第1話
春先の暖かい日差しに少しうとうとしながら千歳はベンチに座っていた。
服はすべて黒一色で、唯一黒でないとするならベルトのバックルくらいだろうか。
年は16~18くらいの少年で膝の上にはバイオリンのケースが置かれている。
千歳の前を車椅子に座った老人とそれを押していく看護士が通り過ぎていった。
そう、ここは病院の中庭なのだ。
少し背の低い木が並び、プランターにはいろんな花が自分の美しさを誇示している。
そこにいるほとんどの人がパジャマやそれに準ずる格好をしている中、彼の黒装束は目立った。
ポケットの中で着信音とバイブが鳴り、千歳は携帯を取り出した。
もちろん携帯も黒だった。
どうやら仕事の話をしているらしい。
千歳は携帯を閉じるとまたポケットにしまった。
「お隣、よろしいですか。」
ふと声をかけられて少し上を見上げると中年くらいの男性が立っていた。
薄い水色の格子柄のパジャマを着ているという事は入院患者のようだ。
「どうぞ、いい天気ですね。」
千歳は少し微笑んで返事を返した。
男性は軽く頭を下げ、千歳の横に腰を下ろした。
やわらかい日差しを気持ちよさそうに浴びている。
「どこか悪いんですか?」
千歳はそう聞いた。
「癌なんです。」
初めはただの胃癌だったらしいのだが少しの間にいろんな臓器に転移してしまい、今ではもう手の施しようがなくなってしまったらしい。
「まあ死ぬ事そのものは怖くはないんです。」
人生の内の幸せな事はもう大抵叶ってしまったからねと男性は言った。
千歳は黙ってそれを聞いていた。
「すいません、会ったばかりなのにこんな話をして。
気を悪くされませんでしたか?」
「いえ、死について考えるのは悪い事ではないと思いますよ。」
千歳は笑って返した。
男性はほっとした様に背もたれにもたれた。
のどかな午後、散歩にはもってこいの陽気だ。
思わずぼんやりしてしまうがバイオリンを落とすと困るため千歳は意識を保った。
しばらくは二人とも黙って日向ぼっこをしていたが沈黙を遮ったのは男性だった。
「私、何歳に見えますか?」
男性を頭の先から足の先まで見てから千歳は答えた。
「中年・・・・・・50代くらいですかね。」
男性は笑った。
「いやあ、年の割に老けて見えるらしくてね、まだ30代なんだ。」
男性は膝の上で手を組み合わせた。
30代という若さで50代近くに見えてしまうというのは、それだけ今まで苦労をしたのだろう。
もしくはそれほど闘病生活が長かったのかもしれない。
千歳はそう考えながらやはりまだ黙っていた。
「木下さーん、検診の時間ですよー。」
遠くから看護士が呼んでいる。
「時間のようですね、ではこれで。」
男性はベンチを立った。
「僕なら明日もここにいますから、話し相手くらいにはなりますよ。」
千歳は笑ってそう言った。
男性・・・・・・木下は黙ったまま嬉しそうに笑った。
二人はお互いに手を振り合ってその日は別れた。
「ターゲットには接触できたか?」
携帯の先の人物が聞いた。
「座っていたら向こうから来てくれましたよ。」
千歳は木下が去っていった方向を見ながらそう答えた。
携帯の向こうで笑う声が聞こえた。
「そうかそうか、まあお前なら大丈夫とは思うがきっちりこなしてくれよ。」
わかったと返事をして千歳は電話を切った。
携帯をポケットにしまい千歳はため息をついた。
今回の仕事は木下が相手らしい。
あの人なら和やかに仕事ができそうだと千歳は思った。
千歳は死神だ。
死神の仕事は死期が近い人間の元を訪れ、その死を見届けることにある。
そして最後のその時はその人間の強く願うモノを叶える力がある。
まあ世界征服とかは不可能だが。
空を飛ぶ程度や何かを食べる程度ならお茶の子さいさいの様だ。
携帯でアラームが鳴った。
バイトの時間らしい。千歳は立ち上がるとすっと消えた。
死神とはいえ人間界にいる際は普通の人間と同じように生活している。
普通にアパートを借りてそこに住んでいる。
月に1回補助金が5万円程出るが家賃を賄うとなくなってしまう。
そのためバイトなどで生活費を稼いでいるのだ。
死神などというファンタジーな存在にも世間の風は冷たく当たるのだ。
バイト先のファミレスの前で千歳はまた姿を現した。
元々器用だった千歳はここでウェイトレスも調理もこなす。
