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四代目異世界ハーレム主人公クニツ・ライナ  作者: さとー
ダイアモンドクラブ編
35/49

黒魔術 ⑩

 逃げ出したい。今すぐ全てを放って、ずっと遠く、クニツ・ライナを知る人間がいないところまで。プエルの部屋の前で、情けなく震える。ノックをしようとしても、腕すら上がらない。逃げ出さないようにするので精一杯だ。失敗したときの事ばかり考えてしまう。プエルの心は闇に呑まれ、ディエゴか、もしかするとデイガールに殺される。

 そうなるかならないかは俺次第。プエルが憧れたクニツ・ライナにならなければ、プエルは死ぬ。その事実が、俺の体を鉛のように重くする。

 思い出せ。ライナと過ごした一週間を。みんなが口にしたライナのことを。ライナはこんな状況でもビビったりしない。それよりもプエルを心配し、プエルのためにこの扉を開く。一生懸命に救おうとする。プエル、こんなことはもうやめろ、まだやり直せる。みんながそう望んでいる。俺も、デイガールも、カレンも、リコも。ディエゴだってそうだ。本当は殺したくなんてないはずだ。ライナが言いそうなことを頭の中で思い浮かべる。

 イメージしろ。完璧な自分を。誰もが憧れる英雄を。なりきるんだ。今だけでいい。本物のクニツ・ライナに。

 扉から離れる。逃げるためじゃない。この扉に来るまでの自分すら否定しなければならないと思ったからだ。ライナは扉の前で震えたりしない。まっすぐに歩いてきて――いや違う。ライナなら、心配するあまり走ってくる。そして、一旦呼吸を落ち着け、居住まいを正し、扉をノックするはずだ。俺は想像上のライナを辿り、扉をノックした。

「俺だ。ライナだ」

 扉はあっさりと開かれる。

 現れたプエルの姿を見て、息を呑む。

 闇だ。顔の半分ほどを残して、プエルの体全体を闇が覆っている。しかし、その禍々しさとは裏腹に、プエルの顔は憑き物が落ちたようにやんわりとしていた。

「来てくれて嬉しいよ。僕も最後に、君と話がしたかった」

「最後とか言うなよ」

 俺が言うと、プエルはふっと笑った。

「まあ、入ってくれ」

 俺を部屋に通したプエルは、部屋の中を見渡し、手探りでものを探すような動きで椅子に手をかける。ゆっくりと椅子を引き、俺に座るよう促す。そのあとも、自分の椅子を探すプエルはまるで目が見えていないかのような動きだった。

「不思議な感覚だ。見えているのに、見えないんだ。今僕はこの部屋にいて、君を見ているはずなのに、本当は暗い闇の中にいて、なにもない暗闇をじっと見つめている、そんな感覚が……ははっ、言ってもわからないよな、悪い」

 プエルはテーブルの感触を確かめるように木製のそれをなでさする。

「プエル、もうやめよう」用意していた言葉は、言ってから間違っているように思えた。言い直そうと言葉を探していると、プエルはまるで俺の声が聞こえていないかのように、俺の台詞とは関係の無い話を始める。

「君から友達になってくれと言われたとき、本当は嬉しかったんだ。憧れのクニツ・ライナから、認められたと思った」

 しみじみと言ったかと思うと、プエルは突然天井を向いて笑い出す。

「それにしても、あのときは驚いたなあ。まさか本当に弱いだなんて。ああ、チェスの話だよ。俺は馬鹿なんだって、必死な顔で言うものだから、混乱した」

 そういえば、こいつには等身大のまま友達になろうとしたんだっけ。それが今は、本物のクニツ・ライナになりきろうとしている。

「僕がずっと憧れていたものは、こんなものだったのかって、落胆するとともに、安心した。もしかしたら、こんな僕でも、君と肩を並べて歩けるんじゃないかと、錯覚しそうになった。そんなはずがないのにな」

「歩けるさ。まだ遅くない。やり直せる。一緒にこの国を良くするんだろ? その責任があるって、お前が言ったんだ」

 ライナなら、こう言うはず。

「そうだな。だけど、あんなことを言っておきながら、僕はその責任に押しつぶされた。負けたんだよ。そして、父上の残した罪に、自ら手を出した」

 責任に押しつぶされる。その気持ちは痛いほどわかる。俺だってもしプエルと同じ状況に追い込まれたら、同じ方法を選んだかもしれない。危険だとわかっていながら、一か八かで楽になれるのなら、飛び込んだに違いない。明らかに険しく、どこまで続くのかもわからない道を行くよりは、一瞬の恐怖に目をつむるほうを選ぶだろう。

