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備え付けのテーブルと小さな椅子、簡素なベッド。
そんな最低限の物しか置かれていない殺風景な部屋。
部屋のベッドに銀の髪と蒼い瞳、中性的な顔立ちの少年アルムが寝転がっている。
少年の手の中には濃い紅い光を放つ宝石が握られている。
宝石を目の前に移動させ中を覗き込む。
その宝石の中では中央から紅い光が生み出され、それが輪郭から漏れ発光している様見える。
アルムの手の中の宝石は魔石と呼ばれ、魔物や魔王種が死亡すると残す物。
人の使う日用品を動かす燃料でもあり、豊かな日常生活を営む為には必要不可欠の資源である。
目を細めて紅い魔石を睨みつける。
手の中にある魔石は、彼も所属している冒険者ギルドの等級で表すと特五級。
区分は特、上、中、下と四つありさらに格等級ごとに上は、一から五までの段階ある。つまり最上位は特一級で最下位は下五級の全二十段階。ちなみにこの等級分けは魔術の等級分けと同じだ。
特三級以上は、魔王やそれに匹敵する魔物が落とす魔石であり、アルムの持つそれは魔王の子供、つまり成長すれば必ず魔王になる魔王種の生誕直後と言えば妥当な物だ。
そんな等級の魔石であっても生み出す魔力は一つの街の施設を動かすのに足る量であり、オークションに出展して売れば一生どころか子孫数代親戚一同にわたって容易に暮らせる金額が手に入る。
今、己の手の中にある物は数万の人々が使うエネルギーを生み出す炉に等しい。
魔石を眺めていたアルムは、ため息を吐き窓へ視線を向けた。
アルムが泊まっている安宿には、窓硝子などと言う上等な物は嵌っていなく木製の戸があるだけ。
その戸は降ろされているが僅かに出来ている隙間から茜色の光が入り込んでいる。
「空腹ですね」
アルムは昨夜イグナモノスの死を確認してから宿に戻り眠りについた。
想像以上にあっさりと討伐に成功した為、疲れで寝てしまったという訳ではない。
動く気力が失われてしまったからだ。
眠りから覚めてもどうも体を動かす意欲が湧かず、こんな時間になるまでベッドに寝転がり時間を潰していた。
魔石をアイテムポーチ………空間拡張、重力軽減魔術によって見た目よりも大きな容量を持ち、持ち主に重さを感じさせない入れ物………へしまい、金具でベルトに固定する。
アルムが持っているそれは精々肩下げかばん程度の容量しか無い。
少しでも身軽でいたい冒険者たちが無理をしても購入する最も安いものだ。
体に何か問題がある訳では一切無い。
アルムは幼少の頃より狂人と言われる程の鍛錬を積み、肉体を全く別の物へと変質させた上で、完全に掌握したと言い切れるから分かる。
それはひとえに昨日の戦いを終えた為。
いや、その為だけに生きてきたとも言える。
アルムは目を覚ましてから半日間をベッドの上で過ごし、そして自分が送ってきた生を想起していた。
現在の彼の歳は十五になる。
しかし、彼は記憶を年齢のちょうどニ倍、三十歳分持っている。
彼は一度死を経験している。
一度死にその記憶を持ったまま過去に戻り、また自分として生を受けた。
今も瞼の裏に残る炎に包まれたクヴェレシア、破壊しつくされ人々を圧し潰したバベル、溢れだした魔物たち、瓦礫の下で生きたまま焼かれた住人たちそして………目の前で殺された好きだった幼馴染。
思い出しただけで鬱々とした感情が湧き上がってきたが、それをなした者は昨日、自分自身の手で斬りその光景が再現される事はなかった。
そしてイグナモノスを切り刻み、自分を殺した敵に死を与えたからと言って、心に何か晴れやかな感情が湧き上がってくる事はなく、むしろ喪失感を覚えていた。
アルムは愛用している真っ白いコートを羽織る。
