未定
「懐古」
年賀状が届いた。ありきたりな絵馬のカラーペイントがしてあるハガキで、直筆での添え書きはない。年賀状という文化自体廃れているのに加えて、私には年賀状を交換するほどの関係性を持った知り合いは皆無と言ってよく、ボロボロになったポストの中に、年賀状の姿を確認したとき、嬉しさ半分、いぶかしさ半分といった具合だった。
二階建て、安アパートの階段を登り一番奥、角部屋という最高の我が根城に向かいながら、今一度、ハガキを裏表する。おもて面にタイプ文字で書かれている差出人の名前と住所を確認した。私には大阪に友人がいたらしい。もっぱら東京から出たことがない私にとって大阪に友人がいるというのはある種、アイデンティティのように感じた。海外に友達がいると自慢げに話す人に会ったことはないだろうか、ちょうどそんな感じだ。ふむ、昔の友人が引越しでもしたのだろうか。宛名は宮本龍とある。記憶にない。脳をフル回転させながら財布の中ポケットに入れた鍵を弄り、解鍵する。鬱陶しい引き戸タイプの木造扉を半ば開いたところで、「宮本龍」に関する情報の呼び起しに成功した。30後半、まだ年寄りとは言えないが脳の衰えを感じてきた私にとって上出来の処理スピードだった。とはいえ、私にとってかなりインパクトのある人物であっただけに、一時的とはいえ忘れていた自分に驚きを隠せなかった。
ハガキを玄関の床に投げ、安い革靴を脱ぎ、ソファへ直行した。蒸し暑く、いつもならクーラーをかけるところだが動くのがめんどくさく、じんわりとした汗をこれまたじんわりかきながら、ぼーっとした。虚脱感がひどい。今日は定時で上がれたのに。そのまま動けず、眠り落ちてしまった。外はまだ夕暮れ時で、折角空いた時間がもったいないなと感じながらも睡魔には勝てなかった。
宮本龍、彼とは幼稚園から中学校まで一緒だった。別段仲が良かったわけではないがすぐ近所に住んでいたので必然的に顔をあわせることが多かった気がする。彼の家は近所でも噂になるくらいのお金持ちで、御多分に洩れず家も豪勢な作り、多分日本家屋のような感じだったと思う。私の実家も持ち家ではあったが、彼の豪邸と比べると茅ぶき式の家のように感じられた。身なりもどこか気品にあふれていて、色白、長身で髪は短いながらも整髪料で整えていて、その佇まいだけで育ちの良さを語っていた。中学を卒業してからはどこかへ引っ越したらしく行方知らずだったが大阪に行っていたのだろうか。
彼は物静かな子であったが物事の本質を見抜く目に優れていた。何か議題を話す場面でも少しの発言だけで皆を納得させ、時には先生までかれの方針に従う時があった。発言するまではじっと動かず、茶色がかった瞳だけを動かし、端的に言葉を発する。なんとも言えない貫禄があった。決して目立とうとしている感じではなかったが、静かに、着々とその存在感を増していった。
中学二年生の時、生物の授業で花の生息域を二人一組のチームで探し、地図に記入するという実習が2時間続きであった。
私の苗字は宮川。出席番号が彼の一つ前で、ペアになった。基本的に彼の後ろについていくだけで地図は完成していき、優秀なペアを持ててラッキーとほくそ笑んだ。
学校の堀にあった雑草のような植物ー名前は忘れてしまったがーを二人で屈み込みながら見ている時に彼が急にこちらを覗き込んだ。その茶色い瞳は日本人にしては茶色が濃すぎて、外国人のようだった。全てを見透かされるような怖さがあり、目をそらした。すると彼は私の横顔を覗き込んだまま、
「僕は人の嘘が見抜けるんだ。」
といった。驚いて彼の顔を見返すと、すでに植物の方を向いていてその横顔はどこか物憂げな表情だった。
「お前でも嘘をつくんだな。」
驚きから我に返った私は、皮肉っぽい言葉を返した。なんだか彼に上に立たれた気がして、妙な焦りを感じていたのかもしれない。
「嘘じゃない。僕には嘘をついていることと同時に、真実まで見抜く力がある。どういうわけか知らないけどこれは生まれつきなんだ。」
いたって冷静に彼は続けた。
「仮にそれが本当だとしてなんで俺に言うんだ?俺は別にムードメーカーでもないし、学年で顔の知れた生徒でもない。言っても仕方ないだろ。」
彼は堀に生えた植物と図鑑を見比べながらぼそっと言った。
「君が学校で一番良くない嘘をついているからさ。嘘には良し悪しがある。君のはタチが悪いからね。嘘を見抜く人間がいると知れれば君の行動に制限がかかるだろう。僕は君のことを見ているよってね。」
背筋が凍った。彼の言動は断定口調で一切の異論を認めない強さがあった。
「俺が?そりゃ人間嘘はつくが、咎められるほど悪質な嘘をついたことはないぞ。そもそもなんだよ、嘘が見抜けるって。お前はもっと大人なやつだと思ってたが、御多分に洩れず、厨二病こじらせてやがる。」
腹が立って、立ち上がりながら、半ば怒鳴りつけるように言い放った。
彼は屈んだまま、観察するように私の頭の先から足の先まで順繰りに眺めた後、再び植物に目を戻し、何食わぬ調子で、
「地図を完成させよう、宮川。」
といった。
なんだこいつ。いきなり嘘つき呼ばわりしやがって。本気で腹が立って実習どころではなかったが、これ以上反論してもこの秀才には勝てそうになかったし、これ以上の反論を許さないという断固とした気迫が彼の背中から発せられていた。黙ってれば実習課題はこいつがやってくれるしここは従っておくか。そう思い、口をつぐんだ。