「なあライナ、僕は、間違っているか? 犯罪者を黒魔術の実験台にして、金持ちから汚い金を奪い取って、恵まれない人間に還元する。これは間違っていると思うか?」

 流石の俺も薄々気づいてはいた。サンファン邸の地下にあった施設というのは、黒魔術の実験施設だったのだろう。裁判所の近くにあったのもそのためだ。裁判所から犯罪者を調達して、黒魔術の実験台にしていたのだ。始めたのはアンドレアスに違いないが、プエルも黒魔術を習得する、あるいはコントロールするために、その施設を利用した。

 正直、俺は間違ってるとは思わない。悪いやつがどうなろうが知ったことじゃないし、金持ちから金を奪って貧しい人に配るのも、一概に悪いとは言えないんじゃないかと思う。案外それが普通の価値観なのではないかとさえ思う。だけど、ライナだったらはっきりとこう言うはずだ。

「お前は間違ってるよ、プエル」

 プエルはすっと目を細めて、乾いた笑いを漏らす。

「ははっ、ずいぶんはっきり言ってくれるじゃないか」

「友達だからな。友達だから、間違った道に進んだら、力尽くでも引き戻す。だから、まだ間に合う。戻ってきてくれ。黒魔術なんかに負けないでくれ」

 自分の言葉に、徐々に熱がこもっていくのを感じる。クニツ・ライナとしての言葉と、俺の本心が、重なり合っていく。

「デイガールが言ってた。この国にはお前が必要だ。もちろん俺もそう思ってる。ザイファルト家の当主として、この国を背負っていくんだろ」

 闇が濃くなっていく。プエルの顔はもう、左目とその周りしか見えない。口を覆っている黒いもやが大きく揺れ、マスク越しみたいなくぐもった声が聞こえてくる。

「違う」

「……違うって、なにが?」

「本当は、この国を背負うつもりなんてない」

 静かだったプエルの声に、とげとげしさが混じった。

「僕は、この国を出て行きたかった。そのために力を欲したんだ」

「プエル? なに言って」

「当然だろう!」突然、プエルがテーブルに拳を叩きつける。「この国を良くするために力が必要だった!?」プエルはけたたましく笑い、テーブルに身を乗り出して顔を近づけてきた。「本気で信じたのか君は? そんなわけないだろう! どいつもこいつも、僕があいつの息子だからという理由だけで悪者扱いしてくる! 僕がどれだけ頑張ったって、この泥は拭えない! 君のようになれはしないんだ!」

 濃い闇の向こうに、プエルの口が透けて見える。歯をむき出しにして、獣のように息を吐いている。

「だからなってやったのさ。悪徳貴族に、あいつらが僕をそう呼ぶように」

 黒いもやが、プエルの全てを覆い隠していく。月が雲に隠れるように、あるいは、太陽が水平線の向こうに沈むように、暗くなっていく。

「黒魔術で『悪徳貴族』の悪名を手にしたとき、僕を若造だと舐め腐っていた商人どもは、手のひらを返したように言うことを聞くようになった。逆らえば何をされるかわからない、そんな恐怖を与えてやった。それだけじゃない。この力のおかげで、勝手に僕を悪人だと思った人間がすり寄ってくる」

 耳を塞ぎたくなるような話を、プエルは怒りのままに語ってみせた。貧民街から連れてきた働き手を奴隷のようにこき使う商人。ザイファルト家の名を利用し、領地ができた暁には色々と優遇してやるからと言って金をだまし取っていた詐欺師。とある騎士団で行われる訓練という名のリンチ。賄賂を渡せば、利益をちらつかせれば、どんな悪行であれ黙認してくれるだろう、もみ消してくれるだろう、後ろ盾になってくれるだろう、そう判断してプエルに話を持ちかけてきた悪人たち。中には、誰にも言えない己の悪事を自慢したいだけの人間もいたという。黒魔術によって自分を悪徳貴族だと思わせたプエルは、自らを誘蛾灯のように使って、悪人たちをあぶり出したのだ。

「あいつら全員、殺してやる」

 心からの言葉に違いなかった。これがプエルの心の闇。ザイファルト家の人間だからというだけで悪人と決めつけられ、この国の腐った部分を嫌というほど見せつけられ、その結果生まれた怒りと憎しみ。それを照らせるだけの光が、俺の中にあるはずがない。なにを言ったところで薄っぺらな言葉にしかならない。

