0-5
宿から出ると入り口のすぐ隣の建物を背に仏頂面のクララが立っていた。
「こんにちは、クララさん。何をなさっているのでしょう?」
アルムは愛想笑いの見本とも言える様な笑みを浮かべながら問いかける。
クララはため息を吐き、佇まいを正す。
「こんにちは、アルム様。お迎えに上がりました」
「そうですか、ご苦労さまです」
アルムには迎えの部分が何故か監視もしくは連行に聞こえた。
それは今までの自分の行いが原因だと思う程度には、自覚はある。
まあ、苦労を労った時に見ていなかったら舌打ちでもしそうなクララの雰囲気を見れば誰にでも分かるだろう。
「アリス様がお待ちです」
その後はろくな会話もなく二人は街道を歩き、彼女らが滞在している教会に移動した。
この教会は“リリス教”と言う宗教の物。と言うよりも、この街において教会は“リリス教”の物しかない。
“リリス教”は、人族至上主義を掲げる“マリア教”とは違い魔物を除いたすべての生は同等の価値があるという教義を掲げている。調教済みのは別。
この教会には人族もいれば、獣人、エルフ、龍人、魔族など文字通りすべての種族が建物内におり、教会内の序列においても能力や信仰心などが絶対の判断基準になる。
教会その物は戦力を持たず、護衛などで必要になった場合は外部に依頼をするという形を取っている。
ただ、この世界の人間は個人事の素質により天地の開きが出るで過去教会内の幹部に実力者がついた例はある。
おそらく、まとまった戦闘部隊を持たないと言う事なのだろう。
二人は教会の中に入る。基本的に教会内の内装は極めて質素。
色彩は白か灰色、黒に木製の家具や観葉植物、極稀に銀色が目に入る程度。
特定の何かに祈りを捧げると言う行為もないので巨大な空間もない。
アルムも護衛依頼を受け別の街へ行った際に“マリア教”の教会に入る機会があった。
こ事は正反対に装飾が豊かで祈りの習慣もあるため巨大な神像と大きな空間が用意されている。
回復魔術の使用に莫大な金額を要求し、こんな事をしていると思い嫌悪感が湧き上がったのをよく覚えている。
廊下を何度か曲がり目的の部屋へ。
「ここでアリス様はお待ちです。
部屋は土足禁止なので入ってすぐの棚においてください」
「分かりました」
クララはドアを開け様とノブに手をかけたところで止まった。
何か思い詰める様な表情を浮かべる。
「アリス様を受け入れてあげてください………」
「え………クララさんは僕の事が嫌いなのでは?」
「嫌いですよ当たり前じゃない。
………貴方の考え、当ててあげましょうか?
貴方はアリス様に害ある存在を私たちに気付かれる事なくこれから排除するつもりなのでしょう?
勿論、アリス様の前にだって姿を現す事なく」
図星だった。
「これはアリス様が予想しておられた事よ。
その反応を見る限りあってるという事で間違えなさそうね」
アルムは隠す気もなく顔をしかめる。
「受け入れてくださいね………どうか、一緒にいてあげてください」
そう言うとアルムの返答を待つ前に扉を開けた。これでは何かを言い返す事も出来ない。
内心で疲れると思いながらアルムは扉をくぐる。
土足が許されている場所は狭く、アルムの身長よりも少し長い程の長細いタイルが四枚と少し分。
履物を脱いで歩く場所はそこから階段一段分ほど高く作られている。
アルムがブーツを脱いでそこに上がると開けられていた扉が閉められる。
どうやら彼女は室内には入ってこないらしい。さらに扉が占められるとそこを含めて部屋の壁中を魔力が覆い『結界』を作った。
どうやら部屋の主も彼女が入る事を許していないらしい。
部屋の中は暗い。窓はなく光源を取り入れる様なものはない。
奥から『魔灯』と言う即席の明かりを作る下五級魔術の明かりが部屋を照らしている。
照らしているとは言っても常人にはようやく物陰が見える程度だろう。
アルムは『魔灯』の明かりの方へ足を動かす。
部屋は狭い。
硬そうな寝具と背の低いテーブルが壁際に一つずつ。
そのテーブルに頭に白く長いベールを被った人物が向かって座っている。
ずっと嫌な予感がしていた。
部屋に入った瞬間わずかに聞こえた紙の擦れる音から本を読んでいるのだと思われる。
その者の体の中で渦巻く魔力は凄まじく魔王種の持つ総量に匹敵する程、その魔力の質についてはイグナモノス以上の物を感じる。
総合ではなく魔術に限定すればAランク級の実力があると示している。
そして人それぞれが持つ魔力の波動。それは彼女がアリスである事をアルムに告げる。
間違えであってくれ………アルムは内心でそう叫んだ。
床にまで広がるベールの先から僅かに見える髪。
