世界と夢とはじまり(2)
ぼちぼちやってます
理妖は朝の匂いが好きだった。
耳に軽く掠めていく鳥の囀り。皮膚をひんやりと生の感覚を与える冷たい冷気。夜の黒に藍がまじって、蒼に変わるまでの色彩の変化。
「でも、今は昼なんだよな。」
ここが日本ならうるさいくらいの蝉の声が鳴いているだろう灼熱の太陽の下を理妖は雑踏をかき分けて歩いた。石を敷き詰めた通りをありとあらゆる人種が行き交っていた。道の両側に並ぶのは様々な露天である。朝起きてなんともなしに、だらだらと過ごすのは最近になって身に付いた理妖の悪い癖である。青白く染まり始めた空を眺めながら歩くのは理妖の精神安定剤といってもいいほど大切な日課だったが、この10日というほど朝はいつも毛布にくるまってにの虫のように過ごしていた。
(リアは今頃何してるんだろうなー。凛華と横並びでスクワットさせたら面白そうだな。)
お姫様とお嬢様の二人が筋肉パンパンになるまでスクワットするのを想像して、理妖は首を振った。未だに宿の部屋で読んでいた本の内容に若干引きずられているのはよくない。のめり込むのは武器だが、のめり込みすぎると毒になる。現実と空想の区別が付かなくなった時、人は狂うのだ。学院に入ってからもこういうことが続けば、ルーンストーンを貰うどころか、禁書図書館への入館許可すら夢物語だ。理妖は今しがたすれ違った通行人の頭のてかり具合をみながら、朝ごはんがまだだったことに気づいた。あの太陽の光を存分にあびた頭頂部で卵焼きを焼いたらどうだろうか。勿論怒られます。
「おっす。その何かよく分からないものをくれ」
声を露天でお好み焼きらしきものを売っている少女に声をかけた。
「……。え?どれのことです?」
「君がほしい」
「…。え。??」
「君のことが知りたいんだ…。鶏から生まれることはしってる。でも知識として知っているだけで、本当に知っていると言えるのだろうか。黄身がほしいんだ。」
明るくつとめて明るく、犬のもふもふ耳が生えた活発そうな女の子の手をがしっと握って畳みかける。
「黄身があれば何でもできる気がするんだ。君は黄身は売り物じゃないというかもしれない。確かに黄身を売ってるようには見えない。でも、嘘だと思うかもしれないが聞いくれ。さっきからずっと僕は黄身のことだけ考えてる。」
「な、な、な…なななな」
「食べてしまいたいんだ。今。ここで」
「こ、ここでですか!!!??」
「ああ。できれば白身もあるといい。やっぱり一緒に頂くのが普通だと思う」
「シロミさんと一緒に!?で、でも私、シロミさんて知らな…」
パニックを起こしかけた、犬耳っ子に笑いかける
「ごめん。じょーだんだよ。からかっただけ。卵焼きが食べたいと思ったんだけど、売ってないよね。それちょーだい」
「え?卵焼き…君。黄身?白身さん…。…。…。っあ!心臓に悪いですう。ええと、お好み焼きは350ペギーです。」
しょげた耳が可愛いと思いつつも、もう一度ごめんと謝る。
「はい。君っていつもここで露天やってるの?僕と同じくらいの年齢だよね。僕は11歳くらいなんだけど、君はやっぱり処女なの?」
「あ。そうなんですか。私も同じ11歳で処女…って言いませんよ!どういう脈絡ですか!」
「僕は道程で小腹が減って立ち寄っただけの童貞だよ」
「なんで駄洒落!…もうセクハラが激しいですよぅ…。こんな人初めてです。あ、初めてといってもそういう意味じゃありませんからね。」
つまらない洒落をハハハ、と鼻で笑って流してから。
「でも、珍しいよね。君みたいな子供がこんな大通りで食べ物を売っているなんて。最近は、もうちょっと狭い路地に入れば、物を売り付ける子供もたくさんみかけるけど。」
「そうですね。最近多いです…。2か月前に起こった、ユルス村での例の事件の影響だっていう人もいます。あっちから人が流れてきているみたいで す。なんでも恐ろしい怪物が出たとか」
「人の口に戸は立てられないか。流言は重罪なんだけど。」
「命にかかわることですからねー。どうしても情報は錯綜してしまいます。最も恐ろしい噂では、人をまとめて十人噛み殺すことのできるような大きさの火竜 (ファイア・ドラゴン)が出たって話ですよ。」
「そりゃ怖い。神獣じゃないか。」
「最も笑える話では、鼠の鳴き声を怪物の声だと勘違いしたんだってことになっています…」
「ねーよ」
ちょっと笑ってしまった。
「ってことは、公の発表はまだってことか」
「そうですね…。だからみんな不安がっています」
(怠慢だな…。)
「そうか。なんにせよ、公の看板に載る情報には信頼が置ける。危険なら危険の旨の通達が出るはずだ。それがないってことは安全なんだろう。」
「えーっと、お好み焼き一つ」
別のお好み焼きを買いに来たお客さんがきたようだ。
「はいはいはーい。すぐにできあがります。…あ、今の話は秘密でお願いします。」
「分かってる」
理妖は、じゃな、と手を振って愛らしき犬耳少女と別れる。
(…しかし、お好み焼きか)
ぼちぼちやりました