プロローク
プロローグ
その国際研究機関は、スイスとフランスの国境地帯にあった。そしてその実験装置は、その国際研究機関内の奥深くに、ひっそりと、人目を避けるように設置されていた。
それは一見すると、水槽のようにも見えた。といっても、ただの水槽ではなく、巨大な水槽である。それだけの大型の水槽であれば、マンタ等の大型の魚類も楽々と飼育することができるだろうと思われた。その水槽を思わせる装置の内部は透明な液体で満たされ、その透明な液体は微かに青色がかった光を発していた。そしてその水槽を思わせる装置の上下には、黒色の、何か複雑な感じのする、たとえば人間の脳を彷彿とさせる金属の塊が設置されていた。そしてその金属の塊に対して電力を供給するものなのか、これまた黒色の、太いケーブルが無数に接続されていた。実験装置はドクンドクンという、何か心臓の鼓動音を思わせる、低く不気味な音を立てて駆動していた。実験室内は光を発する液体の内部をよく観察するためなのか、ほとんど真っ暗であり、光を発しているのは、実験装置の内部に満たされた液体と、あとは周囲にあるコンピューター等の計器類だけだった。その広大な面積を持つ実験室内では複数の職員が忙しそうに動きまわっていた。
今、白衣を着たふたりの科学者が、その巨大な、水槽を思わせる実験装置……異世界を覗き見ることができる窓の前で、険しい表情で顔を見合わせていた。
「博士!これはどういうことでしょうか?」
ミシェル博士は緊迫した口調で詰問するように言った。
「……わからない。こんなはずでは……」
ダンチェッカー博士はその声にはっきりと狼狽の色を滲ませて答えた。
「……大変です!」
ミシェル博士は近くの計器に目を落とすと、ほとんど絶叫するように言った。
「振動数が急激に変化しています……このままでは……爆発します!」
「は、早く、世界線を閉じるんだ!」
ダンチェッカー博士は慌てふためいた様子で言った。
「駄目です。もう間に合いません!」
眩しい閃光が、異世界を覗きみることのできる窓、その実験室内にある、巨大な水槽を思わせる実験装置から発せられた。と、その直後、欧州原子核機構の一部は激しい爆発音と共に吹き飛んだ。
ときを同じくして、アメリカ、ニューヨーク。オフィス街。深夜二時。
警察官であるレオナルドは、警察車両のフロントガラスの向こうに信じられない光景を目にした。なんと、それまで何もなかった、高層ビルが林立する空間のなかに、突然、得体の知れない生物が出現したのだ。それは滑らかな紫色の皮膚を持った、巨大な、蜥蜴に似た生物だった。体長十二メートル以上はあるだろうか。レオナルドは近くで映画の撮影でもやっているのだろうかと思って辺りを見回してみたが、あたりはしんと静まり返っていて、全くそのような様子はなかった。映画の撮影を観に来ている野次馬らしき人だかりもなければ、映画の撮影クルーらしきひとたちの姿もない。……ということは、あれはなんなのだろう?レオナルドはフロントガラスの向こうに見える巨大な生物に、もう一度目を向けてみた。
すると、それまでは気がつかなかったのだが、その巨大な蜥蜴型の生物の背中には、何か中世ヨーロッパ時代の甲冑を彷彿とさせるものを身に纏った男が跨がっていることに、レオナルドは気がついた。そしてレオナルドがその人物に気がつくのと同時に、その人物もレオナルドの存在に気がついたようだった。
その長い黒髪をオールバックにまとめた、妙に顔の青白い男は、レオナルドに向かって微笑みかけた。というより、レオナルドは微笑みかけられたように思った。だから、つられるようにして、レオナルドもその口元に、いくらか強張った笑みを浮かべた。
と、その直後、レオナルドが微笑み返した男は、レオナルドに向かって右手の掌を翳した。そしてその次の瞬間、その男の掌から明るくグリーン色に光る光の玉が発射された。そしてそれはレオナルドの乗った警察車両に到達すると、ドォン!という轟音と共に激しく爆発した。レオナルドの乗った警察車両はまるで見えない拳で殴りあげられたように五メートル程空中に舞いあがり、やがて重力の力に従って再び地面に落下すると、横転しながら勢い良く燃え上がった。
黒い、甲冑のようなものを身に纏った男は、炎をあげて燃え続ける警察車両の様子に満足そうに口元の両端をつり上げて微笑すると、紫色の肌を持った生物の背に軽く手を触れた。すると、巨大な紫色の蜥蜴を思わせる生物は男と共に夜の暗闇に溶けるようにして姿を消した。