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1-② だから、大丈夫



「おっ、」

 と潰れたアザラシのような言葉が喉から出てきたのに我がことながら驚いて、それでようやく、ジェナは自分がどこにいるのか思い出した。


 入っちゃいけないところに入っている。


 不法侵入をしている。


 見つかると、マズい。

 逃げた方がいい、のだけど。


「覚えてるって、」


 そうやって復唱したのは、もっと穏当に事態を収められるんじゃないかという期待を持ってしまったからだ。


 屋上には人がふたり。自分と、目の前の青年だけ。そしてその青年は「不審者です!!!」と叫ぶこともなく、それどころか自分に「覚えてる?」と顔なじみであることを確かめるように声をかけてきた。知り合いの可能性があるし、少なくとも現時点で、ものすごく切羽詰まった状況にあるとは言い難い。


 別に、見覚えがある相手ではない。

 でも、話術で言いくるめられる可能性が、全然ある。


 だから、次の言葉はこう。


「私たち、どこかで会ったことありましたっけ」

 まるっきり下手なナンパの受け答えみたいだった。


 自分の話術の乏しさに内心悲しくなりながら、ジェナはバレない程度に踵を引く。ちょっとでも目の前の青年と距離を取って、逃げやすい立ち位置を確保しようとする。


 無意味だった。


 すごい勢いで、ずかずか青年が近付いてきたから。


「え、あの、」

「だよね。覚えてたら、もっと早く会いに来てくれたはずだから」


 パッと見は線が細そうだったのに、いざ近付いてみたら妙な存在感がある。スタイルが良いからか。見下ろされるような角度。夕日がジェナの顔に影を作る。


 手を取られる。

 がっしりと。


「死んで戻ってきたんだよ」

「は?」

「だから、僕は死んで、時を遡って、君に会いに来たんだよ」


 こいつはどうかしてる奴なんだ、とジェナは思った。


 冗談を言っている雰囲気はなかった。間近で見ると、やたらに清廉というか、清らかな雰囲気のある男だ。髪も肌も陶磁のように透き通って、瞳はきらきらと輝いている。邪気という邪気が感じられず、だからこそ、より一層怪しい。


「会えて嬉しいな。僕たち、死に戻る前は大々大々大親友だったんだ」


 意味不明な妄言すらも、その声の真剣さにかかれば一定の説得力を持つ。


 こいつと話していても、絶対ろくなことにならないと思った。


「そ、そうなんですねー……」


 あはは、と引き攣った愛想笑いをしながら、ジェナはさりげなく男の手を解く。音楽家かよ、と思わされるほど繊細な手触りのそれを、傷つけないように、刺激しないように、自分の手から引き離して戻してやる。


 ふう、と息を吐く。

 男が首を傾げる、その一瞬。


「――じゃ。私はこれで」

「あっ」


 逃げた。


 全然見込み違いだった。言いくるめるとか以前に、話が通じる気配もない。話が通じない相手と話していても、無駄以外の何物でもない。


 そして、うっかりこの場所の関係者らしき人物に見つかってしまった以上、もう一度悠長に塔の中に戻って、あの長い階段を下り直す気にはならない。


 もっと手っ取り早い逃げ方がある。


 柵のない外縁に向かって、ジェナは駆け出した。


「ちょっと――」

 意外にも男の動きは素早かったが、そんなのじゃ全然間に合わない。


 夕焼けに線を引くようにして、ジェナは走る。何も難しいことじゃない。距離。歩幅。流石にこの高さは初めてだけれど、それ以外に初めてなことなんて何もない。


 慣れてる。


 大股三歩。



 勢いよく、宙を跳んだ。



「――わ、お、」


 危ない、なんて心配の言葉が背中に聞こえたけれど、もちろんそんなの自分が一番わかっていた。こんな塔なんかに登らなければ一生見ることのない景色だ。地面よりも空の方が近く思える。支えるものが何もない。掴まるものが何もない。


 全身に鳥肌が立つ。

 ありえないほど気持ちが良い。


「っつ、」


 それも当然、長くは続かない。

 塔の上に戻ってもう一度同じことをやりたいと思うけれど、そんなわけにはいかない。


 地面の上に『ちょっとした特技』を使って着地する。だんっ、とすごい音が足の裏から聞こえてきて、流石に身体に痺れが走るけれど、経験上これをやった後はすぐに動き出さないと厄介なことになる。あんな大ジャンプはどこの誰に見られているかわかったものではない。


 どこに逃げるかくらいは、もちろんそのジャンプ中に目星をつけている。

 真っ直ぐにジェナは、次の足場にするつもりの高木に向かって駆けていく。


 もう何があっても脇目も振らない。足のジンジンするのは後で労わる。さっきの景色を思い出すのも部屋に戻ってからやる。ちょっとくらいこけそうになっても無理やり体勢を立て直すし、王宮の人間に顔を見られた以上もう別の街に移った方がいいかもとか現実的な心配は逃げ切ってからすればいい。


 大荷物を持ったメイドが、ちょうど進行方向の近くにいたって、顔を隠すこともない。


「どいて!」

 一言叫んで、何ならもっと加速する。


 いくら大荷物を持っていたからって、流石に自分が走るその風圧で吹っ飛んだりすることはあるまい。ジェナはメイドを気にすることもなく、力いっぱいに地面を蹴る。発射準備だ。大股四歩。


 一、

 二、


 三、で世界が回転した。


「――は?」


 自分が回ったんだ、と気付いたときにはもう遅かった。


 不思議なことに、背中を襲った衝撃はふんわりとしたものだった。しかし何が起こっているんだか全くわからない。視界が真っ白に染まっている。何かを被せられた。布、とそれが頬に擦れる感覚で気が付いて、ジェナはハッと一つの言葉を思い浮かべる。


 誘拐!?


