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さち

作者: ゆきさめ

 藤の空から二藍、紺青へ変色していく。

 その頃になると廃教会から柵を越えて、京紫の姿が駆け下りていく。


 二藍の空から紺青、紫紺へ変色していく。

 その頃になると廃教会の柵を越えて、江戸紫の姿がゆらゆらと下りていく。



 ときに、星は空にあった。


 昼夜問わず空で瞬くが、昼間はあんまりに眩しいので見えない。しかし夜の帳も下りきれば、月明かりと一緒になって瞬く。それが星だった。

 星は手元にある。

 人の枕元で淡く煌き、あるいは囁くように歌う。しかし元の居場所から引きずり下ろされた星はそのうち燃え、尽きるしかない。それが星だった。


 星は見えないが確かにある。

 しかし人はどうしたって己の目の前に置きたがり、燃え尽きれば次を手に入れるだけ。それが星だった。


 そしてここには、星売りと星買いがいる。



 星売りは空に手を伸ばす。

 細く伸びた指で握り締めたのは星だった。星は綺麗だから、手元にあるべきであるのだと星売りは微笑む。遠くにあったら届かないじゃないか、代わりに取ってあげよう、ぼくは脚立だ、仲人だ。そう微笑む。

 明るい星を、小さな星を、大きな星を、淡い星を、いかが? 籠いっぱいに零れんばかりに星を入れて、星売りは歩く歩く。

 ここらで一番の大通りを闊歩すれば、わっとみんなが寄ってくるのだ。それが星売りだった。それを一つ頂戴な、二つだ娘の分と二つおくれ、うんと大きなのをもらおう。並んで並んで、星はたくさんあるよ。


 それが星売りだった。

 京紫の衣装をふわりと翻しては白い指先で丁寧に星を摘む。星売りは星を掴んでは、人々にその輝きと暖かさとを分けるのだ。



 星買いは星売りに手を伸ばす。

 それをぜんぶ。

 そう細い両手を伸ばすのが星買いだった。


 星を空へ帰さなきゃ、世界が真っ黒になっちゃうから、お月様が寂しいって、だからそれを下さい、空に帰します、とか細い声で星売りに星買いが申し出る。

 ずいぶんとみすぼらしい成りで人々を押しのけて、折れそうにやせ細った手に握り締めた星のような金貨。それを星買いに差し出す。人の機嫌を伺うような微笑を浮かべていたが、それが星買いだった。

人々は怪訝な顔で、星買いを見る。ぼろぼろに痩せ細って、小汚い江戸紫の色をした衣装を纏う星買いを見下ろす。

 一方で星売りは、その金貨をじっと見つめてから、金貨に相応する星を星買いの薄汚れた両手に落としたのだった。


 きらきらと光の残滓を零しながら、ほのかな温かみさえ感じる星を腕に抱え込んで、星買いは駆けて行く。大通りから右に折れて、もうずいぶん前に潰れた花屋の前を通り抜ける。

 それから星買いが足をとめたのは、灰教会の柵をくぐった先にある丘の上。

 眼窩に広がるのは家の明かりと、家に取り置かれた星々の明かりか。星買いの目にどう映ったのか、それは分からない。

 今まさに燃え尽きた星を見つけたかのように、目が細められた。ねずみに食われた右目はすでに窪み、残った左目だけが悲しげに細められたのだった。

 萎びた指先で星を摘み、空へ放り投げた。

 ぱっと輝く星は、やはり残滓を星買いの手に残しながら空高くに身を躍らせる。


 そうして濃紺よりも濃い色の中に吸われるようにして、まるで光の中の塵かあるいは遠くに見える灯台の明かりのように星はもとあった場所へ帰ったらしい。その様を見上げ、星買いの細められた瞳は大きく見開かれて、そこから零れるのは涙だった。

 残った右目、そこから涙を滂沱と垂れ流しながら、星買いは還した星を見上げるのだった。

 腕の中にあった金貨一枚分の星をそうやって送り届けた星買いは、衣服というよりもただの布に成り果てた江戸紫色の外套をぴったりと身体に巻きつける。


 空には切り取られたように真っ暗な部分と、月明かりに明るい部分、それにたった今輝きを取り戻した部分の三つ。

 外套で涙を拭い、潰れた右目を撫でるちょうどその頃、紫の夜は明けていく。明けてしまえば星買いは廃教会へ身を滑らせ、もう音のしない壊れたピアノの下で丸くなって眠る。星買いの寝入った頃、紫の色が消える頃、京紫の外套を翻して何も入っていない籠を片手に星売りが帰ってくる。


 空が明るいうち、まだ星が見えない時だけは互いに互いは安息を得られるのだ。


 しかしまた夕闇も終え、藤の色が広がれば星売りは長椅子から身体を起こして外へ出る。空に手を伸ばし、ばたばたと風にはためく衣装を押さえながら星を握る。


 星売りが大通りへ出たのと同じに、空から星が消えたことに気付いた星買いが身を削って貯めた金貨を一枚握りこんで追っていく。それはさながら滑稽な様だろう。



 京紫の衣装と江戸紫の衣装。

 大通りの真ん中、金貨と星の交換。



「星は暖かい、手元になくちゃいけないね」


「お月様は寂しいって言っているよ」


「月よりも個人だね」


「世界が真っ暗になっちゃうよ」


「世界よりも個人だね」


「空に返さなきゃだめだよ」


「届く範囲になきゃいけないね」


「与えられるものじゃ意味がないよ」


「与えて『あげてる』んだからね」


「あんまりだよ」


「あんまりだね」


「……」


「……」


「それをぜんぶください」


「そちらの金貨で買えるだけ」



 今日もまた星買いは金貨と引き換えた星を腕に抱え、江戸紫の衣装を翻して丘へ走る。今日もいつかと同じように星売りは己の手にした星を他人へ売りつけ、京紫の衣装を翻して大通りを闊歩する。


 星を引きずり落とし他人へ分け与える星売りと、星をその金貨で己のものにして空へ還す星買いと、どちらが罪深いだろうか。また、どちらがより偽善だろうか。

 それも考えられないくらい、売ることと買うことに妄執する二人は同じ廃教会の屋根の下で今日も朝をやり過ごす。


 紫の色が戻るまで、束の間の安息。


 しかしやはり当然のように星売りは潰れた右目で乾いた涙を流して星を探し、星買いは潰れた左目で流れもしない涙をちらつかせて星を空へ還すのだ。

 手元に置きたいのはどちらも同じだった。


 言い換えるならどちらの優しさも深く、そしてひどい偽善者であったのだ。


 紫は幾度も巡り、星は人々の手の届かないところで、見えないところで瞬き続ける。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 日本語が大切に使われた作品だと思いました。 何度も読み返す度に新たな発見があるような気がします。 [一言] はじめまして、水連真澄と申します。 全体的に和の雰囲気が漂っていると勝手に思って…
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