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2-② おめでとう



 三日分くらい食べた。

 コルセットをつけないタイプのドレスを頼んで正解だった。


 ひとまず満腹になったので、来るべき「あ、もうちょっと食べられるかも」のタイミングに向けて、ジェナは会場の壁際に潜んでいた。手にはアップルジュース。くい、と少しグラスを傾けてみると、それだけで童話の森の中にいるような芳醇な香りが鼻腔に漂う。


 言うだけあった。

 本当に何を食べても、とんでもなく美味しかった。


 満足感に浸りながら、ジェナはグラスを空にする。それから近くを通ったボーイに合図して、替えの飲み物を貰う。今度はオレンジジュース。


 怪しまれるくらいはするかと思ったけれど、それすらもなかった。

 王子様の誕生日パーティに紛れ込んだ平民なのに。


 会場はとんでもなく大きく、至るところできらびやかなドレスに身を包んだ貴族たちがうふふおほほと歓談に励んでいる。ジェナはその誰一人として顔も名前も知らず、ということは当然向こうもジェナのことを知らないはずなのだが、それで不審がられる様子もない。人が多すぎて一人くらい知らない人間がいても気にならないとか、王宮の中に踏み込んできている以上、騎士たちによる人定質問を抜けてきたはずだからと安心しているとか、そういう理由によるところだろう。


 食事のマナーも、とりあえずのところ咎められていない。

 ボーイへの対応は人の真似をしたらすんなり通ったし、実際に物を口に運ぶときは周りが自分に視線を向けていないタイミングを見計らって、柱の陰なんかでシュバッと済ませた。もう少しだらだらと人目を気にせず好き放題食べてみたい気もするけれど、まあ、この緊張感もスパイスの一種と思えば悪くはない。


 というわけで、ジェナはさっきよりも随分心に余裕が出始めていた。

 だから、周りの貴族たちの会話を聞いて、情報収集だってできた。


「――ええ、本当に。あのお身体の弱かった末子のアシュリー殿下が、とうとう本成人ですから。時が流れるのも早いもので……」

「おっと、卿。領地にお籠りの間に老け込んだというのは本当のことのようですな。殿下はすでに我が孫が生まれたときには大変お元気でいらっしゃいましたよ――」


 イズニール王国には、王を補佐する三人の子がいる。


 軍事を含めた外交を担当する第一王子。継承権一位。

 経済を含めた内政を担当する第一王女。継承権二位。


 そして、ついさっきまでジェナが捕まっていた第二王子。継承権三位。アシュリー・イズニール。

 聞いたところによると、彼は祭祀を担当しているらしい。


 よくわからないけど宴会担当みたいなものかな、とジェナはグラスを傾けながら思っている。それなら誕生日のパーティがこれだけ盛大なのも納得がいく。


 宴会を担当しているだけあって、人気もあるようだった。稀代の天才だとか神の子だとか王国の光だとかは単なるおべっかだろうからともかくとして、「人が良い」とか「いてくれるだけで場の空気が和らぐ」だとかは、本当にそう思っていなければ自分より目上の人間への誉め言葉としては出てこないだろう。


 ということはもしかして、本当に何の裏もなく自分を助けてくれただけなのかもしれない。

 その上、美味しいご飯まで食べさせてくれたのかもしれない。


 だとするなら、王宮を出る前にちょっとくらい「アシュリー殿下というのは素晴らしい人で~」というような風評でも撒いていってやろうか。そんなことを、満腹時特有の幸福感の中でジェナは検討していた。


 そのとき、ざわっと会場の空気が変わる。


「……?」

 遠目にジェナは、周りが注目したのと同じ方向を見た。


 一際豪華な服装に身を包んだ中年の男女がいた。さっきまではいなかったと思う。他の貴族たちが列をなして、次々に挨拶をしている。誰もが恭しく、一方で挨拶を受ける方は鷹揚に頷く。


 アシュリーを相手にしたときもそうだけれど、王族の顔なんて、好き好んでパレードでも見に行くわけでもないから、平民のジェナには判別できない。けれど、雰囲気でわかった。


