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3-③ 建国以来の



「そういやさ」


 ジェナが去ってからのことだ。

 まだ誰も休憩から戻ってきていない厨房。彼女が空にしていった器を洗いながらハロルドは、背中越しに問い掛ける。


「アシュリーって、あいつ……ジェナが捕まらないように、婚約者だって嘘吐いたって話だったよな」

「誰が聞いてるかわからないよ」

「だったら話し始める前に俺の口を塞いでるだろ」


 リルは、ハロルドの言葉を否定も肯定もしない。

 二杯目のアイスクリームにちびちびと匙を入れながら、黙っている。


「でも、」

 だから、ハロルドは続けた。


「別に、精霊師だって建前が作れるんだったら、婚約者って嘘は要らなくないか?」

「パーティの後ならともかく、あの時点だと証明できるものがなかったんじゃない」

「後になりゃ証明できるってわかってんだろ。本当にあの二人が……ていうか、アシュリーが死んで戻ってきた不思議ちゃんで、ジェナがその『大親友』だってなら」


 リルは、何も答えなかった。

 かち、かち、とスプーンがガラスに触れる音だけが静かに響く。


「……それと、俺が最初に会ったとき」


 ハロルドは、手の中の器から泡を洗い流す。

 清潔な布で、その水気を拭いながら、


「たぶんあいつ、俺のことをただの『親友』って呼んでた気がするんだが」


 そっちは、と訊ねる。


 やはりリルは答えない。ハロルドもまた、特に返答を期待していない。

 器を乾燥棚に置く。時計を見る。背伸びをする。凝った肩を解しながら振り向く。


 リルが、空っぽの器をずいっと差し出している。


「おかわり」



◇  ◇  ◇



 完璧メイドが案内してくれた道をそのまま行くべきだったのだ。


 あの精霊の塔が、あまりにもわかりやすい位置にあるのがいけない。

 建物の外に出たとき、日の光を浴びてジェナは気持ち良くなっていた。一日というのは様々な名前を付けて区切られているものだが、その中でも一等『朝』という時間が爽やかだ。明るいし、涼しいし、何より「これから自分は何でもできる」という無制限の元気が湧いてくる。


 というわけで、その清々しさに従って彼女は、広い空を見上げた。


 その空の真ん中に、聳え立つ塔の姿を見つけた。


 一度登ったことがあるから、あれが精霊の塔だとすぐにわかった。

 リルから教わってはいた。建物を出てから精霊の塔に行くためには向かって右だの左だのくるっと回ってあーでこーでそーでだの。ちゃんとジェナは聞いていた。そっくりそのまま繰り返せと言われたら、ちゃんとできる。


 でも、あの塔めがけて真っ直ぐ走り抜けたら、とっても爽やかな朝だろうなと思ったのだ。


 で、捕まった。



「どうした? 元気がないな、義妹よ」

「そうそう。そんなに緊張しないの。アシュリーと結婚したら、これからいくらでも顔を合わせることになるんだからね」

「あ、はい……っす」


 しかも、なぜか婚約者だという前提の下で。

 やけに豪華なお姿の男女に、右から左から、それぞれ囲まれて。


 遠目から見て気付けばよかったのだけれど、人影が視界に入った瞬間にジェナが思ったのは、残念ながら「この距離ならぎりぎり『気付かなかった』で通せるでしょ!」だった。ちゃんとした貴族に対する接し方なんて知らない。うっかり無礼を働いて投獄されるよりは、知らんぷりしてぶっちぎった方が絶対に良い。


 そこの、と声をかけられた時点で、「もしかして選択を間違えただろうか」と思った。


 第一王子のレオナルドと第一王女のクリスティーンだと自己紹介された時点で、「取り返しのつかない過ちを……」と思った。


 そして現在、ジェナは第一王子と第一王女の間に挟まれて、精霊の塔まで連行されている。


 気分は罠にかかった野生動物だ。

 昨日から引き続き。


「それにしても、昨日のパーティで見せた精霊術は見事だったそうだな。俺たちも遅刻さえしていなければ直に見ることができたのだが……」

「ねえ。アシュリーもああいうことをするんだったら、あらかじめ私たちにだけは教えておいてくれればいいのに」

「そうだ。ジェナ、今この場ではできないのか?」

「あー……っす」


 ちょっとそういうのは、ともごもご言っていると、「兄上って本当に強引ね」とクリスティーンが言い放ち、「お前はいつも俺に文句をつけてばかりだな」とレオナルドが言い返し、話が逸れてくれたと安堵するのも束の間。二人の言い合いが始まれば、その真ん中でジェナは肩身を狭くする。