記憶にあるそれは稲穂の様な明るい金色だった………今は雪原の様に白くなっている。
アルムの様な銀色というわけではない。
抜け落ちた様な白。
生物の雰囲気を感じさせない死の色だった。
「………アリス」
アルムの口から彼女の名前が呟かれる。
すると彼女の肩が震えた。
しばらく動きを止めていた後に振り返る。
顔立ちは記憶の通り、懐かしさのあまり涙ぐみそうになる。
そうなる前に振り返った時点で彼女の目からは涙が溢れていた。
それを見たアルムは心が凍りついた様な痛みが走る。
振り返った際、涙が流れていたので、たまたま瞳は閉じられていた訳ではない様だ。
それが確認出来た瞬時に分かってしまった。寸分違わず的中していた予想。
クララが殺気を向けて来た事は、この状態を考えれば、それでさえまだぬるいと思えてしまう。
事前にアリスがこの様な姿となっているとアルムが知っていれば、クララが出会ったその瞬間に剣を抜き、胸へと突き立て様としてもおそらく彼は、それを避けはしない。
「………アルム」
アルムはその場に崩れ落ちそうになった。
どうにかそれをごまかして数歩進みお互いの手が届く場所に移動し、そこで腰を下ろした。
アリスは広い袖を地面から浮かせ、両手をアルムの顎へ添えた。
彼女はまるで本当に聖女の様な笑みを浮かべて愛おしそうにアルムの顔を撫でる。
その動作にアルムはもう分かっている答えをより深く理解させられる。
鋼よりも硬い氷で出来た槍で全身を突かれたかの様なそんな気がした。
息が詰まる。飲み込んだ空気が肺に届かない。視野がどんどん狭く、暗くなる。
「アリス………何故………そこまでして……っぅん」
どうにか声を出し、質問をしようとしたアルムの口をアリスが口で塞いだ。
アルムが離れ様とするが足に力が入らない。さらに頭に手が添えられるだけで顔が動かせなくなった。
ほんの数瞬の時間でアルムは、動けないのではなく動きたくないのだと自覚した。
次の瞬間に言の刃で自分の胸を貫かれる事になっても今だけは、この救いに身を晒した。
ゆっくりと瞼を落として体を預けた。
このまま自分は死ぬのではと言う幸福を抱きながら、アルムにとっては永遠にも感じる数分の時間で覚悟を固めていた。
次の瞬間に何を言われ様が、この瞬間の記憶をさえあれば毒を飲み続ける様な生活でも耐えられると本気で思える。
アリスの顔がゆっくりと離れる。
「アルム………魔王の討伐お疲れ様。
ありがとう………私を………みんなを守ってくれて」
アルムの瞳が驚愕で見開かれる。
何故という言葉にアルムの心が支配された。
自分以外は分からないはず。
「何で………」
アルムがそう聞くとまた微笑む。
肌も白く髪も白い彼女がそんな表情を浮かべると、どこか人知を超えた神々しさを感じる。
そんな表情を見ていると、信じてもいない神はきっとこんな感じなのだろうなと思った。
腕を肩に回してアルムの体を抱く。
震えるアルムの心が落ち着いていく。
アリスの体は痩せ過ぎと表現していい程の細さであるが、暖かく柔らかい。
口を合わせていた時とはまた違った安心感を覚える。
だが、同時に記憶にある彼女の物よりも、遥かに細く小さな体であると突きつけられる。
そのせいで何かを言おうとしていたのが、また塞がれてしまった。
手玉に取られている様な自覚はある。
だが、それでも良いかと思っている自分がいる。
そんなアルムの心を読んだのかアリスはゆっくりとした口調で話を始めた。
お互いの顔をお互いの肩に乗せている様な体勢なので吐息が耳をくすぐる。
「アルムは三つの時。私は七つの時。
アルムは意識を取り戻した時の事、覚えてる?」
その年齢をあげられアルムは直ぐに自分が記憶を取り戻した時だと思った。
そしてアリスの言い方からすると彼女も………
「………しっかりよく覚えています」
「アルムの屋敷の同じ部屋で遊んでた」
「僕が絵本を読んでいてアリスは人形遊びをしていました」
少しアリスの腕の力が強まる。
「アルムが急に立ち上がって自分の体を見て辺りを見渡した。
私を見たら急に泣き出して」
不自然な場所で言葉を切る。
意地悪だなと思いながらアルムが続ける。
「今の様にアリスに抱きつきました」
「あの時は何が何だか分からなかった」
アルムがまるで黒歴史を話すかの様に話すと、アリスが諭す様に頭を撫でる。
アリスが続けて言葉を紡ぐ。
「アルムは一週間近く寝込んだ」
「体を動かそうとしてもうまく動かず、何かを考え様とすれば頭が痛くなり、熱が上がり続けました」
「私が意識を取り戻した時もそんな感じだった。何でかな?」
「死んだ時の体と意識を取り戻した時の体の差………何でしょうか?