 あれが王と、王妃だ。


「――我が子アシュリーの本成人の祝いの場への出席、まずは父母として感謝しよう」

 実際、そういう感じのことを言い始めたし。


 ライオンの遠吠えみたいによく通る声だった。どの貴族も動きを止めてその言葉を聞くから、一瞬、パーティ全体の空気が止まる。ジェナもその空気をあえて乱すほど破天荒な生き方をしているわけではない。今のうちにと柱に隠れて食事を再開することもせず、グラスは持ったままがいいのかテーブルに置いた方がいいのかをちらちら周りを見て確かめながら、右耳でぼんやりと王の挨拶を聞いていた。


「主役を差し置いて話しすぎるのも良くないな」

「本当ですよ、父上。私が話すことがなくなってしまいました」


 ライオンの声が、聞き覚えのある若い声に代わる。

 王と王妃の後ろから、その声の主はスッと一歩前に踏み出てきた。


 アシュリーだ。


「本日はお忙しい中お集まりいただき――」


 なかなか聞きごたえのあるスピーチだった。

 別に面白いことは一つも言っていないのだけど、こういう場の喋りは面白ければいいという種類のものでもあるまい。さっきみたいに「死んで戻ってきた」とか意味不明なことを言い出すよりかは、断然こっちの方がいい。


 よく練習したのか、それとも貴族たるものこのくらいの堂々とした喋り方はもう生まれつきみたいに身に付いているのか。


 そんなことジェナにはわからないが、さっきのライオンにも負けず劣らずの喋りぶりだった。きっとあの王子様であれば、あの爽やかな笑顔のままで親戚の友達の妹の知り合いのかかりつけの薬局の隣の家の娘が誰々と付き合っただとか別れただとかの話も、高貴に話しのけてしまうに違いない。


 なかなか大したやつらしい、と感心した。


 その直後、「よく考えたら今がチャンスだな」と気が付いた。


 ジェナは周囲の様子を窺ってみた。やっぱりさっき王が話し始めたときと同じだ。今日のお誕生日会の主役のスピーチに誰もが耳を傾けていて、動いている人間がほとんどいない。視線は奥の方に集中していて、数多いる招待客のほんの一人の動向なんか、誰も気には留めていない。


 逃げるなら、今。

 そう思うと、図々しくも少し名残惜しいような気もした。


 一時はとんでもないことになった。一巻の終わりかと思った。が、振り返ってみればあのお誕生日くんの優しさのおかげで九死に一生は得られるわ、こんなことがなければ永遠に着ることのないようなドレスに袖を通せるわ、一体普通に食べようとしたらいくらかかるんだかわからないような食事にまでありつけるわ、総合的に見ればむしろ、これまで生きてきた中でも指折りの幸せな日だったのではないかと思う。


 しかし、まさか「じゃあ明日も!」なんて居座るわけにもいかない。

 ジェナはその名残惜しさにも、心の中で別れを告げる。結局置いた方がいいんだか悪いんだかわからなくてずっとその手に持っていたグラスも、とうとうテーブルに置く。服はどうやって返そうか、なんてことを考えながら踵を返す。


「お?」

 そんな考えごとをしていたから、どういう流れでそうなったのかわからなかった。


 振り向いて踏み出したはずの一歩が、突っかかっている。何かに足を取られた感触。ドレスを破ってしまっては大変だからと、ジェナはすぐに振り向き直す。足元を見る。


 犬がいる。

 虹色に輝く犬が。


「――――、」

 絶句した。


 突然悪い夢の中に入り込んでしまったのかと思った。こんな大層なパーティ会場に犬が紛れ込んだだけでも一大事件だろうに、それが虹色に輝く犬となったらもはや歴史書に載ってもおかしくない珍事件である。


