7-① もう一個だけ
「うおわっ!」
灯りに目が眩んだ。
ジェナは少し遅れて、自分の周りに何があるのかを確かめる。薄暗いというか、ちゃんと暗い。もう夜が来ている。目の前にはオレンジ色のランタンの火。誰かが自分を上から覗き込んでいる。位置関係。そのランタンが頭の上にあるということは、自分は床の上に寝転がっている。
天井がやたらに高い。
精霊の塔。
「おい、大丈夫かよ」
逆光に目が慣れるよりも先に、声で誰なのかわかった。
「ハロルド?」
「あ、悪い。眩しすぎるか」
これでどうだ、と彼はランタンを背中側に回す。それだけでかなり光の加減はマシになって、呼びかけた名前が間違いではないことがわかる。
戻ってきた。
「なんでここにいるの?」
「なんでって、夕飯の時間になっても部屋にいないから探しに来たんだよ。まさかここにいるとは思わなかったけど……てか、あんた。誰にも行先を言わずにいなくなるなよ。心配するだろ」
「ごめん。一応、ここに入るときに――」
第一王子に、と告げようとしたとき、その声が喉の奥でつかえたのが自分でわかった。そうか、と奇妙な納得を得る。
あの人と向かい合うといつも、自分らしくもなく緊張していた。
それはもしかすると、どこかで『前』のことを覚えていたからなのかもしれない。
「ここに入るときに?」
「あ、うん。第一王子にほら、鍵は貰ったんだけど」
これ、と手の中に持っていたそれを光の中に差し出す。ハロルドは驚いた顔を見せた後、「そっちにも訊きにいきゃよかった」ときまり悪そうに髪をかいて、
「で、なんでこんなとこで寝てんだ。何か精霊周りのことか?」
当然の疑問を口にする。
うん、とジェナはひとまず頷く。それから高く聳える壁の、ずっと上の方に目をやる。すっかり暗い時間帯だから、そこに掛けられている絵をはっきりと見ることはできない。
「あのさ、」
代わりに瞼の裏に、さっきまで見ていた光景を思い出す。
「今から、時間ある?」
◇ ◇ ◇
「そもそも精霊師ってなんなんだ?」
誰もいなくなった厨房は、広さも相まって洞窟のように涼しかった。
目の前には皿。食べ損ねたはずの夕食をハロルドは取っておいてくれた。遅くの時間に洗い物の手間を増やしてしまうのは申し訳ないような気もしたけれど、空腹には勝てない。ありがたくジェナはそれをいただく。
その傍ら、今まで見ていたもののことを、ハロルドに打ち明けていた。
「俺があの絵に触っても何も起こらないんだから、あんたの方に原因があるってことだろ。精霊師って、そんな過去の……過去ってわけでもないのか。別の世界のこととか、そんなものまで覗けるのか?」
「わかんない」
「まあ、そうだよな。わかってるなら俺にそんな話はしないか」
うーん、と彼は椅子に背中を預けて、天井を見る。厨房は暗い時間に作業することも多いし、食べ物の色をはっきりと確認できないことで生じてしまう問題も多い。机の上に置かれた蝋燭の灯りは鮮やかで、その天井の色までをはっきりと照らしていた。
「けどそれ、何となく流れはわかるな」
「え、」
驚いて、ジェナは目を見開いた。
「流れって、どの?」
「そういう状況の……ちょっと待て」
今度はハロルドは、ぎし、と椅子を鳴らして机の上に身を乗り出してくる。右、左、後方。きょろきょろと見回した後、落ち着きなく席を立つ。窓辺に立って、月明かりの下でさらに右左。戻ってきて、こそりとジェナに手招きをする。
顔を寄せる。
「周りに誰もいないよな?」
「いないと思うけど」
「聞かれたらマズい話なんだよ。精霊師の力でも何でも使っていいから、ちゃんと調べてくれ」
そこまで言われれば、と素直にジェナは自分の力に頼ってみる。折角こうして話を聞いてくれてるハロルドの言うことなのだから……というのと同時に、そんな話を聞かされる自分の方も危うそうだからと、もっともな理由の二つで以て。
いないよと伝えれば、いよいよハロルドは声をひそめて言った。
「レオナルドの方は、納得がいく」
その内容がとんでもないものだから、さっきの倍は驚いた。
「え、何それ。あの人、こっちでもそういう――」
「違う違う。やめろ、聞かれたら洒落にならないから」
誰もいないよな、と念には念を入れる様子でハロルドはもう一度周囲を窺う。ジェナもそれに釣られる。右、左、前後ろ上下。
問題なし、と頷き合って、
「前にほら、ちらっと言っただろ。アシュリーが文官の汚職を摘発したって」
