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3-② 怖すぎる



「ええっ!?」


 びっくりしすぎて腰を抜かした。

 ついでに、椅子から転げ落ちたりもした。


 天井から飛び出してきたのは、メイドだった。さかさまで。長いスカートが捲れないように手で押さえながら、何食わぬ顔で、コウモリみたいに。


 びっくりしないわけがない。

 なのに、対面のハロルドといえば平然としたものだった。


「天井の抜け道、塞いどいてくれよ。キッチンで揉め事があったときに責任を負わされんのは俺なんだから」

「後で直しておく」


 こくんと頷いて、コウモリメイドが地上に降りてくる。それで初めて顔の方向が噛み合って、あ、とジェナは気付く。


「あのときの……」

「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 自分を確保した、あの凄腕メイドだ。


 天井裏にいたはずなのに、彼女のメイド服には汚れ一つない。ハロルドが「まあ座れ」と椅子を引けば、彼女はすたすたと迷いなく、その席に着く。


「こいつはリル。俺が知ってるのだと、スカウト組は俺とこいつ。それからあんただけだな」


 ハロルドがご親切にも紹介してくれる。リルが丁寧に頭を下げてくるから、ジェナもようやく椅子に座り直しながら、頭を下げ返す。


 スカウト組とか以前に、気になるところがありすぎる。


「め、メイドさんで合ってるんだよね?」

「いや」

「違います」


 なんでメイドさんが天井裏に潜んでるんですか、と話を進めるつもりだった。

 一歩目で躓いた。


「違うの?」

「メイドの組織図に組み込まれてないからな」

「メイド服を着てるのに?」

「これは……」


 リルが服の裾をちらっとつまむ。


 独特のテンポだ。彼女は少し間を空けてから、


「毎朝、何を着るか考えるのが面倒で」

「はあ……」

「こいつ、こんな感じだけど俺よりここにいる期間は長いからな。何年前からいるんだっけ」


 十年、と答えてから、リルもまたハロルドのように過去を語ってくれた。


 男爵家の四女だそうである。大して裕福というわけでもなく領地も持たないので、商売っ気のある平民の家と並べてみれば、どっちがどっちかわからなくなる程度の。そこに突然王子様からのお手紙が届く。「病気が治って、少しずつ交友関係を広げていきたいと思っているところです」「つきましては、貴家のリル嬢をお茶会に招待させていただきたく……」すっかりお家は大騒動。親戚から借りてきたドレスで精一杯おめかしをして、リルは城へと赴いた。


「そうしたら、お茶会の参加者は私とアシュリー殿下だけでした」

「怖……」

「心臓止まるよな」

「そこで殿下は、『覚えてる?』『僕が死ぬ前は、君と友達だったんだ』と」

「怖すぎる……」


 ジェナは目の前のメイドに同情の念を覚えた。

 しかしメイドの方はといえば、そんな恐ろしい過去を語っているというのに平然としたものだった。勝手に厨房から新たなアイスクリームを調達してきて、ハロルドに調理させていたりする。


「え。じゃあ、貴族のお嬢様ってことなんですか?」


 もしかして敬ったりした方がいいのだろうか。

 懸念を感じながら訊ねると、いえ、とリルは首を横に振る。


「そこまでの家格ではありません。そのお茶会の場で殿下と交渉して、以来王宮に出仕しているだけです」

「何の仕事で?」


 数秒、沈黙があった。

 何の沈黙なのか、ジェナにはわからない。緊張しながら待ってみる。そんな緊張なんて気にも留めないようなゆっくりとした速度で、リルが首を捻る。


「さあ……」

「ええ……」

「希望する職種を訊かれたので、『特にない』と伝えたら、殿下は『じゃあ特にない係に任命します』と」


 特にない係のリルさん。

 メイドでもないのにメイド服を常時着用し、天井から出没する。


 未知の存在との遭遇にジェナが戸惑っていると、「つまりさ」とハロルドが横から入ってくれた。


「雑用係っていうか、アシュリーの側近とか秘書みたいなもんだよ。こいつ、何でもできるから」

「あ、なるほど。それなら納得――」


 いかない。

 全然、第二王子の側近がメイド服を着て天井裏に潜んでいることには納得がいかない。


「だ、大丈夫なんですか。こんなところにいて」

「平気です。気が向いたときに気が向いた仕事を手伝っているだけなので」

「えぇ……」

「これで人見知りなんだと。王宮勤めも人の入れ替わりが少ないからとか、これだけ格式の高い場所になると知ってる人間しか出入りしないからとか、そういう理由で選んだらしいし」


