神様 明日は
これは、いまよりずっと人が少なくて、ここよりずっと小さな世界のお話です。
その世界には、大きな神様と小さな神様がいました。
ある日、大きな神様は小さな神様に言いました。
「あなたもそろそろ神様らしくなってきたから、人間の願いを叶える力を授けましょう」
それを聞いた小さな神様はとても喜びました。なぜなら小さな神様は人間が大好きだからです。
「だけど、その力は一度しか使えない。だからよく考えて使いなさい」
「はい、わかりました、大きな神様!」
小さな神様は元気よくうなづいて、意気揚々と人間の住む大地へと降りました。
小さな神様のことは人間には見えません。
小さな神様は小さな耳に手を当てて、人間の願い事を聞きます。
すると、とても綺麗な声がしました。
「ああ、綺麗なままでいたい……」
小さな神様はその声の方へと行きました。そこには鏡を見つめる美しい女の人がいました。
小さな神様のことが見えない女の人は鏡を見ながら言います。
「ずっとこのまま、若く綺麗なままでいられたらいいのに……」
女の人は女優さんでした。たくさんの人が彼女の出演する映画を見ようと映画館に並びます。彼女の美しさは、小さな神様もうっとりするほどのものでした。
「この女の人の願いを叶えてあげたいなあ。でも、どうすればいいのかな」
小さな神様は考えます。ずっと若くて綺麗なままにするには、どうすればいいのでしょう?
その時、小さな神様の小さな耳に、小さな声が聞こえました。
「悲しいなあ……辛いなあ……」
小さな神様は女の人が気になりましたが、その声も気になって、そちらの方へ行きました。
小さな神様の行った先にいたのは、真っ白なベッドの上で寝るおじいさんでした。
おじいさんは病院のベッドでうなだれています。腕に繋がれた点滴がとても痛そうです。
「もうすぐ孫が生まれるというのに、どうしてわしは死んでしまうのか……」
小さな神様はおじいさんがどんな病気かすぐにわかりました。
おじいさんの命はそんなに長くありませんでした。
おじいさんも自分の寿命のことはわかっていたのでしょう。
「ああ、死にたくない。わしは死にたくない……」
深い嘆きに小さな神様はとても胸を痛めます。
小さな神様はおじいさんを助けてあげたくなりました。
「このおじいさんの願いを叶えてあげたいな。でもどうすればいいんだろう」
小さな神様は考えます。どうすればおじいさんは死ななくてすむのでしょう?
その時、小さな神様の小さな耳に、とても楽しそうな声が聞こえました。
「嬉しい! 嬉しい!」
そのあまりにも楽しそうな声に、小さな神様はついつられてそちらに行きました。
そこでは可愛らしい女の子のお誕生日会をしていました。
女の子はお父さんとお母さんに囲まれて、ケーキのろうそくに息を吹きかけます。
とてもとても幸せそうです。
「お誕生日、おめでとう!」
「ほら、誕生日プレゼントだよ!」
「わあ! ありがとう、お父さん、お母さん!」
女の子はとても嬉しそうです。その笑顔を見て小さな神様も嬉しくなってしまいました。
「とっても嬉しい。とっても幸せ。ずっと誕生日ならいいのに!」
女の子はそう言って笑いました。
小さな神様はあまりにも嬉しそうに女の子が笑っているので、その願いを叶えてあげたくなりました。
「この女の子の願いを叶えてあげたいな。でもどうすればいいだろう」
小さな神様は考えます。どうすれば女の子はずっと嬉しいままでしょう?
