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アイザック博士の考察

 レイチェルは今警察署にある遺体安置所にいた。そこでは白衣を着たアイザック博士が、何時間か前に、突然腐食しながら死亡した、謎の、蝙蝠を彷彿とさせる巨大生物を解剖していた。半分溶けた巨大生物は腐ったような悪臭を放っていた。それは硫黄の匂いに、魚の匂いを混ぜたような不快な匂いだった。レイチェルはこみ上げてくる吐き気を必死に堪えていた。


「……どうですか?博士?何かわかりましたか?」

 レイチェルは博士に問いかけた。レイチェルとアイザック博士は顔見知りといってもいい仲だった。過去の事件でレイチェルは何度かアイザック博士に意見を求めたことがあった。アイザック博士はもう七十歳近い、小太りの白人男性だった。彼の姿は幼い頃大好きだった祖父の姿をレイチェルに思い起こさせた。特にその優しげな目元が似ているとレイチェルは密かに思っていた。


「こいつは実に奇妙な生物だ」

 アイザック博士は死骸から顔をあげてレイチェルの顔を見ると、気味悪がっているというよりも、興奮している口調で言った。


「この生物の身体の構造は地球上のどの生物とも類似したところがない。全く、謎の生物じゃよ」


「……この生物はニューヨーク郊外の路上で、ひとを襲って食べていたんです」

 レイチェルは言った。


「知っている。こいつの胃袋から人間の身体の一部が出てきたのでな」

 アイザック博士は手元の解剖台にある、赤黒い肉の塊に眼差しを落としながら詰まらなさそうに答えた。


「一体、この生物はなんなんでしょう?」

 レイチェルは訊ねてみた。レイチェルの問いに、アイザック博士は眼差しを伏せたまま、難しい顔つきで頭を振った。


「わからん。ただひとつ言えるのは、この生物が地球上で進化した生物ではないということだ……現に、この生物が突然溶解して死亡してしまったのも、地球の大気の成分が、この生物の体液に異常反応を起こさせたためだ……この生物がもともといた惑星も基本的な大気の構成要素は地球と同じものだったんだろうが、しかし、その一部が微妙に違っていたのだ。そしてその違いが、結果的に、この生物に死をもたらした。最初の何時間かのあいだは平気だったとしても、やがて地球の大気成分は、この生物の体液を酸性に変えしまうのだ。だから、この生物は溶けて死んでしまったというわけだ」


「……なるほど」

 レイチェルは頷いた。そういうことだったのか、とレイチェルは腑に落ちた。突然に仰向けに横たわると、腐り始めた未知の生物。……でも、もし、あのとき、地球の大気が自分に味方してくれていなかったら……そう思うと、レイチェルはぞっとした。間違いなく今頃自分は死んでいただろうとレイチェルは思った。


「……でも、ということは、もし博士の言う通りだとしたら、この生物はエイリアンだということになってしまいます。一体、この生物はどうやって地球にやってきたんでしょう?」

 レイチェルはふと疑問に思って言った。


「わからん」

 アイザック博士は不機嫌そうに答えた。


「だが、ひとつ可能性として考えられるのは、振動数の変化かもしれん」


「振動数?」

 レイチェルは軽く眉を潜めて、あまり聞きなれない言葉を発した。アイザック博士は頷くと、言葉を続けた。


「わしは昔、異世界、パラレワールドというものに興味を持って個人的に研究していたことがあるんだ。レイチェルはパラレルワールドというのは知ってるかね?」


「……ええ。なんとなくは……たとえば……その、SF小説なんかでよく出てきたりする?」

レイチェルの言葉に、アイザック博士はそうだというように頷いてみせた。それから、


「わしの研究結果によると、恐らく、パラレルワールドというものは実在しているんだ。我々が知覚することができないだけで、この我々が生活している空間の上に重なるようにして、何層にもわたって、無限にパラレルワールドというものは存在していると考えられるんじゃよ。では、我々が生活している空間とパラレワールドを区切っているものは何かというと、それは振動数なんだ。振動数の違いが、我々の世界を隔てておるのだ。そして今回の件は、本来あるべきはずの振動数の違いが、何らかの原因によってなくなってしまったことによって起こったと考えられる。つまり同調が起こってしまったのだな。振動数の違いがなくなったことによって、異世界と地球が繋がってしまったか、あるいは、このグロテスクな巨大生物の身体の振動数だけが変化してしまったのか……いずれにしても、そんなところだろう……」



 レイチェルは貴重な意見を聞かせてもらった礼を述べてアイザック博士のもとをあとにすると、同僚のマイケルが入院している病院に戻った。あのあと、救急車で病院に運ばれたマイケルはなんとか一命を取り留めることができていた。ただ道路に激突した際に強く頭を打っていてまだ意識は回復していなかった。更に言うと、跳ね飛ばされた際に化け物の爪によって右腕に深い傷を負ってしまっていた。マイケルが普通に動けるようになるまでにはまだしばらく時間がかかるだろうと思われた。


 頭に包帯を巻いて、呼吸器をつけて眠つづける同僚の顔を見つめながら、レイチェルは今日一日の出来事を思い返していた。今日はあまりにも色々なことがあり過ぎたとレイチェルは思った。監視カメラに映っていた不可思議な映像。動画を撮影した男性が話していた預言の話。そして帰り際の、グロテスクな、地球上の生物ではないと思われるもの。それから、アイザック博士の見解。


 振動数……パラレルワールド……異世界……異世界?レイチェルはそこまで思考を進めてからはっとした。……確か、今日の昼間話を聞いたマックリーンという男性が、それと似たような言葉を口にしていなかっただろうか。レイチェルはふと思い当った。あのとき男はなんて言っていたのだったか……しばらく考えてからやがてレイチェルは思い出した。男が確か魔界と言っていたことを。……魔界から恐怖の大魔王がやってきてこの世界を滅ぼすとかなんとか……最初マックリーンから話を聞いたときはあまりにも現実離れした話だったので、少し気になりはしたものの、あまりに真剣に取り合っていなかったのだが、しかし、さっきのアイザック博士の見解といい、あの不気味な生物のことといい、あながち全くのデタラメとも言えないのではないか。レイチェルは思った。……いや、案外、あの男が言っていたことは全てほんとうのことなのかもしれない……レイチェルは寒気を覚えるように思った。……もう少し、あのマックリーンという男性から話を聞いてみるべきではないのか。レイチェルは思った。それに確か、あの男の部屋には何かの専門書と思われる書籍がたくさんあった……あれはもしかすると、大学教授だったという彼の父親が残したものではないのか……すると、それらの書物を調べれば、今起こっている現象について何かわかることもあるのではないか……レイチェルはそこまで考えてから居ても立ってもいられなくなってきた。レイチェルは瞳を閉じて眠り続ける同僚に向かって「ちょっと、調べたいことができたら行ってくる」と、声をかけると、慌てて病室から飛び出して行った。


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