 俺はただ、深く同情するしかできなかった。

 最後まで闇に覆われず残っていた左目――初対面の時はあんなにも綺麗で情熱的だった碧眼が、醜くゆがむ。一滴の涙がそこからこぼれて、闇に消えていく。

「後生だライナ。僕と決闘して、そして殺してくれ」

「嫌だ」ライナならなんと返すか。そう考えるよりも先に口から出ていた。「そんなこと、できるはずないだろ……」

 テーブルに身を乗り出し詰め寄ってくるプエルが恐ろしく感じられ、俺の体は無意識のうちに後ろに逃げて、椅子ごと倒れた。プエルはテーブルを迂回して俺のほうへと詰め寄ってくる。俺は尻餅をついたまま後ずさる。

「どうしたんだ。怖いのか? 人を殺すのが。デイガールにはそうさせたくせに! 自分は手を汚したくないのか!」

 違う。違うだろ。なんで俺がプエルを殺さなきゃいけないんだよ。

「違う! 俺はお前を助けに来たんだ! 殺しにきたんじゃねえ!」

 必死に言い返すが、言い訳にしか聞こえない。殺したくないから言っているようにしか思えない。

「……だったら、助けてみせろよ、クニツ・ライナ」

 助けてくれ、と言っているように聞こえた。

 クラミーが俺にくれた言葉がふと蘇る。ずっと苦しんでいたのですね。

 プエルの心の奥底にあった闇。それが表出してプエル自身を覆っているのだとしたら、それは怒りや憎しみだと思っていた。しかし、その根本にあるのは、苦しみなのかもしれない。苦しいから怒るし、苦しいから憎む。あるいは、怒りや憎しみが苦しみを生む。

 それがわかった瞬間、俺の心を支配していた恐怖や不安が嘘みたいにすっと消えた。目の前にいるのは、俺を怖がらせるものなんかじゃない。苦しみもがいている、俺の友達だ。

 不思議と覚悟が決まった。やけっぱちかもしれない。追い込まれたネズミが噛みつくようなものかもしれない。

 しかし、俺の中にいるライナは、鬼のような形相で、確かにこう言っている。

「甘えてんじゃねえぞ」

 プエルがうろたえた。

 俺の中のライナがなおも言う。

「苦しいから殺してくれ? 苦しいから助けてくれ? 甘えんじゃねえよ! プエル、お前は逃げたんだ。勝手なイメージを押しつけられるのは苦しいだろうさ。悪人が弱者をいたぶる様を見るのは苦しいだろうさ。そんな中で努力し続けるのは苦しいだろうさ。でもな、だったら開き直って悪人になってやろう、そいつら殺して終わらせようなんてのは間違ってる! お前はもっと苦しむべきだったんだよ!」

 よく聞けプエル。お前が憧れたクニツ・ライナの言葉を聞かせてやる。

「今が苦しいのなら、もっと苦しい思いをしてでも今を変えなきゃいけねえんだよ!」

 言った。言ってやった。俺がライナから言われたことを、そのまま。

「……これ以上、僕に苦しめって言うのか?」

 わかるよプエル。苦しみから脱却するためにもがくのは、もっと苦しいよな。頑張ってるつもりなのに、それでも頑張れって言われるのは酷だよな。だけどやっぱり、頑張るしかないんだ。プエルは黒魔術なんかに頼らず、地道に努力すべきだった。悪人だと言われたくないなら、周囲の見方が変わるまで善人でいるべきだった。悪人を見るのがつらいなら、真正面から正義を訴えるべきだった。それが苦しい道のりだからと、こいつは逃げたんだ。

 同情しそうになるのを必死に抑え、はっきりと言う。

「楽になんてさせねえぞ」

 ライナは厳しいやつだった。もう頑張れないと言っているやつがいたら、ぶん殴ってでも頑張らせるやつだった。それでいて、一緒に苦しんでくれるやつだった。

「表に出ろ。ただし決闘じゃねえ。お前がもっと苦しめるように、その根性叩き直してやる」

 やってやるよ。プエルの命も、みんなの期待も、全部背負ってやる。立つのもやっとなくらいに足は震えて、今にも押しつぶされそうだけど、全部をひた隠しにして、お前に、俺が見たクニツ・ライナという異世界ハーレム主人公を見せてやる。

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