その時、小さな神様の小さな耳に、とても苦しそうな声が聞こえてきました。
「うううう……ううううう……」
小さな神様はその苦しそうな声が心配になって、その声の方へ行きました。そこにはくたびれた姿で座り込む男の姿がありました。
「もうお金がない……もう働くのが辛い……ああ……もう仕事に行きたくない……」
男の人は、朝から晩まで働いていました。男の人が失敗すると、男の人のことを怖い上の人が怒ります。
ですが、男の人はご飯を食べるためには働かなければお金がもらえません。男の人は言います。
「ああ、明日などこなければいいのに……!」
「それはいい考えだ!」
小さな神様は、男の人の言葉に、ポンッと手を打ちました。
なぜなら、明日が来なければ、
女の人は綺麗なままです。
おじいさんは死にません。
女の子は誕生日をずっと楽しみます。
そして、男の人は働きにいかなくて済むのです。
小さな神様は、喜々として空を見上げると、空の上にいる大きな神様に言いました。
「大きな神様、決めました! 私は人間たちに明日が来ないことを叶えます!」
大きな声でそう宣言する小さな神様の声に、世界中が震えました。
人間も、動物も、木も魚も、すべてが一瞬、ぎりり、と震えました。
しかし皆、何が起こったのか気が付きませんでした。
小さな神様は、世界から、明日を消しました。
小さな神様が、たった一つ、もらった力は、明日を消すことに使われました。
大きな神様は、それを黙って見ていました。
やがて、また日が昇り、朝になると、人間は明日が来ないことに気が付きました。
それは「どうして?」と聞かれても分からないのですが、ただ分かるのです。
自分たちに明日は来なくなったのだと。
女の人は自分がずっと綺麗なままなことを喜びました。
「これで私はずっとこのまま! ああ、なんて素敵なの!」
おじいさんはベッドの中でつぶやきます。
「わしは死ななくていいのか?」
ほっとした声でした。
女の子はまた誕生日が来たと大喜びです。
「わーい! わーい! またお誕生日だ!」
男の人は泣きながら笑いました。
「これで食べ物にも困らない。働きにいかなくもいい!」
みんなに感謝されて、小さな神様はとても嬉しくなります。
「人が老いて死ぬ、辛いことが続く、何が起こるかわからない明日なんて、人間には必要のないものだったんですね」
小さな神様が得意げに大きな神様に言いました。
大きな神様は、黙って小さな神様の頭を撫でました。
それからの毎日、人間はとても幸せだったのでしょうか?
ご飯の心配をしなくてもよく、老いることもなく、毎日が同じ一日。
そのことは、とても幸せだったのでしょうか?
「こんなのは嫌だ!」
叫んだのは、一人の少年でした。
「僕には夢がある。大きくなって飛行機を作る人になりたいという夢がある。
だけど、毎日が同じ一日だったら、僕は大きくもなれない。
何もできない。生きる意味がない!」
小さな神様は、少年の強い怒りに戸惑いました。
やり場のない怒りは、まっすぐに小さな神様に向かいます。
「こんなことをするのは神だろうけど、僕たちから明日を奪った神を、僕は絶対に許さない!」
人間のためにと思って明日をなくした小さな神様は、ひどくその少年の言葉に傷つきました。
小さな神様は傷ついた自分の心を慰めるために、明日がなくなって喜んだ人たちを見に行きました。
女優だった女の人は、鏡を割っていました。女の人は叫びます。
「毎日、毎日、同じ顔! どんなに綺麗にしようとしたって、何もしなくとも同じ顔! どうしよう、皆が見飽きたって言っている! どうしよう!」
女の人はとても綺麗な人でしたが、いつも同じ顔だったので、映画館に並んでいた人たちは女の人の映画を見なくなっていました。
「ああ、一体誰がこんな世界にしたの! どうして明日が来ないの?」
苦しむ女の人に、小さな神様は問いかけます。
「だってあなたはずっと若く綺麗なままでいたいと言ったでしょう?」
見えないはずの女の人は、それでも答えます。
「これなら若いままでない方がいい。年をとって老婆の役でも、綺麗な老婆だと言われて褒められた方がいい。綺麗なだけじゃ意味がなかった!」
小さな神様は泣きそうになりながら、女の人の元から逃げました。
次に、小さな神様はおじいさんのところに行きました。
おじいさんはシーツを握りしめ、苦しそうにしていました。
「ああ、早く楽になりたい……苦しい……辛い……」
おじいさんの病気はかなり悪かったので、痛みがおじいさんを苦しめているのです。
「どうして明日が来ないんだ。娘の腹も大きいままで辛そうだ。神様、これはあなたがわしに与えた罰ですか?
