2-① お言葉に甘えて
「コルセットを用いるドレスと用いないドレス、どちらがお好みでしょうか」
「待って待って待って。私全然ついていけてない。追い付いてない!」
それから一時間後。
どういうわけかジェナは王宮の奥深くにまで例のメイドに連れ去られて、いまだに混乱を続けている。
今いるのは、監獄ではなかった。この時点でジェナには事態がよくわからない。
その上、監獄ではなくてドレスルームにいた。こうなるともう、本当に意味がわからない。
おそらくさっきのあの青年――アシュリーとかいう変質者類似の自称王子が自分を「婚約者」とか言って周りに紹介したのと、この現状は無関係ではないのだと思う。
思うがしかし、どう関係しているのかを真剣に考えようとしても、上手く頭が働いてくれない。理解を拒否している。現実を受け止めるだけの度量がない。
受け止められないまま、さっきから一切動じた様子のないメイドに連れられて、入浴をさせられたりドレスを着せられたりしている。
「宝飾品含めヘアセットやメイク等、こちらもジェナ様にご要望がないようでしたら、私の方で合わせてしまいますが」
「それはいいんだけどっ――」
「はい。ではそのように」
「――いいんだけど、全然呑み込めてないんだって!」
ネックレスの準備を始めるメイドに、ジェナはぐっと詰め寄る。
大きく両手を広げて、
「何!? 私これからどこに連れていかれるの!?」
「アシュリー殿下の誕生パーティかと」
「あいつ今日お誕生日なの!? おめでとう!」
「ご本人に言って差し上げてください」
「じゃなくて! なんで私がそこに連れてかれるのって!」
「ご婚約者様だからでは」
「こ、」
婚約者では、ない。
という言葉が喉の辺りまで出かけて、そのまま静止した。
実際、婚約者なんかではない。結婚の約束に限らず、あの自称王子と一切の約束を交わしたことがない。
しかしそれを言ってしまえば、今のこの状況は絶対に崩れ去る。
王宮の入っちゃいけないところに入って投獄寸前だったあの状況に戻るのだ。
よりにもよって、自分を容易く取り押さえることができるわけのわからないメイドが至近距離に存在している状態で。
「…………」
「…………」
言葉を静止させて、ついでに全身も静止させていると、メイドはテキパキと動き回って、まるでマネキンに服を着せるみたいに淡々とジェナを着飾っていく。
その淡々が止んで、多分これで着せ替えは終わったんだろうなというタイミングだった。
「入って大丈夫かな?」
コンコン、と部屋をノックする音がした。
そんなに何回も聞いたわけでもないが、直近の発言を一言一句頭の中で精査する羽目になっていた相手だったので、ジェナはすぐにその声の正体に気付くことができた。
自称王子。
アシュリーの声だ。
「あ、えと、」
ジェナはメイドの顔を窺う。彼女がこくりと頷いたのを見て、
「大丈夫です。どうぞ」
「どうも。お邪魔しま――わ」
ドアが開けば、正装に身を包んだ彼が入ってきて、
「すっごく似合ってる! 可愛いね!」
「…………そうですか」
軽薄なナンパ男みたいな声をかけてくる。
ジェナは思わず疑いの眼差しを向けてしまう。一見すれば悪ふざけなんて何もしそうにない純粋げな男に見えるのだけれど、発言の端々に怪しいものがある。こいつはいたいけな平民である自分を騙くらかして、壮大なからかいを試みているのではないだろうか。最終的にげらげら笑いながら処刑台に送ろうとしているのではないだろうか。見れば見るほど笑顔に邪気がなさすぎて、逆にものすごい裏があるようにも見えてくる。
「本当だよ。ほら、自分でも見てみなよ」
アシュリーが目で合図を送る。
メイドがすかさず姿見に手をかけて、すっとジェナの前に出してくる。
「――――!」
そこに映る自分の姿を見て、驚愕した。
自分の置かれているこの特異な状況すらも一瞬忘れてしまう。ずいっ、と身を屈めるようにして、鏡を覗き込む。
「これが……私?」
「そう、とっても――」
「真っ白なキャンバスの上に自由に絵を描いたみたい! すっぴんとはとても似ても似つかない! 完全に別物! 元が私でも粘土でも結果は同じ!」
「そこまで言わなくてもいいんじゃない?」
