紙飛行機を飛ばそう
第六回 小説家になろうラジオ大賞 参加作品
A4サイズの白い紙。
角と角をきっちり合わせ、まず真っ直ぐ横半分に折る。
開き、縦長に向きを変え、中央の折り目に向かって両端を三角に折り上げる。
意外と覚えているものだ。
次に死のうと思ったら、これで紙飛行機を折って、遠くへ飛ばしなさい。
『彼』はそう言った。
生まれて初めて、死のうと思い詰めたあの夕刻。
当時家族と暮らしていた賃貸マンションの、非常階段。
最上階の手前の踊り場で、急に
「やあ」
と、声をかけられた。
「……誰? さっきまでいなかったよね?」
そこに誰もいないのは、登る前も登りながらも確認している。気味が悪い。
『彼』はふんと鼻を鳴らした。よく見るとモデルのように美しい容姿の青年だ。
「僕が誰とか気にするのは無駄だ。君たちには理解できない」
『彼』は言うと、薄く笑んだ。
「君たちは僕を、天使とも悪魔とも死神ともいう。概念としてはどれも少し当たっているけど、どれも完全には合致しない」
『彼』は、どこからともなく白い紙を取り出した。
「紙飛行機を折りなさい」
意味がわからず『彼』を見つめる。しかし『彼』は紙を差し出したまま、薄く笑んでいる、だけ。
不意にとてつもなく恐ろしくなる。闇雲にうなずき、震える指で紙飛行機を折った。
「出来たらそれを、飛ばす」
命じられるまま、踊り場から闇雲に飛ばした。
不格好な紙飛行機は揺らぎながらも、夕焼け空の向こうへ吸い込まれるように消えた。
「……さて。君は、まだ死にたいかい?」
改めて『彼』に訊かれ、目が覚めたように相手の瞳を見た。
「……いいえ」
その後の記憶は曖昧だ。
気付くと自室にいた。
机の上にさっきと同じ白い紙が、部屋の灯りを鈍く反射しながら乗っていた。
『彼』の声が頭の中で響く。
次に死のうと思ったら、これで紙飛行機を折って、遠くへ飛ばしなさい。
心配いらない。
この紙は君自身が望まない限り形を変えないし、傷みも汚れもしないから。
恐ろしいような嬉しいような、でもずっとそれを見ているのは胸が騒いでいたたまれない。
目をそらし机の引き出しの奥深くしまい込んで……忘れることにした。
あれから数十年。
あの不思議な紙が忽然と、荒みきったひとり暮らしのテーブルの上へ現れた。
引き寄せられるように右手を伸ばす。
折った紙飛行機を手に、外へ出る。
あまりに久しぶりの外。
軽く眩暈がしたが、痩せた足を踏ん張って歩く。
飛ばす。遠く遠くへ。
ただそれだけを思い、歩く。
夕映えの町は美しい。
多幸感に包まれ、笑んだ。