3:切り札
まず、イェール王国では、結婚は「聖女聖痕確認の儀式」を受けた女性にしか認められていない。かつ、「聖女聖痕確認の儀式」を受けていない女性との結婚は禁じられている。もちろん、「聖女聖痕確認の儀式」前の男女交際も禁止されている。
というのも、もし18歳になる前に、純潔を散らすと、もしその女性が聖女だったとしても、左胸に聖女を示す百合の聖痕が現れなくなるからだ。
そして「聖女聖痕確認の儀式」。
それは聖女を示す聖痕がないか、神官が確認する儀式である。18歳の誕生日の前日に、イェール王国の女性は王都に集められる。神殿に集められた女性達は、日付が変わると同時に、神官により、聖痕の有無を確認されるのだ。ここで聖痕が発見されれば、即クリスタル・パレス行きだ。
もちろん、「聖女聖痕確認の儀式」に参加せずにやり過ごすことをできないかと考え、18歳の誕生日を国外で過ごす方法も模索した。ただ留学や仕事などで国外にいても、呼び戻される。応じないとそもそもその滞在中の国から退去を命じられる。ならば留学や仕事名目で国外に逃れ、そこから失踪する方法も考えたが。
イェール王国以外でも、聖女の存在は認識されている。ただ言い方が聖女ではなく、神女であるとか天女とか呼び方が違う。そしてやはり聖なる証を持つことが発見されれば、その国でつかまり、神女なり天女にされてしまう。つまり逃亡は……現実的ではなかった。
となると、回避策その二についても、逃亡に成功し、国外に逃げても、逃げた先で神女や天女にされる可能性がある。国内で逃亡を続けることは、もっと難しいことも分かった。
そもそも聖女であると分かり、逃亡するなんてことは、ないに等しい。聖女と分かれば一生王宮で暮らせるし、その両親や家族が一般市民であれば、貴族社会へ仲間入りも可能になる。既に貴族であれば、聖女を出した名家としてさらなる爵位のアップ、もしくは名誉、歴史に名を残すことが可能だ。
ゆえに18歳を迎える女子は皆、聖女を目指す。両親もまた、娘が聖女になることを願う。
もし逃亡する聖女がいれば、つかまえて王城へ引き渡せば、これまた一生遊べるだけの報奨金を受け取れる。逆に逃亡を手助けたとなれば、死刑確定。これでは誰も手を貸さないだろう。
結局、「聖女聖痕確認の儀式」を回避する方法を模索したが、それは難しいという結論に至った。ただ、いろいろと調べたり、考えたりすることで、私自身は聡明で勉強熱心な少女へと成長できた。それに切り札を、手に入れることもできたのだ。
ラシッド・サラフ。
彼は現在19歳で、9月で20歳になる私の護衛兼執事だ。
君ヒロには一切登場していない。
「聖女聖痕確認の儀式」を回避する方法の一つとして、留学を考え始めた12歳の頃から、私は腕利きの護衛兼執事となる人物を探し始めた。普通に親に頼むと、護衛=騎士になってしまうが、それではダメだ。
もっとアウトローな人物がいい。そこで私は慈善活動に参加する名目で、学校が休みになると、孤児院を巡るようになった。そしてそこで彼を見つけた。そう、ラシッドを。
当時出会った時の彼は13歳。黒髪に黒い瞳で、アーモンドミルクのような滑らかな肌をしており、手足は細く、すらりとしている。まるで黒豹のように思えた。
無口でおとなしい性格だが、運動神経は良く、頭の回転も速い。異国から流れ着いたらしいが、品があり、もしかするといずれかの国の王族の人間なのではないかと、孤児院の院長は言っていた。つまりは誘拐などでさらわれた王族の少年。
私は父親に、ラシッドを自分の護衛兼執事にしたいと相談した。いずれ留学を考えており、当然その場合、メイドは連れて行くが、護衛兼執事も必要だからと。
当然、反対された。
どこの馬の骨とも分からない孤児を引き取り、公爵家の令嬢の身の周りを任せるなど無理だと。そこでラシッドのすごさを父親に披露することにした。
まずは語学。ラシッドは5つの国の言語を完璧に話すことができた。次に計算能力。6桁×6桁の掛け算をラシッドは紙もペンも使わずにできた。最後に、ナイフ投げ。15メートル離れた的に5回連続で当てることに成功させた。
さすがに父親は驚き、ラシッドの秘めた可能性に気づいてくれた。留学するまでまだ時間があった。そこで執事と騎士に必要なスキルと技能を身に着けさせるということで、彼を引き取ることが許された。
ラシッドに武術を教えることになった騎士には、くれぐれも騎士道精神は学ばせないよう、頼みこんだ。理由は「異国の地に留学した際、騎士道精神にのっとった戦い方や考えが、通用しない可能性があるから。時に非情になることが、国外では求められるから」ということを最もらしい顔で告げると、なんとか受け入れてもらえた。
こうしてラシッドは、私が望む通りの青年へと成長してくれた。優秀だったラシッドは執事として、洗練された教育を受け、武術を身に着けた。その結果、執事としての、完璧なふるまい。ナイフ投げをはじめ、剣、弓、槍などの比類なき武術の腕前。身長はあの頃よりうんと伸び、全身に筋肉もつき、しなやかで黒豹の成獣のような姿へと成長していた。
性格は、表向きは無口で大人しく穏やか。でも私といる時は違う。よく笑い、よく話し、快活だ。
つまり。
ラシッドは私に素の自分をさらけ出す。私を完全に信頼している。そうなるように、ラシッドに接してきた。私もまた、ラシッドだけに素の自分を見せた。だからラシッドと私の間には、二人にしか分からない親密な関係が構築できていた。
だから。
ラシッドは切り札だ。
ただ、ラシッドという最強の切り札を使うのは、本当に万策尽きた時だ。
それまではこのカードは切らない。
そう決めていた。