0-3
食事も終えた事だし宿に戻ろうかと思ったが時間を確認するとまだ早い。
どこに向かうでもなく適当に散歩する事にした。
怪しい雰囲気のする裏通りや、反対に高級な衣装を身にまとった高級街まで、特にこれと決めた訳なしに歩く。
気配を消して歩いていたので彼に気づいた者はいない。
そして誰の目にも止まる事なく歩いていたアルムが足を止めた。
名の通りに天高くそびえるバベル。
冒険者ギルドの迷宮関連の処理を専門に行う部署がこの下位層に入っている。
この時間は出てくる人数の方が多いが、この時間にしか出現しない魔物を狙う者や人の少ない時間を狙った者たちが、少なくない数がギルドに吸い込まれて行く。
(そう言えばこの塔は、街へ入ったイグナモノスが最初の目標にされ、真っ先に破壊されたのでしたっけ)
前回、イグナモノスを目撃した時に事を思い出し心のなかで呟いた。
昨日の状態のイグナモノス………魔王種を倒す事が出来れば、Aランク冒険者と評価される。
もちろん、そのランクを貰っているギルドメンバーはこの街にも少なからず存在する。
そしてアルムの父親もギルドランクで表すとAランク上位と評される力量を持っている。
それならば何故この街は破壊されたのか?
それは魔王が魔の王の種族と呼ばれている事に由来する。
魔物たちを統率する存在であると同時に、配下の魔物数が増えれば増えるほど肉体が強靭になり、魔力の保持量も格段に増えるという特徴を持っている。
迷宮で生まれていれば、凶星の存在が観測出来なかったとしても、出現する魔物数の激減で予想する事が間違えなく出来た。
イグナモノスが手に負えなかったのは、迷宮外で誕生し迷宮の中にいる膨大な数の魔物をすべて配下する事によって、正式な魔王と呼ばれる力を手に入れた。
魔王となった者を討伐するには、最低でもAランクの実力者が百や二百は必要で、殆どが死亡すると言われている。
アルムはバベルを破壊し、父や騎士、幼馴染と戦っていた時のイグナモノスの力量を目安に力をつけていたので、配下の数による強化のなかったイグナモノスは、拍子抜けするほど用意に倒せてしまったのだ。
もちろんアルムはそれを否定するだろうが、それも彼がイグナモノスを討伐した時に達成感を感じなかった理由なのかもしれない。
アルムはふと自分に近づいてくる気配を感じた。
それはバベルの近くにある教会の前に立っていた気配。
なんだろうと思ったがそう思った最大の理由は、その実力。
その者の持つ魔力の量や質、地面から伝わる振動から予測される身長体重、身体操作技能。
冒険者ギルドのランクで言えばC。
この国の教会は戦力を持たない集団。
魔術を使う事でCランクと評される者はいるだろうが、近づいて来る者の持つそれは近接戦闘能力を持つ者。
治療を受けた冒険者ではない。アルムの持つ異常とも言える魔力感知能力が、その体にここ一週間以内に回復魔術を受けた痕跡はないと告げる。
「すみません、少しいいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
アルムは声をかけられるのを待ち、かけられてから気付いた様子で反応し、近づいて来た者へ視線を向ける。
声の主は軽いウーブのかかった金色の髪を高い位置でくくった青い目の女性。
足音から逆算した通り体はよく鍛えられていて、細く引き締まっている様に見える。
この国の住人は色素が薄いものが多く、貴族たちになると大半が金髪碧眼だ。
彼女の顔も整ってはいるのであろうが、貴族という意味では平均のそれから逸脱してはいない普通の顔立ち。
体を鍛えていなければ目を離した際に記憶から消えてしまいそうな印象を受ける。
だが、極めて高い魔力の感知能力を持つ者は、一度感じた事のある魔力は決して忘れず、どんなに姿を変えても思い出せるという傾向がある。
アルムのそれは世界最高級。
「あなたは………」
アルムが不意に言葉を漏らした。覚えがあった。
そして自分は何故こんな時間に不用意に外を歩いていたのかと思った。
「覚えていてくれましたか、アルステイム様。
アリス様の従士をしておりますクララです」
クララと名乗った女性は、騎士の様な作法で挨拶をする。
自分の感覚を疑いたくはなかったがアルムはやはりそうかと思った。
だが………それはアルムの頭の中に一つの疑問符を浮かばせた。
「アルステイムはやめください………僕はもうクヴェレシア公爵家から絶縁された身です。
その名を名乗る事は出来ません。
僕の事はアルムとお呼びください。ギルドの登録もその名でしていますので」
「そうですか………分かりましたアルム様」
「様も出来る事なら取って欲しいのですが………まあいいでしょう。
お久しぶりですクララさん………八年ぶりでしょうか?」
「アリス様の想い人であるアルム様から敬称は取れません。
そうですね………再開に八年も要したのは、アルム様が私たちを避ける様に迷宮へ行っていたからではありませんか?」
「そんな事はありませんたまたまです。
自分の力で生きて行くと決めて以来、常に金欠ですからね」
勿論避けるために迷宮へ潜っていたのだが、そんな事はおくびにも出さず返す。
アルムの言葉にクララは胡乱気な表情を浮かべる。
何故ならアルムを探していた時、彼が長い間宿泊している宿の店番をしていたラナとクララは会っている。
その時に貴方がたが来るせいでお兄さんの誕生日会をその日に出来ないと。
アルムがラナに話した訳ではないのだろうが、その前後関係から彼女なりに結論をつけたのだろう。
「でしたら、明日、アリス様と会っていただけますね?」
クララの言葉にアルムは苦笑を浮かべる。
「昔とは立場が違います。
幼少期には無かったしがらみが生まれているのではないでしょうか?」
「………アリス様にはそんなものはありません」
僅かにクララは目を鋭くする。
アルムの言葉は、先程の避けているのでは?と言う問いに肯定をしているのに等しく、さらに自分に関わるなという拒絶の意味合いも感じ取れたからだ。
実家からの絶縁をされたという事が彼に貴族への憎悪を抱かせてしまったのかと思った。
例えそうだとしても自らの仕える主ならと言葉をつなげる。
それはまったくの勘違いなのだが彼女がそれを知る由もなく、それくらいしか理由が思い浮かばない。
「アリス様は純粋にアルム様に再開したいだけです」
「再開して何になるというのですか?