 幸いなのは、それほど精霊の塔までは遠くないこと。

 着実に、その入り口まで歩みを進めていること。


 早く着いてくれ。


「全くお前は。親の顔が見てみたいものだ」

「奇遇ね、私も同じ気持ち。二人で謁見の間で暴れてくる?」


 不穏なやり取りの後、突然クリスティーンが「あ、そうだ」とこっちを向いた。


 うえ、と思わずジェナは肩をびくつかせる。頼む、と思う。その後に続く言葉は「どうせなら三人で行きましょうか」以外であってくれ。


「家族で思い出したんだけど、ジェナは今までどうやって暮らしてきたの?」

「む。それは俺も気になっていたな。貴族の血筋に連なるものではないとアシュリーからは聞いていたが、どうなんだ」


 ほっとして、


「あー……。その、流浪の旅人、みたいな」


 感じです、と小声で答える。

 ほう、とレオナルドは感心の声を上げる。


「まさに隠棲の精霊師という経歴だな。弟も、一体どこで君と出会ったことやら」

「それじゃあ、このあたりの出身というわけではないの?」


 クリスティーンの言葉に、はい、とここぞとばかりにジェナは頷いて、


「だからその、王都周りの風習にも詳しくなくて……」


 口を滑らせてから、風習ではなく別の言葉を選ぶべきだったかもと思う。しかし言い直そうにも風習の言い換えが思い浮かばない。無礼者呼ばわりされて剣でも抜かれたらどうしよう。逃げるしかない。自分でも珍しいくらいに怯えている。なんでここまで怯えているのかもよくわからない。スタート地点が不法侵入で経由地点が婚約詐称だからだろうか。多分そうだ。


 わはは、とレオナルドが笑った。


「何、気にするな。アシュリーが連れてきたのだから、変わり種であることはあらかじめ知っている」

「あの料理人なんて、すぐに厨房を仕切るようになったのに、いまだに褒めるのに呼び出すたびにあの顔だもの。一言も喋らないのに『帰らせてください』って声が聞こえてくるの、才能だと思わない?」

「あのメイドもすごいぞ。この間は俺が仕事を頼もうとしたのを『今日は気が乗りません』と来た」


 あはは、とクリスティーンが笑う。


 本当に楽しそうなところ申し訳ないのだが、間に挟まれたジェナは愛想笑いが引き攣っている。二人とも自分より背が高いから、俯いていればそれに気付かれないのが幸いと思うほかない。


 誤魔化し誤魔化し、進んでいく。

 ようやく精霊の塔の入り口に着いたときには、もう泣きそうな気分だった。


「あ、ありがとうございました。じゃあ、ここで……」

「折角だから、アシュリーの顔も見ていきましょうか」

「そうだな。しばらく顔を合わせる機会も少なくなるだろうから」


 本気で泣くかと思った。

 泣かなくて済んだのは、入り口からすぐのところにいたからだ。


「あれ、姉上に兄上――ジェナも。おはよう、大丈夫?」


 このときジェナには、アシュリーが光り輝いて見えた。



◇  ◇  ◇



 自分を捕まえようとした騎士たちが兄姉に追及されて、経緯を答えてしまったのだろう、というのがアシュリーの談だった。


「僕の直属の部下ってわけじゃないから、流石に二人に訊かれたら口を割らないわけにはいかなかったんじゃないかな。ごめんね、変な話に巻き込んじゃって」

「いや、いいですけど……」


 自分のせいなので、と続いた言葉は、別にその場限りの宥めすかしではない。純然たる事実だ。元を辿れば、悪いのは自分を庇って嘘を吐いてくれたアシュリーではなく、不法侵入して庇われなければ助からない場所まで勝手に追い込まれた自分だ。どう考えても。


 ようやく緊張から解き放たれて、今、ジェナはアシュリーの隣を歩いている。


 アシュリーの兄姉――レオナルドとクリスティーンは、入り口脇のベンチに座り込んで、何やら楽し気に会話を交わしている。こちらが見ていることに気付けば、手を振ってよこす。礼儀作法も何もない、ただ気持ち一本の会釈をジェナも返す。