僕の時よりも体調を崩していた時の症状や期間はどうでした?」
寝込んでいる際に死ぬ前の生の記憶をたった一週間で体験した。
アルムは先世より完全記憶と言える様な記憶力を持っていた為、文字通り全ての記憶を見た。
その後から自分の意思で思考速度を速める事が出来る様になったのだが、アリスはどうなのであろうか。
「アルムよりはひどくなかった」
「それは………良かったです」
確認してもいいのだろうが、どうでもいい事だと思い聞かなかった。
自分にとっては重要な事だが、それは魔術でも可能なのだから今更だろう。
それから二人は幼少期の思い出を語り合う。
どちらかと言うと記憶を取りも出したアルムは、精神年齢を保ったままあの体で過ごした。
裏で………父にはバレていたが………剣の修練を始め、悲鳴を上げる肉体を精神の力で押さえ込んでいたので、あの年代は体に常に激痛が走っていた。
確実に身体能力と技量の上昇が見えた為、やめると言う考えなど一切思いもしなかった。
合計年齢よりも落ち着いた精神を手に入れあの一件以来は、アルムがアリスの世話をしている様な関係であった。
父よりも父らしく、アリスは幼少期特有の好意を寄せる。
初等学校に入学する歳になり、王都にある国立学校へ通う事になった。
住み慣れた家から離れる子供達の精神的な負担をアリスは感じていなかった。
アルムが共に通うとばかり思っていたからだ。
だが、アルムが絶縁された事を知ったのは、アリスが王都についてから。
アリスは学校から与えられた部屋で寝込みその時に意識を取り戻した。
「そのせいでクララには随分心配をかけた」
「そんな事よりも酷い心配をかけ続けましたよね」
アリスは思い当たるフシが多過ぎて苦笑する。
「記憶通りなら会えると思って夏季休暇中に帰ってきたら、アルムは最年少最短でDランクになった。
迷宮に潜っていて会えなかった。冬季休暇に帰ってきたらもう情報が隠匿され始めている」
「すみません。あの時はアリスに記憶が戻っているなんて考えもしなかったのもので」
「一度くらい………会って欲しかった」
「すみません………その通りです」
二度目は言い訳せずに謝る。
アリスが話を続け様とするとアルムが腕を解いて立ち上がった。
何をされたのか分からなかったアリスは呆気に取られた。
どうしたのか聞こうとするとアルムが浮かべている表情は真剣な物。
「誰かこの部屋に向かってきていますね」
「『防音』の魔術を使っているのによく分かる」
「これくらい出来ないと魔術無しで魔王種を倒すなんて無理ですよ」
アリスはそう言われて確かにと思う。
そしてアルムは久しぶりに怒りという感情を抱いていた。
アリスとの時間を邪魔してくれた事もあるが、彼の感知能力が近づいて来る者の性能のすべてを丸裸にする。
身体能力の情報は勿論、身体操作の技量や属性、魔力量、身につけている装備のすべて。
そこから導き出される結論は………こんな所にまで、何をしに来た勇者候補………飛んで火に入る夏の虫………この場で斬ってしまおうかとアルムは考えてしまう。
すでにアルムの頭の中に陰ながら守ろうと言う考えはない。
自分でも単純だとは思うが、もう彼女から離れたくなくなってしまった。
彼女がそう望むからとかではなく、自らの意志で離れたくない。
自分が突き放してしまった所為で彼女が力を求めさせてしまった事もある。
アリスが行った修行とも呼べぬ荒行。
それは“マリア教”によって見つけ出された聖属性魔力純度上昇儀式………通称、聖母の儀。
それは聖属性が、危機に瀕した際に乗り越え様とする意志によって、属性の純度が上昇すると言う性質を利用したとされている。
被術者の魔力を枯渇させ魔術耐性を失わせたうえで、精神へ苦痛を直接与える闇属性の魔術を対象へ至る寸前までかけ、それを何度も繰り返すと言う人の考えだした物とは思えぬ外法。
通常の精神修行などとは比べ物にならない程に魔力の質を高めるが、被術者に様々な後遺症を残す。
この儀式は強制などは出来ない。
生と死の境、肉体が仮死状態になるまで精神を追い込む為、本人の強い意思が必要になるからである。
ただ、行き場のない少女を教育し行っていると言う非公式の情報はあるが………
アリスの光を失った瞳、色が抜け落ちた髪、弱り切った体………これはすべて儀式の後遺症。
そんな状態になった今でも自分に向けてくれる好意。
アルムは自分を本当に単純だと思う。
だが、もう自分はアリスから離さない………いや、もう自分から離れる事が出来ない。
「アリスを………勇者如きに………“マリア教”如きに………絶対に渡すものか………」
防音の結界がある為、アリス以外には誰にも聞こえない宣言。
いや、彼女以外の耳に入れる必要はない。
それを聞いたアリスは先程までの余裕のある雰囲気が霧散し、顔を林檎の様に赤く染めて歳相応の………それよりも幼い仕草をしている。
入って来る者を出迎えるには少々緊張感のない雰囲気だが、アルムは満足気な表情を浮かべている。