 こくり、とリルが頷く。

 人見知り、とハロルドが口にした言葉を頭の中で繰り返しながら、ジェナは彼女を見る。


 全然、そんな風には見えない。

 そういう人に特有の恥じらいとか怖じ気とか、そういうのが全く瞳から窺えない。何ならさっきから、じーっと見つめられている。こっちの方が気圧されている。記憶が蘇ってくる。自慢の特技で横を駆け抜けようとして、容易く転がされて布を被せられたあの瞬間が、頭の中でちかちか光っている。


 蛇に睨まれた蛙。


「そういや、あんたはどうやってアシュリーに連れてこられたんだ?」


 そこに助け船。

 これ幸いとジェナはリルから目を逸らして、「あ、うん」とハロルドの方に向き直った。


「私は昨日――」

 かくかくしかじか、とこれまでの経緯を語る。


 ハロルドが席を立つ。

 長身を折り曲げて、アイスを食べるリルの背中に隠れる。


「犯罪者じゃねえか……」

「――えっ、違う違う違う!」

「何が違うんだよ。おい、近付くな。俺はか弱いんだ」


 誤解だ、とジェナは詰め寄ろうとした。

 リルがまたじっとこっちを見つめてきたので、あまり詰め寄りすぎないことにした。


 その場で弁解する。


「よく考えてみて! そりゃあ、盗みとか暴力を働いてたんだったらそう呼ばれても仕方ないよ! でも私の行動が誰かに迷惑をかけた? かけてない!」

「いやそういう問題じゃ――」

「入っていい場所いけない場所なんて、所詮は人間の理屈でしょ!? 大自然が私たちにあまねくお恵みくださった大地を勝手に切り分けて己のものだと主張する傲慢な人間と、そんな矮小なルールに縛られずにただ風のように生きる私、一体正しいのはどっち!?」

「秩序への挑戦者がなんでよりにもよって王宮に侵入してんだよ」


 弁解すればするほど、ハロルドとの距離が開いている気がした。

 ジェナは切り替えが早い。今思いついた理屈で説得するのはやめにして、


「ほら、私って気ままなネコちゃんだから」

「は?」

「ネコちゃんみたいなものだから」

「直喩か暗喩かの問題じゃねえよ」


 それより、と話を逸らすことにした。


「大自然で思い出したんだけどさ」

「何で思い出してんだよ」

「精霊師って、何?」


 ハロルドが押し黙った。

 ちら、と彼はリルに視線を送った。ふるふると、彼女も首を横に振る。


「ちょっと待て。精霊師ってところまでフカシなのか?」

「さっき言ったじゃん。わけわかんないうちにそういうことになってたって」

「それ、『そういう資格があるのは知ってたけど、なんでそれがバレてたのかわからない』って意味じゃなかったのか」


 うん、と頷く。

 ハロルドは頭を抱えて、


「……いや、それは俺たちに訊くよりもアシュリーに直接訊いた方がいいかもな。俺も伝承とか成り立ちとか、そこまで興味を持って調べたことがあるわけじゃねえし」


 こくり、とリルも隣で頷く。ふうん、とジェナはその提案を素直に飲み込む。どうせ何もわからないのだから、ひとまずは人の言うことに従っておいた方がいいだろう。


 溶けつつあるアイスを、大きめに掬って口に運びながら、


「じゃあそうしようかな。アシュリー……様ってどこにいるの? ていうか、突然会いに行って会えるもの?」

「普段だったら結構気軽にこっちに来るんだけどな。ただ……」

「今は精霊祭の準備期間ですから、忙しくされています」


 ハロルドの答えを、リルが引き継いだ。


「珍しく」

「言ってやるなよそんなこと」

「しかしちょうど今頃は、精霊の塔にいらっしゃると思います。あまり時間は取れないかと思いますが、これを過ぎるとまたしばらく外に出られてしまいますので、急いでお訊きになりたいことがあるようでしたら今行くのがよいかと」