それに千歳がいると女性の集客がいいとの事で店長は大喜びしているのだ。
今は混雑する時間帯だ。
千歳は今日もフル回転で働いた。
アパートに帰ると千歳はふかふかしたベッドにいきなり飛び込んだ。
バフッとした音と共に千歳の体が何度か跳ねた。
そのままベッドの上をごろごろと転がって千歳は床に落ちた。
腹筋を使って起き上がると千歳は嬉しそうに冷蔵庫に向かった。
冷凍庫を開けるとそこには大量のアイスが所狭しと入っていた。
千歳はアイスが大好物らしく、気がつけば食べている。
元々死神は食事を必要としないのだが娯楽の一つとして摂取する事がある。
千歳の上司も紅茶が好物だ。
抹茶アイスをほおばりつつ千歳はテレビをつけた。
ニュース番組を見つつ風呂が沸くのを待っているとまた電話がかかってきた。
アイスが溶けるのが嫌なのか冷凍庫に一度戻してから千歳は電話を取った。
「はい?」
「うっきゃっきゃっきゃっきゃ!!」
どうやら昼間の上司が酔っ払ってかけてきたらしい。
少しイラッとしながら千歳は電話を切った。
ちょうどその時風呂が沸いて千歳はバスルームに向かった。
湯船の中で足を伸ばして千歳は満足そうなため息をもらした。
一日の至福の時をゆっくりと味わい、さっきのアイスの続きを食べようと冷凍庫を開けようとした所で
また電話がかかってきた。
千歳はかなりイライラしながら電話を取った。
今度は酔っ払ってかけてきた訳ではないらしい。
「さっきは悪かったね、あれから女房にボコボコにされてしまってね。」
あの酔っ払いようなら当然だろうと思いながらも千歳は黙って流した。
「仕事の話ですか?」
「そう!!そうなのだよ。」
まだ酔いが残っているのか妙にテンションが高い。
「君の担当の木下隆文さんについては何か調べて見たかい?」
「いえ、胃癌が転移して悪化し手のつけようがなくなったくらいしか。」
千歳は今日聞いたまま答えた。
「うん、まあそれは我々の仕事としてはそれだけで充分だろうけどね?」
上司は含みをもたせた言い方をする。
千歳は眉をひそめた。
「何が言いたいんですか?」
「まあ、一番重要な仕事としてはそれで充分なんだがね、オプションだよ。」
「人生の大抵の幸せは経験したと言ってましたよ?」
上司はため息をついた。
「君はバイトもよく頑張っているようだし、仕事でも失敗は全くない。
しかしもう少し人の心という物に深く触れてみてはどうかね?」
そう言って上司は電話を切った。
千歳は意味が解らずしばらく携帯を睨みつけていた。
明日もここにいると言ったように千歳は昨日と同じベンチに座っていた。
だがしばらく待ってみても木下は来なかった。
不思議に思い看護士に聞いて病室まで行ってみた。
木下はベッドの上でぼんやりしていた。
「木下さん。」
千歳が声をかけると木下はこちらを向いて笑った。
「やあ、君だったのか。」
そしてすまないねと言った。
千歳は笑っていいですよと返しベッドの隣にパイプ椅子を置いてそこに腰掛けた。
今日の木下は昨日よりいくらか顔色が悪い。
どうやら具合が悪くて来れなかったらしい。
入院しているし死期も近いのだから当然かと千歳は思った。
ふとベッドの脇の棚の上に置いてある写真に目が留まった。
きれいな若い女性がにっこりしている。
「奥さんですか?」
千歳が聞くと木下は少し驚いてそしてすぐに笑った。
「写真が古いからそう聞かれるとは思わなかったんだけど。
私の母ですよ、幼い頃にいなくなってしまったんだがね。」
「亡くなったんですか?」
「いやいや、酒飲みだった父に愛想をつかして出て行ってしまったんですよ。」
木下は笑いながら言った。
それを聞いて千歳は考えた。
今の木下の話しぶりだと母親が家を出てから一度も会っていないらしい。
幸せな事はほとんど経験したからといっても母親には会いたいのではないだろうか。
死ぬ事がわかっているならなおさら。
「会いたいですか?」
千歳は思い切って聞いてみた。
木下は窓の外を見ながら首を振った。
「20年以上も連絡をとっていないんです、生きてるのか死んでいるのかさえわからないのに無理ですよ。」
千歳はバイト先へ向かいながら木下の事を考えていた。
あんな事を言っていてももし生きている事がわかったなら会いたいはずだ。
それならば調べて知らせてやれば喜ぶのではないだろうか。
