石川数正の出奔
1. 徳川家康と石川数正の会話(小牧・長久手の戦いの前)
「織田信長様の次男の信雄様が、秀吉と戦いたいとのことです」
「秀吉をこのまま大きくしては、後々われらの脅威になるからな」
「戦いますか」
「信雄殿への助力ということであれば、戦の名分もたつな」
「信雄様と秀吉の戦いですので、三河は戦場にならずに済みます」
「そうだな。秀吉との直接の戦いにはならないからな」
「それでは戦の準備をすすめます」
「そうしてくれ」
2. 徳川家康と石川数正の会話(小牧・長久手の戦いの後)
「殿、小牧・長久手は勝ちに等しい戦でした」
「なんとか優勢で終わらすことができたな」
「信雄様は困ったことですな」
「こちらに相談なしにかってに秀吉と和睦するとはな」
「しかし、それでこちらが戦いを続ける理由がなくなりました」
「そうよな。和睦となって良かった」
「さて、これからどうしましょうか」
「正面から秀吉と戦うのは避けたほうがよいな」
「そう思います」
「数正、秀吉との和睦の交渉にはお前が行ってくれ」
「はっ」
3. 徳川家康と石川数正の会話(秀吉との交渉後)
「秀吉のところへ行ってきました」
「うむ」
「秀吉からは殿の子を人質によこせと言ってきました」
「小牧・長久手で劣勢だった秀吉方から人質をよこせとはな」
「秀吉は勝ったつもりでいるのでしょうか、平気で人質を要求してきました」
「・・・」
「秀吉はもう天下を取った気でおります」
「確かに巨大な勢力になってしまった」
「何故、人質の要請を聞いてきたのか、と家中から私は責められております」
「・・・」
「言下に拒否すべきであった、と」
「気にするな。秀吉にその場で反論をするのは得策ではない」
「・・・」
「数正以外に秀吉と話ができるやつは他にいるか」
「・・・」
「交渉役は、徳川の家では数正だけだ」
4. 徳川家康と石川数正の会話(2度目の秀吉との交渉後)
「殿、殿の次男の於義丸様とよこせとのことでございました」
「そうか・・・」
「人質ではなく養子としてはどうかと言うと、それで良いと」
「養子か・・・。やむを得ぬか・・・」
「養子も人質も同じことではないかと家中で言われております」
「・・・」
「何故、私から養子と言い出したのかと、また責められております」
「気にするな」
「おぬしは秀吉の家来になったのか、と言われております」
「言わせておけ」
「耐えられませぬ・・・」
「・・・・」
「殿の命令であっても秀吉のもとへはもう行けませぬ」
「わかった。家臣どもには厳しく言ってきかせる」
「・・・」
「機嫌をなおせ、数正」
「・・・」
「於義丸を秀吉にくれてやろう」
「悔しいですが、お家のためにはそれがよろしいかと思います」
「そうじゃの・・・」
5. 徳川家康と石川数正の会話
「数正、家中の者どもは於義丸の秀吉への養子に激怒しておる」
「時勢をわかっておらぬやからで」
「秀吉への臣下の挨拶にわしがいくことを断じて許さぬとな」
「・・・」
「まだまだ家中でわしの意向を押し通すことは難しい」
「・・・」
「作左(本多作左衛門重次)を筆頭にな」
「鬼作左ですな・・・」
「忠勝(本多忠勝)康政(榊原康政)らもだ」
「・・・」
「古参の連中は、わしの言うことなど聞かぬ」
「殿も苦労されてきました」
「徳川がここまでこれたのも数正を筆頭に家臣のおかげだからのぉ」
「もったいないお言葉」
「秀吉のもとに臣下の礼をとるために向かわなければ戦となろう」
「なるでしょうな」
「家中のものは秀吉なんぞのものじゃ、といきまいておる」
「時勢のわからぬものでござります」
「信長殿の桶狭間の例をもちだして、秀吉の首など三河武士ならば簡単なことと」
「われらも戦上手ですが、秀吉もなかなかのものでござる」
「わしもそう思う」
「・・・」
「対等に戦う自信はあるが、長期戦になると難しい」
「はい」
「戦がながびけば徳川は負けるな」
「残念ながら巨大になった秀吉に勝てる見込みは薄いかと」
「うむ」
「どうすれば、家中をまとめることができますでしょうか」
「難しいのぉ」