そしていつもの様に腰に自分の為だけに作られ、もはや数え切れない数の命を吸ってきた愛用の双剣を吊ろうとするが、ふいに指が止まる。
時間にして一分ほど指先にある双剣を凝視していたが、結局それは腰に吊られる事なくアイテムポーチへしまわれた。
この街にいる悪漢など剣を抜かずとも対処出来るが、今までアルムが腰に剣を下げずに行動をした事はない。
外出の準備を終えたアルムは、いつもの表情を浮かべているのだが、どこか覇気の抜けた雰囲気で部屋を出た。
・・・*・・・*・・・*・・・
階段を降りていると半分まで降りた所で無意識のうちに音を殺していた事に気付く。
そこはどうやっても薄い床木のきしむ音が響いてしまい静かに歩けない様な場所で、アルムが無音で降りてくると心臓に悪いからと主人や女将、その子供であり看板娘から何度も言われている。
半端なところからだがアルムは足を下ろす時に段板を軋ませる。
一階に降りると階段のすぐ横にあるカウンターで宿屋の看板娘が店番をしていた。
「あ、お兄さんおはようございます」
「おはようございます、ラナ」
降りてきたアルムに気付いたラナが、屈託のない笑みを浮かべ子供らしい舌足らずな声で挨拶をする。
彼女の歳は四歳であるが、生まれる前からこの宿に泊まっているアルムが子育てを手伝っていて、その為か彼の丁寧な口調がうつっている。
「おりてくるのが遅かったですが、どうかしたのですか?」
首を傾げると同時に、肩の位置まで伸びるラナのウーブのかかった柔らかそうな茶色の髪が揺れる。
母親に似て背の低い彼女は、この宿をよく利用する駆け出しを卒業した平均年齢二十才の冒険者たちよりも落ち着いた仕草をする看板娘がいると、この宿の一種の名物となっている。
「はい、今朝からどうも体の調子が悪く休んでいました」
「え………そうだったのですか………すいません気が付けなくて………」
「いえ、病気ではなかった様なのでもう大丈夫です。
説明が足らなくてすみません」
アルムが体の調子が悪いと行ったところでラナが肩を落とし、顔を伏せたのでアルムは何でも無かったと説明する。
「お出かけの様ですがご用事は?」
「ちょっと気分転換に外の空気を吸ってきます。
食事も外で済ませてくるので主人にはそう伝えておいてください」
「分かりました、お気をつけて」
アルムから部屋の鍵を受け取り宿から出て行く彼にラナが送り出す言葉とお辞儀をする。
「………本当に大丈夫なのでしょうか?」
先程までのアルムの今まで感じた事ない雰囲気からそう呟いた。
腰に双剣がないは勿論だが、それ以上に元気が感じられなかった。
自分に励ませる事があればそうしたかったのだが、原因が想像も出来ずそれを隠していた事から聞くに聞けなかった。
あんなアルムを見たのが初めてであったと言うのもあるだろうが、それに気付く事が出来た唯一の人間だった。
アルムが道に出ると先程まで意識して放っていた気配が消える。道行く人々の顔を見ながらゆっくりと歩く。
この近辺は街の南西で中央にある迷宮に程よく近い立地にあり、Fランク………半人前以上一人前未満の冒険者たちがよく利用する。
アルムはこの辺りでは上の下あたりに位置する店舗を選んで開け放たれた扉をくぐった。
入ってきた客を接客する様な人的な余裕はない為、訪れた客は自分で座れる席を選んで座る。
いつもの様に目立たない角の席に腰を下ろす。
アルムは各テーブルに置かれている小さなベルを振る。
不思議と周囲の雑踏に掻き消されない涼やかな音が室内に響く。
近くにいた女性店員が驚いた様な表情を浮かべながらアルムの元へ歩み寄る。
「注文は?」
「食事一人分と………エールに、付け合せをお願いします」
アルムは昨日成人を迎えたからと酒類を注文する事にした。
「なんだい?随分と丁寧な口調だね」
「すみません、昔からの癖なので」