 犬は、自分に悩みごとなんか何にもありませんという顔でこっちを見上げている。

 試しにジェナも、それに倣って顔を上げてみた。


 会場中の人間が、全員自分を見ている。


 嫌な予感が百個くらい頭を過った。


「わ、」

 その予感を検討するよりも先に、事態は進行してしまう。


 犬がドレスを引っ張り始めた。


 控えめなやり方だから、抵抗することもできなくはない。しかしこのドレスがいくらするのかとか耐久度はどれくらいなのかとか、そういう細々したいかにも平民な思考が取り留めもなく足を襲う。ずるずると、そのまま犬に導かれるがままになってしまう。


 その先でアシュリーが、笑顔で手招きをしている。

 お前の仕業かよと思いながらも、とうとうジェナは、彼の隣に立って縮こまるほかない。


「あの……これ、何ですか? 処刑ショー?」


 小声で問いかけると、アシュリーはさらにそれを一笑に付す。そんなに物騒な国じゃないよ、とジェナにだけ聞こえる声で言って、


「というわけで。プライベートな席で仕事の話をするのも恐縮ですが、今年も無事に精霊祭が行われることを祈願して、こちらの精霊師の大先生をお呼びしました」


 今度は、誰にでも聞こえる声で言う。

 さあ先生と促されれば、今日すでに一度同じような場面を体験していたジェナは、つい言ってしまう。


「じぇ、ジェナです」

 言ってよかったのかは、よくわからない。


「私もこの国最高の精霊師などとご好評いただいていますが、実を言うとこちらの大精霊師様の弟子のような――いや、弟子と名乗るのも恐縮するような未熟者に過ぎないのです」


 何かすごいことをアシュリーが言っている。

 ほお、と周りの貴族たちが本気で感心するような声を上げている。


 ジェナは、今言われている全てに心当たりがない。


 アシュリーの方を向く。ちょっと、と他の貴族たちに見えないように、顔の片側だけで訴えてみる。

 彼もまたこっちを向いて、他の貴族たちに見えないように、顔の片側だけで瞬きをする。


 ぱちーん。


 人それを、ウインクと呼ぶ。


「これまでの私が残した功績も、こちらのジェナ師によるところが大変大きいところです。そんな彼女に今日はここで、精霊祭に向けた景気づけをいただきたいと思います」


 言いながらアシュリーは首元から、桃色の宝石が嵌め込まれたペンダントを外した。


「こちらの精霊石を使って。さ、レディ。あなたにペンダントをかける栄誉を、私に与えてくださいますか?」


 そしてそれを、今度こそ完全にジェナに向かい合って、広げていた。

 全然何もわからない。けれどもう、ここまで来て「嫌です」と突っぱねるだけの度胸は、ジェナにはなかった。


 こくんと頷く。

 にっこりとアシュリーが笑って、正面から腕を回すようにして、ペンダントをかけてくる。


 顔と顔が近くなるから、周りに聞こえないくらいの小さな声で、問い詰めることができる。


「ちょ、ちょっとどういうつもり? 何やらされるの、私」


 貴族に見せられる一発芸なんか何も持ってないけど、と。

 必死になってぼそぼそ訴えると、同じようにぼそぼそと、アシュリーが囁いてくる。


「屋上から飛び降りたときと同じだよ」

「は?」

「そのときと同じ力を、宝石に込めてみて」


 ペンダントが留まる。

 アシュリーの顔が離れていく。


「鍵開けと同じでもいいけど」


 それは、何もしなければ「勝手に鍵を開けて不法侵入していたことをバラす」という意味なのか。


 う、とジェナはたじろぐ。たじろくというのはやや後退するということで、後ろに下がればその分景色は遠くなり、視野が広がる。本当にたくさんの、たくさんの貴族が自分に注目していることを自覚してしまう。


 もっとたじろぐ。

 けれど、ここまで注目されてしまうと、流石に逃げられる気もしなかった。


「……知らないからね」


 もうこうなれば。


 心の中で呟く。目を瞑る。ペンダントの先の高そうな宝石を、思い切り握り締める。


 どうにでもなれだ。




 眩い光が、会場を包み込んだ。




「――――」


 おおっ、と貴族たちから声が上がる。


 光は宝石から放たれていた。それも元の色のままじゃない。宝石自体の桃色が拡散しているとか、そういうわけじゃない。宝石を媒介にして、それこそさっき自分の裾を引いた犬のような虹色が生まれて、次々に拡散している。