お気に召しませんでしたか、とメイドが訊ねてくる。
そっちを見る余裕もないまま、ううん、とジェナはその問いを否定する。
だって、これこそが今の自分がもっとも欲しているドレスアップだ。ついこの間城下で調子に乗って大食いチャレンジメニューを頼んでから財布を家に忘れてきたことに気付いて周りがドン引きするような死闘を繰り広げる羽目になっていた平民の女とはとても似ても似つかない。ドレスに着られているとか宝石に負けているとか、そういうレベルの話でもない。もはやこの場に新たに生み出された人造生命体だ。名前も新しく付け直した方がいい。ジェナセカンドとか、サードとか。
これなら、たとえばパーティ中に顔を完全に把握されて、後の指名手配時に不利になるようなこともない。
この凄腕メイドに取り押さえられる危険を覚悟で即座に逃亡を図るより、パーティ中のどさくさ紛れで脱出を試みた方が、明らかに成功率は高い。
「じゃ。準備もできたみたいだし、途中まで一緒に行こうか」
微笑んで、アシュリーが腕を差し出してくる。
二秒。それを眺めてから、ジェナは前向きな気持ちでがっしりと掴まった。
◇ ◇ ◇
「は~……。すご……」
精霊の塔にいたときには全然発さなかった独り言がつい口から出てきてしまったのは、隣に相槌を打ちそうな人間がいたからなのだと思う。
「どこ見ても高そう」
「値段の話?」
これから連れていかれるのは、いわば裏口的な場所らしい。
だから人の姿が全然ない、その割にものすごく豪華な廊下をジェナは歩いていた。絨毯がふかふかなのなんてほんの些細なことだ。壁という壁に装飾が施されて、心の休まる余地がない。置かれている壺の一つ一つが、どう見ても自分が支払っている年間家賃より高い。
巨人用に作られた建物なのかというくらい天井が高い。
普段はどうやって掃除してるんだろう。ピカピカのそれをしばらく見上げた後、ハッとジェナは正気を取り戻した。
「じゃなくて!」
「質の話? そっちの方がデザイナーも喜ぶと思うな」
「内装の話はもう終わり! それより一体これ、どういうことなんですか!?」
話を戻して、隣でにこにこするばかりの自称王子に――いや、おそらくこんな場所まで自分の侵入を許せているということは、それだけの権力を持った存在であることに間違いはないのだろう。受け入れる。隣の王子に、ジェナは問い掛けた。
「さっき婚約者とか言ってたの、何? 『大親友』じゃなかったんですか?」
「あ、思い出した?」
思い出すも何も、そんな事実はない。
彼の方も本気でそんなすっとぼけた受け答えをしてきたわけではなかったらしく、すぐに、
「緊急回避。ああ言っておけば、大抵のことなら罪に問われないでしょ」
「……それはどうも、庇ってもらってありがとうございます」
「どういたしまして」
「でも! それとこれとは話は別! どうするんですかあんな嘘ついて! 私をどうしたいんですか!」
「君としてはこれからどうするつもり?」
そんなの逃げるに決まってる。
パーティが始まる前は人の出入りも多くてかえって警備も厳重だろうが、始まってしまえばこっちのものだ。窓の外はすっかり夜の暗さだし、闇に紛れてどこへでも。あのメイドさえ出てこなければ、いくらだって逃げられる。
あれ。
それなら別に、婚約者扱いされようが何だろうが、どうでもいいのか。
「…………」
「と、もう着いちゃった」
考え込んでいると、アシュリーが足を止めた。
ジェナも顔を上げる。目の前には、確かに真っ赤な扉があった。
「立食パーティだから、折角だし好きなものを食べていきなよ。うちのシェフ、すごく腕が良いんだから」
さあどうぞ、と彼はスマートに扉を開ける。
二度三度、ジェナは扉の先とアシュリーの顔を交互に見比べる。
計算した。
計算の結果、「ここまで来たんだからもうタダ飯まで食べちゃった方が得」という結論に辿り着いた。
「そこまで言うなら、お言葉に甘えて……」
どうも、と頭を下げる。
楽しんで、とアシュリーは笑う。
ところで、このときのジェナの決断を表現するために「毒を食らわば皿まで」という便利な言葉があり、通常、毒を食った上に皿まで食うと死に至る。