖じすることなく、台車に乗せられたピカピカに磨き上げられた剣を見せていった。
「たまたま良い研磨剤が手に入ったんでね、すぐに終わっちまったぜ」
「あっしら妖怪なんざ、そこいらの人間は見向きもしちゃくれねぇのに……やっぱりクロガネの旦那は特別なお方でさぁ……」
「おいおい、泣くなよ。またいつだって手入れぐらいしてやるからさ」
クロガネの旦那と呼ばれたその少年は台車の持ち手に上り、涙ぐむ狼男の肩をポンポンと叩いてやると、台車に乗せた剣を次々と里の武器庫に運び込む。
その剣の一本一本は妖怪である狼男用に大きく、そして重く作られているため、人間ならば余程の力持ちでも無い限り持ち上げられない筈なのだが、その少年は片手で軽々とそれらを持ち上げては次々と棚に納めていく。
「骸様。鎧の運び込み、ただ今終了致しました」
丁度少年が棚に最後の一本の剣を収めようとした頃、別の蔵での作業を終えた少女が少年に呼びかける。
赤い目を持ち端整の整った顔に微笑みを携えたその黒髪の少女は、様々な花柄模様が特徴の黒を基調とした東の国の着物を着ており、その頭頂部にはもう一対の『耳』があった。
ピンと立ったその耳は、まるで星の消えた夜空のように黒色で先端は白い。それは、腰辺りから生えた『七本』の尻尾も同様だ。
何より、彼女の着ているその着物は非常に露出度の高い設計であり、肩口は勿論、何と足は太ももから下が丸ごと露出していて、その白い肌に厚底の下駄の赤い鼻緒が映える。
腰には帯刀していることもあり、妖艶さの中にどこか鋭さを秘めた、とても魅力的な狐少女だ。
「悪ぃな、七奈。鎧、重くなかったか?」
「私わたくしは純粋な妖怪ですから、問題ありませんわ。それよりもムクロ様、そろそろエーテルの残量が……」
「あん?」
七奈と呼ばれた七尾の狐少女がムクロに呼びかけると同時に、ムクロは腰に巻かれたベルトに装着された小瓶を確認する。
左腰に取り付けられたその小瓶には、本来なら満タンに赤い液体が入っていた筈なのだが、今ではほんの数滴の赤い雫しか入っていなかった。
そして、その最後の雫が消えた瞬間、とてつもない重量がムクロを襲う。
「ふんっ!? ぬっ!! ……のあああああああああああ!?」
突如として何倍、何十倍にも重みを増した剣を両手で支えようとするが、ムクロは重量に負けてそのまま音を立てて崩れ落ちて剣の下敷きになり、盛大な音と共に大量の埃が蔵内を舞う。
「……ムクロ様?」
「旦那ぁあ!?」
巻き上がる埃を前に呼びかける七奈と狼男。
一しきり収まると、そこには剣の下敷きになって地面にうつ伏せになりながらも、どうにか五体満足のムクロがいた。
本来ならその剣に叩き切られてもおかしく無い状況だったが、それはいざという時のために着物の下に装備していた胸当てが救ってくれたのだ。
「あー、びっくりした。もうエーテル切れかよ。意外と早かったなぁ……」
「旦那、手ぇ貸しましょうか?」
「俺の事なら心配無用だぜ。七奈、予備の『物理瓶』を『箱庭』から出してくれ」
「もう……あまり心配掛けさせないで下さいませ」
人間の身長並みにある剣の下敷きになって尚、いつも通りの調子のムクロを確認すると、七奈はホッと胸を撫で下ろし、蔵の入り口近くに止めてあった台車の底から黒い鞄を取り出す。
見た目は取っ手の付いた只の黒くて四角い箱だが、その中身は普通では無かった。
七奈が蓋を開けると、なんとそこには―――――――――
「家……ですかい?」
「えぇ、ムクロ様が唯一使える妖術『圧縮収納』を使い、土地ごと工房を納めた鞄、それがこの『箱庭』ですわ」
鞄の中に広がる草原にそびえ立つ一軒のレンガ造りの工房。
長屋型の工房の傍に一本だけ生えた木の下には手作りの椅子と机が置かれ、その裏手には蔵が建っており、その横では恐らく魔獣の類の毛皮と思わしき物が干されている。
