1:プロローグ
もう時間がない。
だから私は“彼”に声をかける。
私の提案を聞いた彼は……。
「仕方ないですね。アメリアお嬢様。あなたはいけない子です」
急にいつもの執事の口調に戻ると、彼はこの部屋の鍵を取り出す。そしてドアの鍵を静かにかける。さらに部屋の明かりを消すと、私がいるベッドの脇のサイドテーブルに置かれたランプだけが、灯った状態になった。
彼は窓際に置かれたテーブルのそばへと移動する。懐中時計をズボンから取り出し、テーブルに置く。コトリと金属と木が触れ合う音がする。続けて両手につけている白手袋をはずす。
ゆったりしたその動作を見ているだけで、なぜか胸がドキリとする。
着ている黒いジャケットを脱ぎ、椅子の背へとかけた。
ジャケット脱ぐだけで、その鍛えられた肉体が、白いシャツ越しでもハッキリ分かり、思わず息を飲む。
シュルっという音を静かに響かせ、黒いタイをはずし、ベスト脱ぐ。さらに白シャツのボタンを三つほどはずす。
その一連の動作に、思わずため息が漏れる。
サラサラの黒髪を揺らしながら、彼がベッドに横たわる私のところへとやって来た。ゆっくりベッドに腰を下ろした彼は、そのまま自身の体を横たえる。
細いけれど、きちんと筋肉のついたしなやかな腕を伸ばすと、彼は白いネグリジェ姿の私を抱き寄せた。
左腕を私の背に回し、右手で私の頬を包み込み――。
◇
事の始まりは――私がまだ4歳ぐらいの頃だ。
病弱だった私は、よく熱を出し、寝込んでいた。
熱にうなされ、見る夢は、とても不思議なもの。
私の髪の色はプラチナブロンドで、瞳はローズクォーツという宝石のような色をしている。鼻も高く、唇と頬はピンクローズで、雪のような肌をしていると言われていた。
それなのに、夢の中の私は、まったくの別人。
黒髪に焦げ茶色の瞳。鼻も低く、なんというか、平べったい顔をしている。しかも体のメリハリもなんだか心もとない。身長もお母様やお姉様よりもずっと低い。そしてなぜかいつも疲れ切っている。ただ、「乙女ゲーム」というもので遊んでいる時だけ、生き生きとしている。その時の目の輝きようは……子供の私からすると、ホールケーキを一人で食べていいと言われ、目を輝かせている時と同じように思えた。
成長するにつれ、熱を出すことも減った。
熱が出なくなれば、この夢を見ることもなくなるかと思ったが……。
そんなことはない。
熱の有無に関わらず、別人とも言える自分の姿の夢を見続けることになる。
そしてその夢の中で頻繁に見るのがこれだ。
それは「乙女ゲーム」のスタート画面。
平べったい顔の私はこの「乙女ゲーム」というのが大好きらしく、何度も何度もこの画面を見ることになった。
「『君がヒロイン』こと通称“君ヒロ”の舞台となるイェール王国では、数年前に悲しい出来事が起きました。聖女アメリアが、暗殺されてしまったのです。聖女を失ったこの国は今、悲しみに包まれています。そこでプレイヤーの皆さんは、このイェール王国で切望されている聖女として降臨します。でも降臨しただけでは、まだ完璧な聖女ではありません。真の聖女となるため、クリスタル・パレスで5人の男性と過ごし、心から愛する男性を一人選び、そのお相手と結ばれてください。真実の愛を手に入れることで、聖なる力が手に入り、あなたは真の聖女へと生まれ変わります!」
<進む> <戻る> <閉じる>
これを初めて見た時は、驚いた。
なぜなら私の名前はアメリア・クリスティーナ・ブラントだからだ。
漠然と自分と同じ名前の悲劇の聖女がいる、と思っていた。
だが……。
それだけではなかった。
夢の中の平べったい顔の自分が熱中していたその乙女ゲームについて知れば知るほど、奇妙な事実に突き当たる。
乙女ゲームである通称“君ヒロ”に登場する人物が、確かに私のいるこの世界にも実在しているのだ。王太子、筆頭公爵家の嫡男、副神官長、伯爵家の三男、騎士団の副団長。名前も身分も生い立ちも、ピタリと一致している。
それだけではない。
人物だけではなく、私が今、生きている世界の建物や景色、文化や国も、本当に乙女ゲームの君ヒロそのものなのだ。
さらに。
私の両親――ブラント公爵夫妻も、兄のローガン、弟のジョゼフまでが、君ヒロの中に存在していた。
聖女アメリアの名前には下線が引かれており、文字に触れると新たな情報が表示される。表示されるのは、家系図だ。そこには私と完全一致するフルネーム、両親、兄や弟の名が表示されていた。そう、すべて私の家族の名前と一致している。ただ聖女アメリアの伴侶の名は……記載されていない。
偶然の一致。
そんなことでは割り切れないものを感じる。
君ヒロという乙女ゲームの登場人物と、自分自身と家族の名前が完全一致するなんて。
それでも、これは夢。
自分が作り出した夢だから、家族やみんなの名前があるだけ。
そう思うようにしていたのだが……。
自分が悲劇の聖女アメリアだと確信したのは、10歳の時だ。
確信した、というより、覚醒した。
熱はないのに、またも平べったい顔になっている自分の夢を見た。そしてその時の夢で、私は最近王都でもよく見かける自転車に乗っていた。その自転車に乗りながら、聞いたこともないリズムの音楽を聴いていた。どうやら耳に入れている何か黒い物から音が聞こえているようだった。それでどうもよそ見をした瞬間。これまた最近王都で目にすることもある、自動車というものに激突した。その衝撃はかなりのもので、夢の中の出来事に驚いた私は、ベッドから落ちた。
そこで覚醒した。
私は21世紀を生きた日本人であり、通称“君ヒロ”『君がヒロイン』という乙女ゲームをこよなく愛したアラフォー女子であったことを思い出したのだ!
思い出したはいいが、大変な状況にあることに気づく。
事故死した私は、乙女ゲーの君ヒロの世界に転生した。
だが、転生したのは悲劇の聖女アメリア。
君ヒロでイラストすらない、文字情報の存在。
ゲーム進行中に名前すら出てこない存在。
登場はオープニング画面のみの存在。
モブとすら表現できない。
しかもヒロイン登場前に死んでいる。
回避を、回避しなければならない……!
本日5話公開です。時間差で公開していきます!