「精霊の塔って……」


 勝手に入って捕まったとこ。

 と思えば、


「私、そこに行って大丈夫?」

「ジェナ様は精霊師の賓客という扱いになっていますから、問題ありません」


 そっか、と頷きかける。

 もっと良くないことを思い出す。


「あのさ、」


 机の上で前のめり。

 ハロルドは嫌そうに一歩下がったけれど、リルは微動だにしなかったから、そのまま彼女に訊ねかける。


「――婚約者がどうとかいうやつって、どうなったの?」


 小声で。


 訊きにくいことは大抵の場合答えづらいことでもあるものだが、しかしリルにはそういうことは関係ないらしい。淡々と、頼もしく、彼女は答えてくれた。


「ご心配なく。あの場にいた者には、全て殿下が口止めをされました」

「そうなの?」

「緊急避難のための口実を大事にするのは望ましくないから、と私には仰っていました。騎士たちの中に口の軽い者がいない限りは、これ以上広まる心配はないかと」


 ひとまずジェナは、それでほっと胸を撫で下ろした。

 自分の身体から不思議なパワーが溢れ出してきたことに気を取られていたけれど、冷静になってみると、王族の婚約者を騙っている方がかなり処刑に近い所業だと思う。


 安心したら腰が軽くなって、


「わかった。ありがとう。じゃあ、早速行ってこようかな」

「はい。お気を付けて」

「あ、ちょい待て」


 立ち上がると、ハロルドが言った。


「ん?」

「一個だけ。第一王子と第一王女には気を付けろよ」


 というと、とジェナは記憶を探る。


 昨日のパーティで評判を聞いた二人だ。王位継承権一位と二位。アシュリーの兄と姉で、それぞれ外交や内政を担当している王の子たち。


「仲、悪いの?」


 恐る恐る訊いたのは、巷の昔話にそういう類型を知っていたからだ。

 王の子どもたちと言ったら、権力争いが定番である。もしかすると、現王の死後の後継者の座を巡り、アシュリーも兄姉と血みどろの暗闘を繰り広げているのではないか……。


「いや、そういうわけじゃないんだが」

 しかし、歯切れ悪くハロルドはそう答えた。


「どっちかって言うと、逆だ」

「逆?」

「すげえ仲が良いってか、上二人がアシュリーのことを溺愛してんだよ。継承権の順番を譲っても惜しくないとか……流石にどこまで本気で言ってんだかは知らねえけど」


 きょとん、とジェナはハロルドの忠告の意図が掴めずに、


「いいことじゃん?」

「いや、厄介だ」

「なんで」

「俺たちが『可愛い弟のお気に入り』だから。ここに来たばっかの頃は、とにかく根掘り葉掘り訊かれてな。あんたはできるだけ近付かない方がいい」


 脛に傷があるんだから、とハロルドは言った。

 そう言われると、若干の反発精神がジェナの中に湧く。服の裾を捲って脛を見せつけて「ない!」と言い張ってみようかと思う。


 それよりも、気遣いに対する感謝の気持ちが勝った。


「おっけー。ありがと。見かけても近付かないようにする」

 ん、とハロルドは頷いた。


 ジェナは机の上の小鉢を取る。残ったアイスをしっかり味わって食べる。飲み込んでからも口の中に残る甘い香りとコーヒーの深みに頬を喜ばせて、


「美味しかった。ごちそうさまっ」


 洗い物の申し出に、いいよ、と答えを貰えれば、お言葉に甘える。

 リルにこの建物と、それから精霊の塔に至るまでの簡易な道案内を教えてもらって、それからは意気揚々。やるべきことを見つけたジェナは、足取り軽くキッチンを出て、アシュリーの下へと向かっていく。


 会っちゃいけない二人に案の定遭遇したのは、外に出てから約百歩のことだった。



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