 精霊の塔の中だけれど、昨日勝手に入った場所とはまた違った区画だった。

 暦の間、と名前が付けられているらしい。


 塔の中に占める位置はすごくシンプルだ。入ってすぐのエントランス。吹き抜けのホール。昨日のジェナはそこにある階段を上っていったけれど、今日は上らない。突き当たりの壁には大きな扉があって、それを開ければこれまた冗談みたいな大きさの廊下が広がっている。


 その廊下の、一番奥の部屋。

 長椅子がいくつも並べられて、壇上には、すごく大事なもののように石板が置かれている。


「それより、私はこれから何を手伝えばいいんですか」


 ちょっと手伝ってよ、とはついさっきアシュリーが言ったことだった。


 最初はジェナは、それを形式上の言葉として受け取った。第一王子と第一王女の間に挟まれて真っ青になっている自分を連れ出すための口実なのだろうと。なんて優しい王子なんだろうと。そう思った。


 しかし、そうして連れ出されたこの部屋に妙に雰囲気があるものだから、考えを改めた。

 昨日のパーティ同様、何かをやらされるのではないか。


「そもそも、精霊師ってなんなんですか」


 かこつけて、気になっていたことまで重ねて訊いてしまう。

 無暗に広い部屋で、入り口から石板までを歩く間、ああ、と快く答えてくれた。


「イズニール王国の建国神話って知ってる?」


 知るわけがない。

 が、王子にそんなことを言っていいものなのか。躊躇いが顔に出たのか、だよね、とアシュリーはすぐに微笑んで、


「昔々――」

 と、こんな話をしてくれた。




 精霊は、いつも空で遊んでいました。

 一人の若者が、それを見つめて思います。

 ああ、私も一緒に遊んでみたい。



 若者はたくさんの石を積みました。

 空まで続く石の塔。

 階段を上って一番上、大きく手を振って挨拶を。



 精霊は初めて会う友達に、きゃははと笑いました。

 笑って、たくさんたくさん、一緒に遊びました。

 一番新しい友達を思って、たくさんの恵みをくれました。



 腕いっぱい、抱えきれないくらいの贈り物を抱いて若者は、塔を降りました。

 それからは塔の下、たくさんの人間と遊んで暮らしたのです。




「めでたし、めでたし――っていう。だから、精霊っていうのはこの国だとそもそも『力を与えてくれる』存在なんだよ」


 へえ、と頷きながらもジェナは「それは何となく知ってた」という気持ちになっている。


 田舎の方でふらふらしているときに、「精霊様のお恵みじゃなあ」みたいなことを言っているおばあちゃんおじいちゃんを、星の数ほど見たから。


「で、それを引き出すことができる人が精霊師って呼ばれてる。この文脈だと建国王も精霊師だね」


 確かめ方があって、とアシュリーは首にかけたペンダントを抓んだ。


「こういう、精霊石って呼ばれる王家伝来の宝石があるんだ。これに『ふん』って力を入れて、カラフルな光が出せるなら精霊師って呼ばれてる」

「――私じゃん!」


 自分で自分を指差す。

 アシュリーは笑って、ぎゅっと指先に力を入れる。


 ふ、とその手の中から虹色の蝶が迷い出て、


「一応、僕もそう呼ばれてます」


 天井へと、美しく飛び去っていく。


 はー、とその景色を、口を半開きにしながらジェナは見ていた。


「ちなみに、精霊師ってすごく希少で、今生きてるのは僕くらいだから、このまま王宮にいてくれるならジェナもすごく好待遇で受け入れられるよ。今日からお姫様ってくらい。どう?」

「どうって……」


 そもそも、とその質問で一気に心を引き戻されて、


「……私に選択権、あるんですかそれ」

「あるよ。婚約者とか、そういう嘘のことを気にしてるならなかったことにできるし。美味しいご飯より気ままな生活の方が好きなら、それこそ『精霊師様は旅立たれました』って誤魔化してもいいし」