そんな返答を聞いた店員は興味なさ気な表情を浮かべ注文票を持って奥へ向かう。
実際この会話はあの女性店員と何度もしているのだが、気配を出そうとしていないアルムは少し意識を反らすと、顔が思い出せないくらいに存在が希薄なので思い出せないのだ。
こう言った酒場で座る順番は不思議と決まっている様に見える。店の奥に金を多く落とす客が座り、入口近辺にようやくこの店に入れる様になったあまり金を落とさない客が座ると自然に分かれる。
特別そうと決められている訳ではないが、この街の冒険者という人種は自然とそうなる様に出来ているのかもしれない。
彼らの浮かべる表情を見れば、生き残った事に喜ぶ者もいれば、身につけた力を実感している者もいる。
そして仲間を失い涙をしている者たちも少なからずいる。そんな者を見つければ、隣の席に座っている者が彼の肩を叩き励ます。
自然と生き残った者同士が集団を作りさらに下の階層へ潜って行く。
生き残った者が強いと言われる迷宮都市の冒険者。
命を掛け金にして一世一代の博打を打つ者たちだ。
「おまたせ」
アルムがそんな事を思いながら暇をつぶしていると料理が運ばれてきた。
注文したものが揃っている事を確認すると、アイテムポーチの中から数枚の貨幣を取り出して相手の手が届く位置に置く。
運んで来た店員も出された貨幣が値段通りである事を確認して同じ様にアイテムポーチへとしまう。
料金はすべて各店員が持ったアイテムポーチにしまい、くすねようとした店員を見つければ食事代がただになるので周囲にいる客もその瞬間を見ている。
そんな視線を感じながら考えられているなと内心で苦笑する。アルムが苦笑を浮かべたのは視線からだけではない。
今までこういった時間は、少しでも今までの自分の動きに改善点はないかと考え続けていて、まともに周りを見た記憶が殆ど無かったからだ。
「取り敢えず食べましょうか」
考えを切り替える為に意識して呟く。
運ばれてきたのは大きな皿に盛り付けられた迷宮産の魔物のステーキに添えられた蒸し根菜、パンとバター。大きな木製ジョッキに入ったエールに付け合せの乾燥させた木の実。
アルムはジョッキを傾けてエールで喉を潤す。
苦いと思いながらナイフとフォークを持って料理を口に運ぶ。
最後の一切れを口の運んだ後に残ったエールを飲み干す。
「………やっぱり苦いですね」
そう呟いで付け合せの木の実を齧る。
周りに座っている客に出されている付け合せはナッツの様なものだが、アルムの皿に乗っているのは甘めな木の実だった。
アルムの背格好からその様な配慮をしてもらったのだと思い少し口元をゆるめる。
再び日常を生きる人々へ視線を向ける。
アルムはそれを守ったという感情もあるが、一度はこの街を滅ぼされてしまった事の後悔。
頭の内で渦巻く感情は後者の方が大きい。
傲慢かもしれないと思ってはいるのだが、それはアルムの生まれた家が理由だ。
アルムの本名はアルステイム・クヴェレシア。
街の名を苗字に持った者は例外なく街を管理する大貴族。
現在は絶縁され家を出た身ではあるが、その心得は刻みつけられている。
………いや、それの隣辺に触れたのが一度目の生が終わる直前。
絶望的な力を持った魔王から逃げずに立ち向かった父を見た時だ。
この街で最強の魔術師の一人である父は逃げ出す他の貴族がいる中で騎士たちを指揮し、一人でも多くの住人が逃げられる様に時間を稼いだ。
そして死んだ。
正面から心臓を破壊され奴の腕を刺し違える様に………。
そしてその理由を真に理解したのは、生まれ直し再び子供時代を過ごした際に。
父が………いや、歴代当主やその家族がどんなに自らの身を削りながら日々を過ごしていたかを知る。
そんな家からアルムが縁を切られた理由は単純明快………才能が無かったからだ。
この世界のすべての物質には必ず魔力が混じっている。そして人や魔物はさらにその魔力に属性を持っている。