呆気に取られている狼男の横で、七奈は振り袖の袖口から鋼で出来た糸を垂らすと、それを『箱庭』の工房の煙突に入れ、指先で慎重に糸を操り、何か引っかかったのを感じ取るとすぐにそれを巻き取る。
鋼糸の先端には、鞄から離れた途端に米粒の様なサイズから巨大化した、赤い液体の入った小瓶が引っかかっていた。
「ムクロ様、これを」
「あぁ、済まねぇ……なっ、と」
ムクロは七奈から瓶を受け取ると、左腰に付いていた空き瓶を切り離し、代わりにその瓶を取り付ける。
一瞬だけムクロの体全体に赤い光が行き渡ったかと思うと、とてもさっきまでその剣に押しつぶされていたとは思えないほどの身軽さで剣を押しのけ、ムクリと起き上がった。
「ふぅ~、助かったぜ。しかし、この『二十一式物理転換帯』もまだまだだな」
「一応、以前の物よりは稼働時間の延長には成功しているようですが、納得いきませんか?」
「あぁ、多分伝達に使う素材がいけなかったんだろうな……まだまだ改善の余地あり……っと」
ムクロは剣を棚に納めると、懐から取り出した手帳にメモを書き記し、使用した素材の一覧の一部に斜線を引く。
「旦那。その瓶と帯は一体?」
「ん? こいつは『物理転換帯』っつうんだ。この瓶の中のエーテルを物理的な力に変換できる代物なんだぜ。まだまだ改良中だけどな。さてと、これで今回の依頼は無事終了ってことで良いか?」
「へい、これで他の護衛の連中も仕事に精が出せるってもんでさぁ!!」
「そいつは何よりだ。お代はさっき貰ったし、俺たちはこれで失礼するぜ」
ムクロは台車を『箱庭』の中に放り込んでから立ち上がると、七奈を連れてその里を後にした。
険しい山道を下る途中、七奈はムクロに尋ねる。
「ムクロ様、次はどちらへ?」
「う~ん、この辺の使えそうな素材は大方集めちまったしな……」
ムクロは懐から本を取り出すと、それを見ては呻いた。
黒い龍の皮で作られた背表紙を持つその本は、ページの所々が経年劣化により黄ばんでいる。
「おやっさんの残したこいつを元に改造すること早数年、いまだに数個しか出来てないからなぁ……」
「しかし、今のままでも十分過ぎる性能では?」
「まぁな。だけどおやっさんはこうも言ってたぜ? 『どんな物もその時の十全はあってもいつまでも完全なんて物はそうそう無え』ってさ。それに、クロガネも鍛冶屋の一つだ。より良い品を作って提供できるようにするのが、今の俺の生きがいみたいなもんだからな」
今は亡きその人物の顔を思い出しながら、ムクロはその本を懐にしまい直して黙々と山を下る。
魚が襲い掛かる川を越え、猛獣の出る獣道を走り抜け、時には木々の間を飛び越え……並の人間なら絶対避けて通るような道を、あえて二人は行く。
しかし、そうして山を下り終えたところでムクロは突然立ち止まると、こう呟いた。
「……西へ行こう」
「はい?」
「海を越えた先にある西側の大陸じゃあ、こっちじゃ見かけない魔物も多いみたいだし、何より魔術関連の技術がこっちよりすげぇ発達してるって聞いた事がある。そこでなら、俺の納得のいく素材や技術が手に入るかもしれねぇ」
その情報は旅商人から聞いただけの話なので確証はなかったが、その商人が取り扱っていた品は言われてみればこちらのそれとは明らかに性質が異なっていた。
その素材を使えば、もしかしたら今まで作れなかったものが作れたり、今ある物を更に強化できるかもしれない。
ムクロはしきりに頷くと、
「よっしゃ、決めたぜ!! 七奈、海を越えるぞ!!」
「今の私は貴方の護衛の身、何処までも付き従うだけですわ……ですがムクロ様」
ムクロの意見に賛同する七奈だったが、そこでふと一つ気づいたことがあった。
「海を渡る為の旅費はあるのですか? ここの所、妖怪相手に格安で武器の整備ばかりしていたので、少し心配です」
「あぁ、その事か。実は方法が一つだけある」
「その方法とは?」
「あぁ、多分この時期だと――――――――」