 拍子抜けした。

 そんなんでいいんだ、と思ってしまうくらいにあっさりと、アシュリーは言ってのけたから。


「好きでいいよ」

 彼は、笑って言う。


「個人的には、一緒にいてくれると嬉しいけど」


 はた、と足が止まったのは、もう目的の場所に着いたからだ。

 目の前には黒灰色の石板がある。何の石でできているのかはわからないけれど、すごく大きな一枚岩だ。ジェナどころか、アシュリーの身長よりも大きい。横幅だって、両腕を目一杯広げたって足りないくらい。


 これは、とアシュリーが続けて説明してくれた。


「暦板って言ってね。今言ったこととか、精霊とこの国の歴史が記されてるんだ」


 へえ、とジェナはそれを覗き込む。

 年季を感じさせるような石ではないが、確かに長々とした文章が書かれている。そして下の方は読めるのに、上の方は全然わからない。言葉が古すぎるのだとわかれば、確かにアシュリーの言う通り、由緒正しいものなのだろうと思えてくる。


 ここには、とアシュリーが指を置いた。


「最初の精霊祭が執り行われたって書いてある」

「精霊祭って何ですか?」

「建国記念のイベント。塔ではちょっとした儀式をして、城下ではお祭り。昔は毎年やってた……って、このあたりに一緒に説明書きがしてあるんだけど」


 わかんないよねと言われれば、わかんないと答えるほかない。


「段々一年に一回が二年、四年に一回になって、今は五十年に一回になっちゃった。それで、祭祀担当の人はこうやって暦板にその開催を記録しておくんだけど、次の開催が何と一ヶ月後でね」

「あ、じゃあ?」

「そう。僕が書くことになるだろうから、今のうちに文言を覚えてその字の練習をしておこうと思って」


 ここならわかるでしょ、とアシュリーが指を移した先は、一番下の行だった。


 確かに、そこなら読める。ジェナは彼と一緒にしゃがみこんで、その場所を見る。年月日。それに加えて『精霊祭が開催された』という旨の素っ気ない言葉が、しかしものすごく上手な字で書かれている。


「前の担当の人が能筆家だったから、緊張するんだよね。もう精霊に関係して記録することって精霊祭の開催履歴くらいしかないから、長く残っちゃうし」

「へー……。これ、板が全部文字で埋まっちゃったらどうするんですか」

「どうするんだろう。僕がいるうちに埋まることはなさそうだから、後の人に苦労してもらおうかなと思ってるんだけど」


 そんな無責任な、とジェナは思った。


 それじゃあ後の人が可哀想だ。でも、五十年に一回しか書き込まれないなら、確かに今の時点でアシュリーが悩むこともないのか。だって、書ける行数が目測で大体あと十行二十行……裏面はどうだろう。こっちも使っていいのなら、


 と、好奇心に駆られてジェナは、暦板の後ろに回り込もうとした。

 そのときほとんど無意識に、立ち上がりざま、指の先で板の縁に触れた。



 凄まじい勢いで暦板が光を放ち始めた。



「…………」

 泣きそうな気持ちになって、ジェナは暦板とアシュリーの顔とに、交互に目をやった。


 違うんです。


 何をしようとしたわけでもないんです。


 ただ本当に、ちょっと指が触れただけで、まさかこんなことになるとは思わなくて、


「な、何もしてません……私……」

「うん」

「おい、何だその光は!」

「何、どうしたの! 二人とも大丈夫!?」


 当然、暦の間の入り口に座っていた第一王子と第一王女はすぐに駆け付けてくる。ジェナはいたたまれない。こっちを心配してくれている口ぶりに対して本当に申し訳ない限りだが、アシュリーの陰に隠れてじっとしておく。まあまあ、とかアシュリーが中身が全くない気休めの言葉で二人を落ち着かせてくれるのを待つ。


「――あ、」


 待っている間に、光が弱まってくる。


 ジェナが一番最初に気付いて暦板を見れば、遅れてレオナルドもクリスティーンも口を噤んだ。二人が口を噤めばアシュリーもそれ以上話すことはない。


 四人でじっと、輝きが消えていくのを見送る。


 消える。


 こんな文字が見えた。




『千年に一度の大祭となる』




 文字を読んで、二人の王族が何事かをアシュリーに訊ねる。

 妙に落ち着いた口ぶりで、アシュリーが答える。


「精霊様のお告げかもしれませんね。建国以来の」


 もしかして、とジェナは思った。

 このアシュリーとかいう人は、優しい顔に反して、結構悪い人なのかもしれない。



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