第一章・魔界と魔力 4
四
レイチェルは同僚のマイケルと一緒にニューヨーク郊外にある住宅街に向かって車を走らせていた。レイチェルがあの監視カメラの映像について調べて行くうちに、実はYouTubeの動画サイトでも、あの監視カメラの映像と似たような映像が公開されていることが判明したのだ。しかも、その映像はスマホを使って撮影されたものだった。IPアドレス等を使って確認を取ったところ、その動画を撮影したのは、今、レイチェルとマイケルが向かっている、ニューヨーク郊外に住む、マックリーンという、三十七歳の男性が所有しているスマホで撮影されたものだということがわかった。レイチェルがマックリーンに電話で確認を取ると、マックリーンは確かにあの動画は自分が撮影したものだと答えた。そしてレイチェルとマイケルのふたりは、マックリーンから詳しく話を訊くべく、今、マックリーンの自宅があるニューヨーク郊外の住宅街に向かって車を走らせているところだった。
「……しかし、レイチェルはどう思う?」
レイチェルが黙って車を走らせていると、助手席に腰掛けているマイケルが振り向いて話かけてきた。レイチェルは横目でちらりとマイケルの顔を一瞥した。
「どうって?」
レイチェルは確認した。
「……いや、だからさ、あの映像だよ」
マイケルは言った。
「あの、紫色の蜥蜴みたいな化け物の正体が気になるのはもちろんだが、俺が一番気になっているのは、あの映像のなかで、男が掌から発射したものの正体なんだ……掌から炎みたいなものが発射できるって、一体どうなってるんだ?」
レイチェルはマイケルの話に耳を傾けながら、考え込んでいた。レイチェルも監視カメラの映像のなかで、男が掌から発射している何かエネルギー弾のようなものの正体はずっと気になっていた。何か最もらしい説明ができないものだろうかと思って何度も考えてみたのだが、今のところ、上手い説明は何も思いつかなかった。たとえば服の隙間に拳銃のようなものを仕込んでおいて、そこから攻撃したのだとしても、映像に映っていた丸い光の玉のようなものの正体を説明することはできなかった。
「ひょっとするとあれは……」
レイチェルの思考の外でまだマイケルは話続けていた。信号待ちになったので、レイチェルは振り向いて同僚の顔を見た。
「あれは魔法なんじゃないか?」
マイケルはごく真面目な顔をして言った。
「だって、ほら、よくSF映画なんかであったりするだろ?スーパーマンとかさ、目からビームを出したりとかさ、ああいった類のものなんじゃないかなって俺は思ったりするんだが……」
レイチェルは同僚のあまりにも突拍子もない発言に苦笑するように口元を綻ばせると、あり得ないというように軽く首を左右に振った。信号が青に変わったので、レイチェルは車のアクセルを踏んだ。
やがてふたりは目的地に到着した。家の前に車を止めると、ふたりは車を降りて家の前まで歩いて行き、家のベルを押した。すると、程なくして、家のドアが開き、なかから瘦せて背の高い白人男性が姿を表した。レイチェルが「あなたがマックリーンさんですか?」と確認を取ると、白人男性は「そうですが?」と少し警戒しているような表情で頷いた。
レイチェルは自分がFBI捜査官であることを示すバッジをスーツの内ポケットから取り出してマックリーンに見せた。それから、さっき電話で確認を取った動画の件でいくつか確認したいことがあって今回訪問したことを伝えた。マックリーンはレイチェルの言葉に納得したように短く頷くと「お待ちしていました。どうぞなかにお入りください」と丁寧に言った。「お忙しいところ、ご協力に感謝します」とレイチェルも丁寧に礼を述べて家のなかに入った。
マックリーンに案内されたリビングは綺麗に片付けられていた。赤色砂岩の壁に茶色を貴重とした家具。本好きなのか、壁際には大きめの本棚が備えつけられており、そこにはかなりの数の本があった。遠目なので詳細はわからなかったが、それらはかなり厚みのある、専門書らしき書物のようだった。
「どうぞ、おかけください」
マックリーンに促されてレイチェルとマイケルのふたりは茶色の革張りのソファーに腰を下ろした。「今、お茶をいれてきますので」とマックリーンがキッチンの方へ歩いていこうとしたので、レイチェルは「どうぞお構いなく」と慌てて言った。「簡単にお話をお伺いしたいだけなので」