6. 石川数正と本多正信の会話
「石川殿」
「なんだ、正信」
「お話があります」
「申せ」
「私も秀吉と戦は避けるべきと思います」
「そうか」
「しかし家中は好戦的になっております」
「そうだな」
「家康様は秀吉のもとに向かわれるべきとおもいます」
「そうか」
「徳川を守るためにはそうすべきと」
「しかし家中のものは納得しまい」
「良い方法があります」
「言え」
「石川様が秀吉のところに行くことです」
「なに」
「秀吉の家来になることです」
「なにをたわけたことを申すか」
「・・・」
「そのようなわしを愚弄することを申すとは、たたでは済まぬぞ」
「考えに考えた末のことでございます」
「出奔するなど武士の恥。そうするぐらいなら腹を切ったほうがましだ」
「腹を切るのは犬死でござる」
「お主はこのわしに死ぬよりもつらい恥をかかせるというのか」
「お家のためでござる」
「たわけたことを。正信、ただでは済まさぬ」
「家中のものは石川様が秀吉側についたことで戦っても勝てぬことを悟ります」
「だからと言ってそのようなことなどできるわけがない」
「徳川家のためでござる」
「いいかげんにしろ正信。お主、わしに切られたいか」
「・・・」
7. 石川数正のひとりごと
正信の策・・・
よくよく考えてみると、なんとも言えぬものがある。
あやつは、よくもそのようなことを考えられるものだ。
しかし、わしにはまったく受け入れられぬ策だ。
石川家が徳川家からの出奔。末代までの恥じゃ。
そのようなことはできるわけはない。
徳川家が滅びようと、そのようなことはできぬ。
できぬ・・・。
8. 徳川家康と石川数正の会話
「殿、本多正信の策をお聞きになりましたか」
「いや、聞いておらぬ」
「そうですか」
「どのような策だ」
「いや、なんでもありませぬ」
「・・・」
「殿は天下を散りたいとおもいますか」
「一家の棟梁としては、そう思わねばならぬの」
「天下をお取りなされませ」
「天下とは天が決めることじゃ。簡単なものではない」
「・・・」
「取りに行っても、時勢が許さねば滅びるだけだ」
「・・・」
「信長殿が天下取りまでもう一歩であったが天が味方せなんだ」
「そうですな」
「天下取りの望みは捨てはせぬが、天の声を聴きながらということになろう」
「殿!」
「なんだ」
「石川数正、徳川家の重臣と思っております」
「そのとおりだ」
「殿の天下取りのためにも、ここは秀吉の臣下になるべきと思っております」
「・・・」
「殿の家臣ども、特に強硬派は時勢が見えておりませぬ」
「・・・」
「石川数正は徳川家の天下のため、恥をさらす覚悟にございます」
「恥とな」
「私は本多正信が大嫌いでございます」
「・・・」
「しかし、あやつの策は他人には考えつかぬものにございます」
「・・・」
「正信がおれば、徳川は安心でございます」
「なにを申しておるのだ」
「殿、数正は死ぬまで、いや、死んでからも徳川のことを第一に思っております」
「なんだ、今生の別れのような挨拶は」
「数正を信じてくだされ」
「・・・」
「失礼いたします。御免」
9. 石川数正のひとりごと
殿、数正は出奔いたします。
徳川が天下を取るために、これが最善の策にございます。
あせらず、時勢をみて、いつか天下を取ってくだされ。
10. 徳川家康と本多正信の会話(石川数正出奔後)
「正信、数正に出奔の策を与えたのはお前か」
「数正殿は徳川のために出奔なされました」
「むごいことよのぉ」
「しかし、家中の強硬派は静まりました」
「・・・」
「秀吉との戦は避けられました」
「そうだな」
「数正殿の出奔が徳川を救ったのです」
「正信、お前は恐ろしいやつじゃの」
「・・・」
「数正が、お前がいれば徳川は安心だと申しておった」
「身にあまる言葉でございます」
「数正は身を挺して徳川を救ってくれたのだな」
「そのとおりにございます」
「数正、済まぬ」
「数正殿は、徳川の軍事機密を知り尽くしております」
「・・・」
「秀吉は全てを知ることでしょう」
「そうじゃの。徳川の軍制を変えていかねばのぉ・・・」
完