千歳は携帯を取り出した。
「君からかけてくるなんて珍しいね。」
「ある人が今生きているか死んでいるか調べてほしいんです。」
上司はすぐ調べると言って電話を切った。
千歳がこんな事を言い出したのは初めての事で上司は少し嬉しかった。
上司は分厚いファイルを取り出し、パラパラとめくった。
離婚歴のある女性は離婚する直前の姓で調べる事ができる。
木下は離れてから連絡をとっていないというからもし再婚していても今の姓をを知らないだろう。
千歳はバイトをしながら上司からの連絡を待った。
バイトを終わった頃に上司から電話がかかってきた。
「生きているよ彼女は、今は青森に住んでいるみたいだ。」
それを聞いた千歳は荷物をまとめた。
休みなしで働いたおかげで余裕がある。
旅費には困らない。
春先とはいえ北方に位置する青森はまだ寒い。
千歳はマフラーを巻いてため息をついた。
そしてやはりこのマフラーも黒だ。
千歳は赤くなった鼻をこすりながらメモを頼りに細い農道を歩いた。
木下の母親は木下の父親と離婚後青森の知人を頼っていったらしい。
農家を営むこの集落の稼ぎ頭らしく周囲からの信頼も厚いという。
まあ酒に溺れる男よりはずっとまともな人間だろう。
千歳は歩きながら辺りを見回した。
寒さの割に天気はよく、青空もきれいだ。
歩いていると溶けた雪で足下がぐずついて千歳は顔をしかめた。
基本的に千歳は無表情だが不快感だけは表現される。
よく接客業でバイトができるものだなと千歳の上司は不思議に思っている。
「あらこんな所に若い人がいるなんて。」
急に声をかけられ振り向くと初老の女性が立っていた。
「人を探していまして、その人の家に向かう途中なんです。」
「この先には私の家しかないけどねぇ。」
女性はにこにこ笑いながらそう言った。
「失礼ですが再婚なさってますよね、前の姓は木下では?」
女性は少し驚いた様だがすぐに頷いた。
「お願いがあって来ました、話を聞いてもらえますか?」
「ごめんなさいねぇ、お茶くらいしかなくて。」
女性は千歳の前に湯のみを置いて苦笑いした。
千歳はお構いなくと言いながら湯のみに手を伸ばした。
女性は旧姓は木下、今は長谷部清美というらしい。
どことなく雰囲気が木下に似ている。
「ところで話というのは.....?」
清美の方から話を切り出してきた。
千歳は湯のみを置いて息をついた。
「息子さんを覚えておいでですか?」
清美は千歳から目をそらしつつ頷いた。
千歳は木下が末期癌である事を清美に告げた。
その上で木下に最後だけでも会いにいってもらえないか頼んだ。
しかし清美の表情はあまりこの話をよく思っていない様だった。
息子の話をされているのに一度も千歳と目を合わせようとはせずにずっとどこかを見ている。
普段感情を表に出さない千歳もこれにはさすがに腹が立った。
「清美さん、あなたの息子さんの話をしているのにどうしてそんな態度なんですか?」
まるで違う世界の別の全く関係のない人の話をしている訳ではない。
なのにこの人の無関心さは何なのだろうか、千歳は不思議で仕方なかった。
清美は湯のみに手を伸ばして一口お茶をすすった。
そして話を始めてから初めて千歳と目を合わせた。
「今更会いにいって何があるっていうの?」
20年以上も会っていない上に連絡さえとらなかった。
もしかしたら顔さえ覚えていないかも知れない。
なら会っても仕方ないだろう、きっとそう言いたいのだろうと千歳は思った。
千歳が黙っていると清美は席を立った。
「とにかく前の人とはきっちりけじめをつけて別れたんです。
息子にも会いません、帰ってください。」
千歳は帰り道ぼんやりと考えこんでいた。
清美の説得に失敗して木下にもあわせる顔がなかった。
きっと会いたいだろうに、どうして会おうとしないのだろう。
「人間って面倒くさい。」
千歳はボソッとそう言った。
電話がけたたましく鳴った。
ベッドの中から時計を確認するとまだ早朝の5時だ。
こんなふざけた時間に電話をかけてくるなんてあの上司に違いない。
千歳はイライラしながら電話を取った。
「Hey!!Good morning!!」
やたらとハイテンションな朝の挨拶が聴こえた。
付き合うのは面倒な千歳は何も反応しなかった。
ただでさえ長旅の次の日で疲労も蓄積しているのに、ハイテンションな上司の相手などしたい訳がない。