 今や、色とりどりだった貴族たちのドレスの色すらも、元がわからなくなってしまうくらいに。


「ど、」


 どうなってるのかわからない。

 どうすればいいの。


 という気持ちで目の前の現象に茫然と口を開けていると、そのペンダントを握る手を、さらに上から包んでくる手のひらがあった。


「そのまま力を込め続けて」


 アシュリーだ。


 彼の指先に、僅かに力が入る。ジェナが手の甲でそれを感じれば、変化は劇的だった。

 無軌道に放たれていた光が、それだけで一気に形を得る。


 空。花。犬。猫。鳥。海。湖。風にそよめく花。枝。葉。月と太陽。


 光のパレード。


 もうこうなると、もう貴族たちですら「おおっ」では済まされないらしい。ついさっき王宮の廊下できょろきょろと辺りを見回していたジェナとほぼ同じだ。初めて見る風景。実際に目にするまでは、頭の中にすら存在していなかった景色。誰も彼もがそれに目を奪われて、隣に誰がいるのかも忘れて、夢中になっている。


 そして、その光景を生み出しているはずの張本人。

 ジェナが、一番茫然としている。


「私、」


 呟く。

 アシュリーがこっちを向くから、ジェナも彼に視線を向ける。


「――こんなこと、できたの?」


 アシュリーが、二回瞬きをする。


 それから彼は、またジェナに顔を寄せるようにして、


「やっぱり『今回』は気付いてなかったんだ」

「……何に?」

「自分が使ってるのが、精霊の力だって」


 ジェナは目の前の光景を見る。


 それから自分の手の中にあるはずの石を見て、光景を見て、石を見て、さらに二度三度。

 最終的に、やっぱりアシュリーを見る。


「『精霊師』とかいうの、本気だったの?」

「『前』は君の方が詳しかったと思うんだけどな。ちょっと不思議な気分かも」


 実はね、と彼は囁く。

 ふたりの距離はさらに近付いて、


「死んで戻ってきてから、君に教わったことを色々先取りしてやっちゃったんだ。ごめんね。勝手に」

「……はあ」


 そんなことを言われても。

 全然ピンと来ないまま、とりあえず相槌を打つ。


「おかげで『神童』とか『精霊の愛し子』とか色々言ってもらってたんだけど、本当は君が積み上げるはずだった功績を横から取っちゃったなあって、気になってて」

「……ほう」

「だから、ちょっとだけお返し」


 にっこりと、彼は笑って片手を広げる。

 広げた先を、ジェナは見る。


 光の群れと、それに目を奪われる人々の姿。これだけの色に溢れた空間の中でも、彼らの瞳の中に称賛の色が浮かんでいることは、ジェナにもわかる。


 世界最高の精霊師、と。

 もしかしたら、あのときアシュリーが言っていたのは、自分を逃がすための嘘でも何でもなくて。


 もしそうだとしたら。

 それだけじゃなく、たとえば。


 死んで戻ってきたとか、前は大親友だったとか、そういうことすらも――


「……あのさ、」

「ん?」


 訊きたいことが、山ほどあった。


 本当に、それこそ昔からの大親友に向けるような懐っこい笑顔を浮かべるこの青年に、ジェナはものすごくたくさんの訊きたいことがあった。凄まじい量の、凄まじい質の、しっかり順番を考えてから口にしないと絶対に収拾が付かなくなってしまうくらいの、夜が明けるまでだって短すぎるくらいの、たくさんの言葉が胸の中にあった。


 ありすぎて、渋滞した。

 だから結局、声になったのはこんな些細な一言だった。



「――お誕生日、おめでとう」



 言われた方は一瞬、呆気に取られた顔をする。

 ジェナはそれを見て恥ずかしくなる。明らかに今言うべきことじゃなかった気がしたから。


「……その言葉、」

 けれどアシュリーは、笑って言った。


「今日貰ったプレゼントの中で、一番嬉しいかも」



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