僕と貴方達は生きている場所が違うのですよ?
先程の想い人という言葉は嬉しかったですけど、お伝え下さい………幸せになってくださいと」
口にした瞬間、アルムは自分の胸に感じた事の無い様な痛みが走る。
自分の胸の内には、戻りたいと言う想いも合ったのかと、自嘲気味にそして人事の様に思う。
そして今日迷宮へ行かなかったのも、こんな時間にバベルの前で彼女程度に見つかる程存在を発していたのも、これを伝える為だったのだとぼんやりとした感情が浮かんで来た。
彼女は魔泉すらない自分と違い聖属性と言う希少な属性の持ち主。
希少な物とは言え、覚えている限りで魔力の質もそこまで良いと言うものでは無く、生涯鍛錬を続けても到達すると思われるランクはB。
天才と言われるランクであるが、その程度ならば幸せになれる程度の才能でもある。
それ以上のランク、もしくはランク相当の者と深く関わると不幸になる。
人々からその高みへ至らんと渇望される領域であるが、同時に憧れと畏怖を向けられ、窮屈に生きる必要を迫られる領域である。
(そう………生きている場所………それは立場などではなく………)
アルムは頭を下げ、この場をさろうとするとクララから殺気に近い感情をぶつけられる。
「私たちには貴方の考えが何も分からない。
ギルドでも貴方の活動の一切が分からない。
この街に何故留まっているのかも分からない」
流石にこの感情と言葉を受けて無視するのは角が立つだろうと思い立ち止まる。
もう手遅れの気もするが均衡の様なものが働いたのかもしれない。
「他人にすべての考えが知られていたら怖いですね。
ギルドでの僕はどこにでもいるDランク冒険者です」
「それは嘘です!
貴方の活動はギルドにより隠匿されている!それはただのDランク冒険者にされるものではありません。
隠匿が行われるのは、どれも高い将来性が見込める存在か………もしくは何らかの理由で昇格を拒み続けて実力がランクと一致していない者………」
アルムの言葉をクララは強く否定した。
彼女の体から激情と共に魔力が立ち昇る。
属性は鋼、基礎五属性の土属性の上位属性。
アルムはそれを見て、記憶の中にいる彼女より高い実力を持っていると感じ取り内心で首を傾げる。
バベルから出てくる冒険者たちが二人へと視線を向ける。
「アルム様………私は貴方の事が嫌いです。
アリス様の事を避け続ける貴方が………隠匿を行われていると知った時から努力を重ねてきたアリス様の事を少しも顧みない貴方が………」
アルムは向けられる言葉と殺気を黙ってその身に浴びる。
「間接的にアリス様に聖女候補とまで言われる力をつけさせた………貴方が………」
クララの口から発せられた音がアルムの耳朶を揺らす。
同時にその意味が分からず………いや、分かろうとする事を脳が拒否する。
「耳を背けるな塞ぐな………聞き逃すな………」
呆然とするアルムへと静かに言葉が向けられ、クララの視線がアルムを射抜く。
アルムにとってそれは今まで相対したどんなものの威圧よりも強く感じた。
「アリス様のランクはBランク。
それも限りなくAランクに近い力量をお持ちだ………そしてその条件となる技術を身に着け、数世代ぶりの聖女候補とされた………その意味が分からないお前ではないだろアルステイムっ!」
クララの青い瞳から今にも零れそうな涙がその言葉が真実であるとアルムへ分からせる。
それ以上に人の域を超えた知覚能力が、肉体からそこに宿る魔力の揺らぎまですべてを読みより同様の結論へと導く。
「………分かりました………明日、会いましょう」
アルムは苦い感情と共に決して認めたくない想いを懐いた。
もしかしたら再び戻れるのではないかと………。
しかし、本当にそれで良いのかと言う自分もいる。
だが、彼の頭の中の声は、前者の喜びの声の方が大きい。
アルムは湧き上がってくる感情を御しきれず、覚束ない足取りで宿に戻る。
彼女をそんなのにしてしまった事に対し、何処で間違えたのかと思いつつも、希望を抱いた彼の中に少しの活力が芽生えていた。