「んー!」

「大人しくしてください、手荒なことはしませんから」


 暴れてみると、耳元で囁くような小さな声が聞こえてきた。


 女の声だ。ものすごく控えめで、風の中に消えてしまいそうな声。いかにもか弱そうな言いぶりなのに、その声の主のものだろう手は、ジェナの身体をがっしりと地面に縫い付けて離さない。


 足音が聞こえてくる。

 がっちゃんがっちゃんと鎧が擦れる音も聞こえてくる。


 終わった、と思った。


「これはリル様! 治安維持のご協力に感謝します!」

「いえ。ついでですから」


 野太い男の声が聞こえる。ジェナは一瞬、身体から力を抜いて抵抗をやめてみる。すると案外素直に袋を取ってもらえる。視界が開けて、おかげで現状を確認することができる。


 いかにも上等そうな騎士が数人いて、剣の柄に手をかけながら自分を取り囲んでいる。


 終わった、ともう一度思った。


「この人物は、先ほど妖精の塔から飛び降りた影で間違いありませんか?」

「はい。私はちょうどこちらの方が飛び降りてからここに来るまでを見ていました。その後も非正規の方法で王宮の敷地から脱出しようとしていましたので、身柄の確保を」


 ぐうの音も出ないくらいちゃんとした仕事の報告をしているのは、自分を押さえつけているメイドだった。勘弁してくれ、とジェナは思う。人を見た目で判断しちゃいけないってことか。どうも自分を投げ飛ばして無力化したのは、このいかにも大人しげな彼女らしい。


 どうもだとか流石ですだとか、メイドと騎士が言葉を交わす。


「それでは、ここからは我々が引き継ぎましょう」

 騎士たちはジェナを見ると、


「王宮護衛騎士が貴殿にお訊ねいたします。妖精の塔にいたこと、及び門以外の場所を通じて王宮から退出を試みたことについて、正当な理由やご弁解はございますか? ないようでしたら、これより貴殿を連行・留置いたします」


 もちろん、そんなものはない。


 恐らくこのタイミングで、たとえば貴族だったら「俺を誰だと思ってるんだ!」とかそういうことを叫ぶんだと思う。しかし当然、ジェナはそんなことは叫べない。誰でもないから。そして騎士も多分、そのことがわかっている。だってそんな風に声高に主張できる肩書きがあるなら、すっ転ばされたり布で目隠しをされた時点で、すでに叫んでいるはずだから。


 律儀なことに、それでも五秒、騎士は待った。

 試しにジェナは、自分を的確に押さえつけているメイドに、子犬の目で訴えかけてみた。


 おねがい、見逃して。


「…………」

「…………」


 無視された。


「では、何もないようですので。これよりあなたを連行――」

「――待った!」


 いよいよ命運が尽きようとする、そのときだ。


 動き出した騎士の動きを止める声があった。騎士が振り向く。まだジェナの目にはその声の主が見えない。三秒待つ。近付いてきた足音が止まる。ぜえはあ、と息を整える声が聞こえる。


 ざっ、と一歩前に出てくる。


「あ、」


 さっきの変な男だった。

 目が合う。向こうがちょっと笑う。もしかすると、とジェナは思う。


 めちゃくちゃ変な奴だけど、いい奴なのか。


 いや不法侵入者を庇うのが善行なのかは微妙なところだけど、さっきの意味不明な妄言や不信極まりない発言内容さておいて、自分のことを助けに来てくれたのか。


 期待を込めて、ジェナは男を見る。


「この人は――」

 彼は、庇い立てるようにジェナの前に立って、




「僕の婚約者だから、大丈夫」




 すごかった。

 ぽかん、という音が本当に聞こえた気がした。


 目に映るほとんど全ての人が口を半開きにしている。誰も一言も発さない。何なら風も吹かない。時が止まったみたいになる。ジェナも例外じゃなくて、騎士たちと同じく、全く状況についていけていないままでその青年のことを見上げている。


「誤解に基づく手荒な扱い、大変失礼いたしました。お許しください」


 例外一、メイド。


 彼女は何の逡巡もなくジェナを組み伏していた手を離す。差し伸べてくる。何も言わないまま、お手と言われてお手をする犬のようにジェナがその手を握れば、さっと素晴らしい手際で引き起こしてくれる。


「この人は世界最高の精霊師でもあってね、精霊の塔にいたのも僕が頼んだからなんだ」


 例外二、発言者本人。


 彼はメイドからジェナの手を引き継ぐ。騎士たちと向き合わせる。

 さ、と片手を広げて、


「良ければ皆に自己紹介を」

「…………ジェナ、です」


 半開きの口のまま、大してハキハキとした口調でもなくそう告げる。


 騎士たちは全く反応しない。呆然としたまま、ジェナを見ている。普段だったらこれだけの視線を一斉に受ければ多少なりたじろぐところだけれど、今はそんな余裕すらない。たぶん三十分後とかに、遅効性でまとめてたじろぐことになるんだと思う。


 騎士の一人が、ジェナから視線を外す。

 そうしたら一斉に、他の騎士たちも同じようにした。


 青年を見た。


 だから、ジェナも釣られて隣を見た。


「僕も?」

 すると彼はにっこりと、これ以上ないくらい人懐っこい笑顔になって、



「イズニール王国第二王子、アシュリー・イズニールです!」



 数秒の沈黙。

 知ってます、と勇気ある騎士の一人が呟いた。



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