「君は何のためにわざわざ青森まで行ったのだろうねぇ。」
交渉に失敗した事を言っているらしい。
それにしても嫌みな言い方だ。
「そうですね。」
千歳は何の感情も込めずにそう言った。
口調が丁寧な分、むしろ相手に恐怖を与えるだろう話し方の典型的パターンかも知れない。
「でも何とかしますよ、仕事ですから。」
千歳はそう言うと一方的に電話を切った。
面倒でも仕事は仕事。
何とか交渉して会わせなければいけない。
母親に会いたいというのが木下の”希うもの”なのだから。
千歳は久しぶりに木下に会いに行った。
久しぶりに見た木下はまた少し元気がなくなっていた。
死期が近いのだから仕方ないのだろうが、やはり見ていて気が重くなる。
木下はもう半月もたないだろう。
話す事すらままならなくなって何か言いたそうに口をぱくぱくさせているだけだ。
千歳は木下の手を握りしめた。
「ちゃんと連れてきますから、会わせてあげますから死なないで待っていてください。」
それから何か紙を取り出して木下の額に置いた。
しばらくそのままじっとしていたが紙をたたんでポケットにしまった。
そしてまた一人青森へ向かった。
「また来たんですか。」
清美は千歳を見るなり冷たく言った。
「多分これが最後でしょう、彼はもう半月もたないでしょうから。」
千歳はやはり感情の込めずにそう言った。
残り時間をあえて告げた事によって清美の反応が少しでも変わればいいと千歳は判断した。
「彼はあなたを忘れてなんていません、病室に写真だって飾っていました。」
清美は黙ったままだ。
「必ず会わせると約束したんです、お願いですから。」
清美は相変わらず黙ったまま千歳の方を見ない。
千歳はポケットからあの紙を取り出して清美に渡した。
清美が開いて見ると中には何も書かれていなかった。
不思議そうに首を傾げる清美の傍ら千歳はバイオリンを取り出した。
千歳がバイオリンを弾き始めると辺りが突然薄暗くなった。
そして清美の持つ紙に何やら映像が浮かび上がった。
清美はそれを見て驚いた。
そこには幼い息子の姿が映し出されていたからだ。
ちょうど離婚して清美が家を出る時のものだった。
小学3年生位の木下が小さな鞄に少ない着替えを詰め込み何かの用意をしていた。
その傍らで両親二人は喧々囂々と口論をしているのは当時の清美と夫だろう。
夫の手が上がり、清美の頬を強く叩く音が響いた。
清美は頬を押さえ、わきにあったスーツケースを掴んだ。
木下はそれを見ると自分も鞄を背負った。
勢いよく扉を開け家を出ようとする清美のあとを追いかけた木下は父親に腕を掴まれた。
「お前は行くな。」
鬼の様な形相でそう言われ、一瞬足が竦んだ。
その間に清美はそそくさと家を出た。
「お母さん待って!!連れて行って!!お母さん!!」
木下は父親の腕から逃れようともがきながら泣き叫んだ。
清美は振り向く事なく去っていった。
清美は紙を握り締めながら泣き崩れた。
清美には未だにあの時木下を連れて行かなかった事が悔やまれてならなかった。
会いたいと思わなかった日は一度もない。
それでもあの日の事を木下に恨まれているかもしれないと思うと会いに行けなかった。
清美はただただ泣き続けた。
「素直になればいいじゃないですか。」
千歳はゆっくりそう言った。
「今会わなければ二度と会えないんです、会いに行きましょう。」
千歳は清美の手を取った。
「隆文!!」
病室に入ると清美は一目散に木下に駆け寄った。
そして手を握って呼びかけた。
意識のない木下はそれに応える事なく横たわっている。
清美の目に涙が溜まりだしたのを見ていた千歳は木下の額に触れて呼びかけた。
「木下さん、約束を果たしにきました。」
すると手を通して木下の思念が伝わってきた。
千歳はしばらく目を閉じていたがふいに木下の手を掴んだ。
「僕が力を貸します、ですから頑張ってください。」
木下は体が宙に浮くような感覚がした。
「隆文!!目が覚めたの?私よ、覚えてる?」
「お母さん?.......やっと会えた......。」
木下はそう言ってふっと笑った。
「ありがとうございました。」
木下の葬儀で清美は言った。
「私あのまま会わなかったらきっと一生後悔してたと思うの。」
千歳は笑って返した。
「僕はこれが仕事ですから。」
END