【短編小説】思い出のチューリップ畑
「この3つのどこかがいいな。君はどこがいいと考える」
指揮官は地図を眺めながら、3箇所に大きく丸印をつけた。
『はい。私は、西のこちらのエリアがよろしいかと』
「そうか。あとは君たちに任せるよ。計画がまとまったら早速申請書を出してくれ」
『かしこまりました』
この街に、新たな廃棄物処理施設を建設することになった。施設の老朽化と埋立地の不足により、政府は施設の改築と新設計画を早急に進めようとしていた。
しかし重要度の高い計画とはいえ、簡単に決められることではない。土地の規模、施設内の設計、予算、近隣問題、法律を遵守しているか。考えることは山ほどある。
ところがそれは大した壁ではなかった。ここにいる部下たちは、利口で熱心に働く者たちばかりだったからだ。
『それでは、本日より調査を開始します』
「頼んだ」
指揮官から任命を受けたふたりの男は、会議室に入るとすぐ、声をしずめて話し始めた。
『なぁ、お前はどこのエリアがいいと思う』
『俺は、先ほどお前の言った通り西エリアがいいと思う』
そう答えた眼鏡の男は、広げた地図のある場所を指差した。
『東はだめだ』
『なぜだ』
『贔屓にしていた飲み屋の女将が、この辺りに新店を出すらしい。すでに不動産屋とも契約したと言っていた。処理施設を建設するとなると、この辺一帯は我々が収用することになる』
恰幅のいい男は、眼鏡男の答えを聞いてニヤリと口角を上げた。
『お前、その女将にえらく入れ込んでいるみたいだな』
『な!不純な理由ではない。私は彼女の夢を応援したいだけだ!』
『分かった分かった。私もこのエリアには気に入っている店が多い。それに南のエリア。ここには俺が毎週末訪れる海と、親父から受け継いだ別荘がある。あの美しい場所に廃棄物処理施設なんぞつくってたまるか』
男たちの意見は西のエリアで合致した。ここから大変なのは、西のエリアに決めた理由である。この職場では、理由がなければ小さな一歩も踏み出せない。
眼鏡男は腕を組み、『さて、どう書く』と眉間に皺を寄せた。
恰幅のいい男は眼鏡男に近づくと『俺にいい考えがある』と、さらに声をしずめた。
『指揮官は、ああ見えて非常に短気なお方だ』
『知ってる。私は何度も申請書はまだかと怒鳴られたことがある。だから今回はそうならないよう早く進めているんじゃないか』
『いや違う。その反対だ』
恰幅のいい男が眼鏡男を肘で小突いた。
『あえて申請書の提出を遅らすのさ。そうすればあの方は、申請書によく目を通さずそのまま上にあげる。上の人間は承認印を押すだけのロボットだ。つまり、あの方を突破できれば建設地は西エリアに決まるってわけだ』
『そんなに上手くいくか?理由くらいは目を通すだろう』
『前に急いで申請書を出した時、理由欄の記入を忘れたが、あの方は気づかなかった。その上も同様だ。それらしい理由を書いておけば突っ込んでくることはないさ』
眼鏡男は半信半疑だったが、それよりもいい案は思いつかなかったので、男の計画にのることにした。
二週間が経った頃、男たちの予想は現実となった。指揮官は執務室に入ってくるや否や、男たちを怒鳴りつけた。
『そこのふたり!申請書はいつになったらできるんだ!!お前たちの仕事が遅いせいで、私が叱りを受けるんだぞ!まったく‥‥昨日の会議はひどいものだった。とにかく今日中に申請書を提出したまえ!』
怒号が響く中、ふたりは視線を合わせ、慌てたような演技をみせた。
恰幅のいい男は一週間前には完成していた資料を印刷し、眼鏡男はそれをホッチキスで留めた。複数ある書類にそれぞれ付箋をつけ、きれいにファイルにまとめると、それを指揮官へ提出した。
『大変お待たせしました。ご確認のほど、よろしくお願いいたします』
差し出された申請書を乱暴に受け取ると、指揮官は書類についた付箋だけを確認した。
「全てここに入っているんだな」
『はい。計画書、設計図、予算表、想定される問題と解決案、全て入っております』
指揮官はもう一度パラパラと確認すると、承認印を押し、急足で執務室を出ていった。よく作られた申請書は、その日のうちに承認まで進んだ。
それからすぐ西のエリアは収用され、建材を運ぶトラックが行き交うようになった。
白い蝶が空を舞う、ある春のことである。
指揮官は、窓の外をぼんやりと眺めていた。そこに、眼鏡男が近づき声をかけた。
『指揮官、失礼いたします。こちらの申請書、ご確認のほどよろしくお願いいたします』
指揮官は椅子をくるりと回し、男からファイルを受け取った。
「今日中に確認しておくよ。ところで、施設の建設は順調かね」
『はい。明後日には完成予定でございます』
「問題なく進んでなによりだ。君たちには大変感謝しているよ。施設が完成すれば、私にも落ち着いた時間ができる。たまには子供たちを連れてどこか出かけようと思ってな」
『それはいいですね』
「亡くなった妻と初めてのデートで行ったチューリップ畑があるんだ。娘が花が大好きでね。そこに行くのもいいな。そのデートで妻に叱られたんだ。あなたそんなに短気だと、いつか大切なものを失うわよって」
『はぁ‥‥』
「なんという場所だったかな。昔のことで、あのチューリップ園の名前を忘れてしまった。君、知っているかね」
眼鏡男はデスクから地図を取り出し、指揮官の前に広げた。
『存じ上げませんが、どの辺りでしょう』
「あぁ、たしか、この辺りだったかな」
指揮官が指をさし、眼鏡男は思考が止まったように目を丸くした。
『そこには明後日にも、廃棄物処理施設が完成しますが』