老いさらばえてもなお生きたいと願ったから、罰が当たったのですか?
子供が生まれてくることを楽しみにしていた娘が、本当に可哀そうだ……」
罰だなんてとんでもない。
小さな神様はおじいさんの願いを叶えたはずなのに、そのことがおじいさんを苦しめているとは思いもしませんでした。
小さな神様は泣きながら、おじいさんの元から逃げました。
今度はあの喜んでくれた女の子の元へ行きました。
部屋の中は真っ暗です。テーブルの真ん中にはケーキが置かれたまま。その前でひとりポツンと椅子に座る女の子。
「毎日毎日、同じ一日。毎日ケーキなんて美味しくない。お父さんもお母さんも、毎日、私の誕生日なのに悲しそう。全然嬉しくない!」
ケーキにフォークを突き立て、女の子はケーキをぐしゃぐしゃにします。
「また一晩寝たら同じケーキ。特別な日だったはずなのに、毎日誕生日なんて、こんなの普通の日じゃないか!」
女の子はしくしくと泣き出してしまいました。あんなに自分の誕生日を嬉しがっていた女の子が、今はとても悲しそうにしています。
小さな神様は頭を大きく横に振ると、大きな泣き声を上げながら、女の子の元から逃げました。
最後に、小さな神様は男の人の元へ行きました。彼なら、小さな神様に感謝しているはずです。
なぜなら、明日が来なければいいと言ったのは彼だからです。
男の人はベッドの上で寝ていました。天井を眺めていました。
仕事に行かなくてもいいし、食べなくてもいい。
何も起こらない、何も変わらない毎日を、男の人はただ、ベッドの上で寝ているだけでした。
小さな神様は上から男の人を見降ろします。
男の人の目は何も映していませんでした。
微動だにせず、ガラス球のような目で天井を見上げる男の人は、ただ一言、ポツリと言います。
「俺は、生きているのか?」
小さな神様は、自分がしてしまったことがどんなことなのか知りました。
それが人間にとってどれほど怖いことなのか、知りました。
小さな神様は泣きながら、大きな神様の元へと向かいます。
「大きな神様、お願いします! 人間に明日を返してあげてください。私はとんでもない間違いをしてしまいました」
大きな神様は、小さな神様に対してゆっくりと首を横に振りました。
「それはできない願いだ。小さな神様、私はあなたに人間の願いを叶える力を一つしか与えていない。あなたが叶えた願いを私は取り消すことはできないんだ」
「ではどうすればいいのですか?」
泣きながら小さな神様は問いかけました。これではあまりにも人間たちがかわいそうです。
大きな神様は悲しそうな顔のまま、言い聞かせるように小さな神様に言います。
「一度なくした明日をとり戻すことはとても難しい。たくさんの人が死ぬだろうし、たくさんの人が悲しむだろう。それでもお前は明日が欲しいのかい?」
小さな神様は躊躇います。自分のせいで誰かが死ぬことは嫌だと思ったからです。
だけど、そんな小さな神様の小さな耳に、人間の声が聞こえてきます。
「私たちは明日を取り戻すためならどんなことをしてもいい」
「私たちは明日のために生きる」
「私たちは明日が欲しいんだ」
人間たちの強い願いの声でした。
小さな神様は、大きな神様に言いました。
「どんなに難しくても、私は人間に明日を返さなければなりません」
大きな神様は大きく頷くと、小さな神様に言いました。
「頑張りなさい。それはとても難しいことですが、あなたならできるはずです」
小さな神様は、明日を取り戻すために頑張りました。
明日を取り戻すことはとても辛いことでした。
たくさんの人が死にました。たくさんの人が辛い思いをしました。たくさんの人が泣きました。
それでも皆、口をそろえて言うのです。
