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5-① 思うがままに



「僕の役目はここで終わり」

 と、喫茶店からの帰り道でアシュリーは言った。



 街の上に浮かんだ卵は、不思議と光を遮らない。日が沈み切るまでの、ほんの僅かな時間。並んだ影が、これから戻る王宮までの道を細く、長く伸びていた。


 歩調は同じ。

 でも、その影はまだ、重ならない。


「それって、どういうことですか」

「死んで戻ってきて、やろうと思っていたことが全部終わったっていうこと」

「やろうと思ってたことって?」

「教えない」


 じろ、とジェナはアシュリーを見上げる。

 彼はしかし、そんな目つきもどこ吹く風だった。薄く笑って、唇の前に人差し指を立てる。


「ひみつ。でも、本当に大したことじゃないよ。もう、全部解決したことだから」

「じゃあ、どうして秘密なんですか。解決したことなら誰に言ったって構わないですよね」


 その問いかけには、少しだけアシュリーにも考える素振りがあった。


 橙色に染まった王宮と、それよりも一際高く頭を出した精霊の塔。濃い影が、少しずつ夜と溶け合っていく様を見つめながら、


「知ってほしいような、そうでないような。そういう微妙な気持ちだからかな」

「……? どういう意味ですか」

「揺れ動いてるってこと。秘密を知ることが君にとって良いことかどうかは、僕には保証できない。でも一方で、君が何も知らずにここから離れたところで、多分それは何も悪いことじゃないと思う」


 だから、と。

 手の甲に口づけたときの、あの言葉の続きのように彼は言った。


「思うがままにどうぞ。好きでしょ? そういうの」



◇  ◇  ◇



 一体私の何を知ってるつもりなんだ。


 と思いながら起きたのはきっと、ここのところそのときの会話のことを思い起こしてばかりいたからに違いない。


 瞼を開けるだけ開けている。寝起きは良い方だけれど、いまだにこのベッドについている天蓋とやらには慣れない。カーテンの隙間から朝陽が白く差し込んでいる。おはようございます、と起き抜けに早速話しかけてくる声がない。


 リルが休みを取っているということだ。

 ベッドから降りる。清潔なテーブルの上に目をやれば、一枚の紙が置いてある。手に取る。窓辺に寄って、カーテンを開ける。


『今日はやる気が出ませんでした』

「――ふふ」


 あまりにも正直に書かれた理由書。


 別に、ジェナはそれに気を悪くすることはない。だって、そもそも仕事でも何でもないのに自分の世話をしてくれているわけだから。やる気が出ないなんて言いつつ、朝食と着替えの準備だけは、しっかり整えておいてくれているわけだから。


 着替えと朝食、どっちを先にするべきか。

 朝食、と椅子を引く。


 段々と、精霊祭の日は近付いていた。



◇  ◇  ◇



「あれ、今日もハロルドは別のお仕事ですか?」


 ごちそうさまのお礼を言いがてら厨房まで顔を出して訊ねると、この数週間で多少なり顔見知りになったコックの一人が教えてくれる。


 そうなんですよ、クリスティーン殿下に呼び出されたらしくて。


 へー、大変なんですね。コックの仕事も。


 祭りが近付いてきてなかなか……。いやでも、羨ましいですよ。あいつは嫌々みたいな顔をしてますがね、俺だったら殿下からお呼び出しなんて貰ったら、もう天にも昇る思いで。


 あはは。


 厨房を出て、廊下を行く。そのまま部屋に戻るのも意味がないような気がして、ジェナは大窓の近くの明るい場所で、ふと足を止めてみた。遠景には美しい庭園と、その向こうのよく磨かれた王宮建築の一部分が映る。その上には空。もうすぐ初夏が来る。美しい青色の気配が、今でも雲の奥に漂っている。


 アシュリーは、しばらく王宮を留守にしている。

 何でも精霊祭に向けて、方々で根回しを行っているそうだ。そしてリルとハロルド。気軽に相談できるはずの二人も、同じく精霊祭に向けて諸々の仕事で忙しくしているらしく、なかなか捕まらない。けれど、ときどきジェナはこうも思う。祭りに合わせて多くの賓客を迎える必要があるからと準備に追われる厨房の主はともかくとして、リルは一体何でそんなに忙しいのだろう。本当に何もかもやらされているのだろうか。そんな気もする。


 じゃあ、自分は?


「…………うーん」


 知りたい、とは思った。

 けれどその気持ちのやり場が、実のところ全く見つかっていない。


 アシュリーはいない。リルとハロルドは捕まらない。そうなると自分なりのやり方で調べたいものを調べるしかないのだけど、これがなかなか上手くいかない。


 人に訊くにしたって、アシュリーの陰謀だの何だのの話をするわけにはいかないし。

 図書館で調べるにしたって、書いてあるのは昔のことばかりで、今の自分の状況を説明してくれたりはしないし。


 じゃあ他に、と考えると、思ったより自分の発想力は貧困だということがわかってくる。


 とりあえず、と思った。

 こういうときは入浴か散歩か、どっちか。


 散歩、と決めて歩き出した。



◇  ◇  ◇



 何かあるとしたらここだ。

 ということを、目の前まで来てジェナは思い付いた。


 この王宮に来た切っ掛け。始まりの場所。青い空に向かって高く伸びる建物。


 精霊の塔。


 たぶん、とジェナは思う。アシュリーの『死んで戻ってきた』とかそういうのは、全て精霊に関することなのだ。自分が精霊師だと知らされたこともそうだし、あの暦板に預言のようなものが出てきたのもそう。空にいまだに浮かび続けているあれだってまさにそのとおりだし、立て続けに起こった不思議なことが全てこの周辺で起こっている。


 もしかすると、ここにまだ何かあるかもしれない。

 人に訊いてもわからない、本を読んでも調べつかないことが、ここにはあるかもしれない。


 そう思って、入り口の扉に手をかける。


 ガチン。


「…………」

 当たり前の話だが、鍵がかかっている。


 ジェナは、扉に手をかけたままで思い返していた。この場所に来ることになったきっかけ。入っちゃいけないところに入ることほど楽しいことはないが、その行動がどれだけ大きな謎を連れてくるのかということを、時系列と共に思い浮かべながら、一通り。


 そして、一つの結論に辿り着く。


 次はバレないようにやろう。


 というわけで、ジェナは右を見た。誰もいない。

 次に左を見た。こっちにも誰もいない。


 なら大丈夫だと安心したところで一応、用心深さの表れとして、後ろも見た。


「おわ、」


 いた。


 立っていたのは、若年ながら威風堂々たる男だった。しかも王族。話したことがある中では一番年上の人。


 第一王子レオナルドが、ぐ、とこっちに足を踏み出してくる。


 逃げようと思った。


「――え」

 のに、ガチャン、と。


 大きな音が鳴る。ぎい、と古びた音を立てて扉が開いていく。ジェナは振り向く。自分に向かってきたと思ったレオナルドは、けれどそんなことはなかった。すれ違って、手に鍵を持って、彼もまた振り返って、


「なんだ。入りたいのではなかったのか」



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