魔力に属性を持っていない者は、極稀に生まれてくる事もある。属性のない者は圧倒的な弱者であり、例外を除いて一定以上の強さにはなれない。
そしてアルムには魔力を生産する器官、魔泉すら無い。
イグナモノスの感覚はおかしくなどなく、正しかったのだ。
だが、絶縁は厳しくもあるが、笑みの一つも見た記憶が無い父の優しさだったのだろうとアルムは考えている。
一度目の生でアルムが暮らしていた孤児院には定期的に送金があり、そこから彼がいつもねだっていた本の代金はそこから出ていた。
そんな事を思い出したアルムは、昔、教師を目指していたなと思い出して苦笑する。
アルムは記憶力や計算能力が比較的よく勉強は出来た。学校で戦う事が出来ずとも尊敬されていた教師たちを見てそう思った。
魔泉を持たないアルムは同学年の………それどころか年下の子にすら護身術の授業で勝つ事は出来なかった。
その記憶力と洞察力から、相手がどう動くかは分かったのだが、体が動いてくれなかった。
あの時、自分に厳しくしていればそれは戦える才能であると気づけば、前世で魔王と戦っている父の隣に立てたのかもしれないと思うと歯痒い気持ちになる。
再びテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らす。先ほどと同じ店員が反応した。
「注文は?」
「さっきよりも強いお酒を貰えませんか?」
問いに対しアルムがそう答えると、彼女はアルムの顔に顔を近づける。
「ふぅん………まあ、酔っている感じがなさそうね………美味しかった?」
「いえ、苦かったです。
酔いたいのは分かるのですが、何故飲むのかと思う程に」
周囲の人々は皆それを飲んでいる。
念の為と置かれている度数の高く、味の良いと思われる高い酒を飲んでいる者はいない。
「あなた冒険者?ランクは?」
「はい、Dです」
「才能があるのね」
そんな事を言われ苦笑する。
冒険者など人々に仕事を斡旋する組織には、FからAまでの階級がある。
アルムのDと言うランクはすでに一人前。そのランクを貰う平均年齢は二十前後なので一般的に見れば才能があると言われるには十分だろう。
ちなみに魔王種が討伐出来れば、確実にランクAになれるだろう。
「仲間は?」
「いません」
「死んだの?」
「いえ」
アルムの答えを聞いた女性は少し考える素振りを見せて答える。
「じゃあ、次は誰かと一緒に飲んでみなさい。
ここに来る連中はそれが好きらしいから、それに一人でいると死にやすいって聞くしね」
「………分かりました」
「あ、何なら知り合いの冒険者でも紹介してあげようか?
可愛い顔してるんだからきっとみんな喜ぶわ」
手を叩いてそんな提案をしてくる。
「ありがとうございます」
そんな彼女を見て苦笑しながら返す。
アルムの回答を聞いた彼女は大きくいなずいて注文を伝えに戻った。
おそらく彼女はアルムが仲間を失った冒険者に見えたのだろう。
そして酒でも飲んで昔の事は忘れろ、新しい仲間を早く見つけろ、一人で迷宮には潜るな………こんなところだろう。
最後の紹介は、男女共に幼い異性に興味をもつ者は一定割合でいると聞く………そう言う趣向の者がいるといったところ………なのだろうか?
そして彼女は、すぐに小さなコップと同じ様に小さなボトルを持って戻ってきた。
値段は先程の食事代よりも高い。代金を渡して戻る時に耳元で呟かれる。
「知り合いに紹介するまで死なないでね」
そう伝えると彼女はアルムの返答が帰る前に離れた。
そんな気はさらさらないのに何故と思いながら酒を飲んだ。
全て飲んでも酔う事はなかったが味は普通にまた飲みたいと思う物だった。
そしてアルムは誰にも気付かれる事なく、「また、来ます」そんな呟きも誰の耳にも届く事なく、店を後にした。