「何も変わらない今を生きるより、何かが起こるかもしれない明日を手に入れたい」
小さな神様の背中には、たくさんの人間の願いが手形となって刻まれました。たくさんの願いが、神様の背中を真っ赤に染めます。
その願いに背中を押されながら、小さな神様は……
とうとう、明日を取り返しました。
ある朝のことです。小さな女の子は目を覚ましました。
なんてことない朝でした。ですが、何かが変わった朝でした。
女の子は誕生日が繰り返されたことを覚えていません。ですが、とても幸せでした。
「おはよう、あら起こす前に起きてきたのね、偉いわ」
お母さんが女の子を褒めます。女の子は嬉しそうにお母さんに答えます。
「だって私、もう五才だもの!」
女の子は誕生日を迎えて、ひとつ成長したのです。
ある病室では、おじいさんのお見舞いに大きなお腹の娘さんがきていました。
「おとうさん、早く良くなってね」
娘さんの言葉に、おじいさんはにこにことしながら、頷きます。
「この子ね、たくさんお腹を蹴ってくるの。きっとおとうさんに似て足が強いのね」
おじいさんは若いころ、走ることを趣味としていたので、娘さんの言葉に嬉しくなりました。
体はとても痛いのに、おじいさんはもう悲しくありませんでした。
娘さんのお腹の中の子と、会えないまま死んでしまうことはとても悲しいと思いましたが、自分の命はきちんときちんと孫にまで受け継がれていくのだと知ったからです。
その晩、おじいさんは眠るように亡くなりました。
その町ではとても美しい女優がいました。しかし、次々と若い女性が現れ、彼女は主役ではなくなります。
ですが女優の女の人はちっとも悔しくありませんでした。
「見て、このしわ。私が今度演じる役は中年の女性だけれど、私はこの役を誰よりも美しくこなしてみせるわ」
その言葉の通り、女の人は見事その役を演じ切り、女優として素晴らしい賞をもらいました。彼女はますます素晴らしい女優になりました。
ある場所で、働くことにくたびれていた男は、いつの間にか少しだけ偉くなっていました。
仕事は辛いことも多かったのですが、男の人は自分にできることを少しずつこなして、悪いことを良くしていきました。
それは大変なことでしたが、男の人のおかげでたくさんの仲間が仕事をしやすくなりました。
男の人は生き生きとした顔で仕事場に向かいます。
もうご飯を食べることに困ることもありませんが、今でもその時のことを思い出します。
そうすると少しだけ苦しくなって、だけどもっと頑張ろうと不思議に思えるのでした。
そうして、人間に明日が戻りました。
さて、小さな神様はどうなったのでしょうか?
小さな神様は、明日を取り戻すためにたくさんの力を使ってしまい、神様とは思えないほど、小さくなっていました。
もう、小さな神様に、神様としての力はほとんどありませんでした。
背中を赤くして、ボロボロになった小さな神様を、大きな神様はその大きな手のひらにそっと乗せました。
「よく頑張りましたね。あなたに力はほとんどなくなってしまったけれど、大丈夫です。また、これから力を貯めていきなさい」
大きな神様の言葉に、声もなく小さな神様はポロポロと泣きました。
だって、こんなに人間をたくさん苦しめてしまった自分は、もう、神様ではいられないと思ったからです。
それでも大きな神様は言うのです。
「明日があるということは、やり直すこともできるということなのです」
小さな神様は、小さな口を開き、小さな小さな声で言いました。
「神様 明日は とても素晴らしいもの なんですね」
これは、明日を取り戻した小さな神様のお話。
老いる人、
育つ子、
死ぬ人、
生きる人、
すべての人の明日が、幸多い日でありますように。
おしまい