「そうだっけ」
「そうだよ。あれ、レオナルドに取り入ろうとしてた奴なんだ」
聞いた話だが、という前置きからは想像も付かないくらいに詳しい話を、彼は始めてくれる。
「今はだいぶ落ち着いてるけど、前はもっと王室と貴族の間が緊張してたんだよ。単純に王と家臣ってわけじゃなくて、政治の実権をどっちが握るつもりかとか、そういうことをやってて」
「レオナルドはどっち派?」
「どっち派ってほど単純なもんじゃない。貴族もそれぞれ領地だの利権だの持ってるわけで、それを巡って思惑や取引があって……で、そういうのをアシュリーがガタガタに崩した」
「崩れなかったら?」
「だから、そっちの世界じゃ王位継承戦争が起こったんだろ。単純な兄妹喧嘩じゃない。勢力同士の代理戦争だ」
普通なら、と彼は言う。
「レオナルドもクリスティーンも、内戦のダメージを度外視できるタイプじゃない。……と思うんだが、少なくともいつ相手が実力行使に出ても対抗できるように、お互いに力を貯め込んでた」
そこに降ってくる、と身振りで示すから、
「卵?」
「ああ。建国神話に書かれた『精霊からの恵み』そのものだろ」
その言葉に、ジェナは思い出す。
アシュリーから教えられた物語だ。ある人が精霊からたくさんの贈り物を受け取って、塔から降り、国を建てる。
「『王権我にあり』なんて叫ぶにはうってつけだ。上手く権威を利用して、王都だけで話を収拾できる算段もあったんじゃないか。それなら内戦の影響を軽視できる」
それに、とハロルドは天井を指差して、
「あんなのが出てきたら、もう何が起こってもおかしくない。もしかしたら本当に伝承通りに『恵み』が贈られてきて、そのダメージも補填できるかもって夢見たのかもな」
さらに二人は、いくつかの話をした。
アシュリーがそのとき置かれていただろう立場のこと。たとえば、当時の彼は病がちのために兄姉にとっては警戒するに値しない人間だったのではないかとか。だからこそむしろ、自分が継承戦に勝ったときの王室からの後押しの一つとして、自分の陣営に組み込もうと取り入られていたのではないかとか。
じゃあ、とジェナは話をまとめて、
「アシュリーがこの国の流れを変えたんだ」
「なのかもな。……一応言っておくけど、今聞いた話は誰にも言うなよ。王族を相手に『謀反を起こしても納得』なんて言ったのを知られたら、どこまで話がややこしいことになるかわからん」
「死刑?」
「……名前を変えて新しい生活かもな。最悪でも、アシュリーが庇ってくれるだろうし」
そうなると今までの生き方としては、ジェナにとってはそう困るものではない。
が、わざわざ人の今ある生活を奪う気なんてさらさらない。ましてや、そこまでのリスクを負ってまで自分の疑問を解消してくれようとした相手のものなら、なおさら。
「教えてくれてありがとう」
深々と、ジェナは彼に礼を言った。
それから、ここまで来たなら最後まで、と思って、
「ちなみに、私の見た目の年齢が違ってたことには何か納得のいく説明はある?」
「気疲れ」
「なんでいきなり雑になった?」
「じゃあ化粧」
言いながら、しかし急に気の抜けた様子でハロルドは手を振って、
「悪いけど、俺は人の容姿の話はしないことにしてるんだ。相手が女の場合は特に」
「何それ」
「自己防衛策。気を遣うんだよ、高貴な職場で働くってのは。そういうことが訊きたいなら俺じゃなく……そうだ。リルがいるだろ。あいつの方が見た目の話には詳しいんじゃないか?」
適当だなあ、とここに来て初めてジェナは思った。
確かにリルの化粧術は見事なものがあったけれど、あの『自分』の顔にそういうものが施されていたような気はしない。訊いても無駄なんじゃないか。そう思う。
しかし相手が語る気のないことをいつまでも続けていても、嫌がらせ以外の何かにはならないので、
「じゃあ、もう一個だけいい?」
最後に一つだけ、この会話の終わりの前に、訊ねてみることにした。
「どうやってアシュリーって、時間を戻ってきたんだと思う?」
それは多分、ハロルドにとっては予想していた質問だったのだと思う。
大して驚いた様子は見せなかった。けれど、少しばかり間が空く。彼は自分の中に用意しておいた答えをどんな風に表現するか、それに悩むようにして二秒、三秒、四秒。
ぎし、と椅子にもたれる。
す、と指が上を向く。
「あれ以外、考えられなくないか」