レイチェルの科白に、マックリーンは頷くと、レイチェルとマイケルのふたりと向き合う形に配置されている、独りがけのソファーに、少し落ち着かない様子で腰を下ろした。
レイチェルはメモを取るために、スーツの胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。
「……それで、例の、動画の件についてなんですが……」
レイチェルは切り出した。
「わたしがYouTubeにアップした、あの動画についてですね?」
マックリーンはレイチェルの顔を見ると言った。
「そうです」
と、レイチェルは答えた。
「あれはその……あなたが創作したもの、ではないんですよね?」
レイチェルは念のために確認を取ってみた。
「とんでもない!」
レイチェルの発言に、マックリーンは心外だというように大きな声を出した。
「……すみません。念のために確認しただけです」
レイチェルはすぐに謝罪した。
「つまり、マックリーンさん、あの動画を撮影できた、ということは、あのとき、あなたもその現場にいたということですよね?」
横からマイケルが口を開いて言った。問いを受けて、マックリーンは今になってはじめてマイケルがそこにいることに気がついたといった様子でマイケルの顔を見た。
「……そうです」
マックリーンは軽く目を伏せて言った。レイチェルにはそう答えたマックリーンの顔は何かに怯えているようにも映った。
「昨日は、わたしは遅くまで会社に残って仕事をしていました。その日のうちにどうしても仕上げてしまわなければならない仕事があったんです。そしてようやくのことで仕事を終えて、会社から外に出たところで……あれを、つまり、動画で撮影した光景を目にしたんです。そしてわたしは慌てて、その信じられない光景を記録に残そうと、スマートフォンについているカメラで撮影したんです」
「なるほど」
レイチェルは頷いた。
「……失礼ですが、マックリーンさん、あなたは、あの事件……事件というか、信じられない光景を目にしたあと、警察にすぐに連絡をしていませんね?」
マイケルがレイチェルの横で口を開いて言った。焼けこげた警察車両があるとの通報が警察に入ったのは、夜が開けてからだった。しかも、通報してきたのは、朝、会社に出勤してきた会社員で、マックリーンではなかった。
「そ、それは」
マックリーンは不満そうに唇を尖らせた。
「気が動転していたんです。……あまりにも信じられないものを見てしまったから。そんなこと、思いつきもしなかったんです」
「大丈夫。べつに、あなたを責めているわけではありません。ただ、状況を確認しておきたかっただけです」
マイケルは、マックリーンを宥めるように、軽く口角をあげて、極力やわらかい口調で言った。マックリーンはマイケルの言葉に、納得したのか、軽く頷いた。
「で、マックリーンさん、あなたはどう思いますか?あなたが目にしたものについて。わたしたちは監視カメラの映像や、あなたがスマホで撮影した動画でしか、状況を確認していない。でも、あなたは、その現場を直接目にしている。あなたから見て、あれはなんだったと思いますか?」
マイケルは質問を続けた。質問を受けたマックリーンは答えることを躊躇うように、少し視線を斜めに泳がせた。レイチェルはなんとなくマックリーンの視線の先を追っていたが、それは壁際にある本棚の方へ向けられているように思えた。
「……わかりません」
と、マックリーンはやがて口を開くと、少し擦れたような声で答えた。
「……ただ」
と、マックリーンは言葉を続けた。レイチェルはマックリーンの顔を注視した。
「すごく嫌な予感がします。実を言うと……」
と、マックリーンはそこまで口にしてから、苦笑するように口元を綻ばせて軽く首を振った。
「……いや、やめておこう。こんなことを言っても、非科学的だって、刑事さんに笑われるだけだ」
「いえ、ぜひ聴かせてください」
レイチェルはマックリーンの顔を真っすぐに見つめると、真剣な口調で依頼した。
「どんな話でも構いません。何か事件を解決する糸口になるかもしれません」
そう言ったレイチェルの顔を、マックリーンはいくらか意外そうに見つめた。