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第9話 真情の告白

 ──エレインに対して、いつからこんなに強い執着心を抱くようになったのだろう……。

 カラフは寝台の上に座したまま、ぼんやりと思索に耽っていた。


 当のエレインは、火照った身体を冷ますため、窓際に立っている。ほんの少し開けた窓から吹き込む夜風を浴びつつ、遠くの空をじっと見つめていた。

 その横顔は美しいが、なにを考えているのかはさっぱりわからない。


 最初の頃は、いずれ来る別れを呑み込めていたはずだ。

 むしろ、わずかな楽しみさえ感じていた。カラフの手垢がついたエレインを、そうとは知らずに王が愛でるのかと思うと、愉快でたまらなかった。


 エレインの心と身体を最初に暴いたのはカラフで、夫たる王にはそれができなかった。

 仮に今後、王とエレインが心を通わせることがあったとしても、エレインに『一番目(最初の愛)』を教えたのはカラフであるという事実は揺るがない。

 王は、『二番目』に甘んじるしかないのだ。

 そのことに優越感を覚えていたはずだった。


 しかしカラフは、ふと気付いてしまった。一番目だの二番目だのは、無意味な順位付けに過ぎないと。

 もしエレインが王を愛するようになれば、カラフは『過去の男』に成り下がるだけなのだと。

 エレインにとって『唯一無二』の座を、王が奪っていくだけのこと。

 

 そしていずれエレインは、カラフを忘れ去ってしまうだろう。子を産み、母となれば、なおのこと。

 カラフはエレインの中で、「あの頃は若かったわね、無謀なことをしたわね」なんて、ときどき思い出して苦笑する程度の存在になり果てるに違いない。


 (くら)い思考がぐるぐると頭を巡り、心がひどく痛んだ。奥歯を噛み締めながら、さらに考える。


 ──ではもし、エレインが想いを抑えきれず、「私を連れて逃げて」なんて追い縋ってきたらどうする? 喜んでそうするか?

 いや、心の底から困る。一国の王妃と駆け落ちするなんて、この上ない大罪だ。カラフには、そこまでの責任を負うことはできないし、逃亡生活なんてまっぴらごめんだ。


 ──はたまた、エレインがカラフへの想いを断ち切るができなかったら、嬉しいか? 王に寄り添いつつも、ずうっとカラフのことだけを想い続けてくれたら?

 それも困る。もしエレインが自責の念に駆られて王へすべてを告白したら、それこそカラフにとっても破滅だ。


 ゆえに、互いにすべてを忘却し、すべてをなかったことにしなくてはならない。いやというほど理解しているのに、カラフの心はちっともままならない。

 あれも嫌、これも嫌、と、まるでワガママな子どものようだ。

 自分自身に呆れ果てながら重い息を吐いたとき、エレインが呼びかけてきた。


「ねぇカラフ、ちょっと来てちょうだい」


 妙にうきうきとした声。苦悩するカラフの気も知らず、一体何用だというのだろう。


 エレインへ目を向けると、顔いっぱいに明るい笑みを浮かべていた。

 その眩しさに惹かれたカラフは、半裸の身体をのそのそと動かして彼女の元へ向かう。

 ちらりと窓の外を窺えば、空が白み始めていた。ずいぶんと長居してしまったようだ。


 カラフがエレインの傍らに立つと、彼女はうっとりと身を預けてきた。そして、手を掲げて遠方の天を指さす。


「ねぇ、あれが『明星(みょうじょう)』でしょう。美しいわね」


 早暁(そうぎょう)(そら)()ずる太陽から逃れるように闇に浮かぶ、ひときわ強い光を放つ星。

 あれこそが明星。カラフに与えられた、身に余る二つ名。


「……さようでございますね」


 カラフは込み上げてきた感情のまま口元に冷笑を刻み、吐き捨てるように答えた。エレインが不安げに見上げてくる。


「……カラフ?」


「申し訳ございません、エレイン。わたくしは、その名が好きではないのです」


 正直な気持ちを吐露すると、エレインは「えっ」と目を見開いたあと、悲痛そうに眉を歪める。


 居たたまれなくなったカラフは、エレインから顔を背けると、そのままふらふらと元いた寝台へ戻った。

 端に腰掛け、自省の念に項垂(うなだ)れる。


 すかさずエレインが追ってきてくれたことは嬉しかったが、不機嫌を示して他者の気を引くなんて、ずいぶんと幼稚な真似をしてしまった、とさらに落ち込んだ。


 エレインはカラフの正面に立つと、労わるように顔を覗き込んでくる。


「不用意なことを言ってごめんなさい……。でも、あの、理由を聞いてもいいかしら?」


 遠慮がちな問いかけに、拒絶を示すことも、嘘を言うこともできた。

 しかしカラフは、今まで誰にも打ち明けたことのない真情を告げることにした。

 カラフよりずっと年下のエレインの瞳の中に、なにもかもを包み込んでくれるような優しさがあることに気付いたからだ。 


「わたくしには、その名が重荷なのです。ただ見目が良いからと、大した武功もない、若い騎士に大仰な名を授けて、英雄のように持ち上げて、民衆の前に立たせて。

 わたくしなどより、王の方がよほど優れた武人だというのに……」


 かねてより主君へ抱いていた劣等感をぽろりと口にすると、途端に空虚な気持ちになった。彼の妻の心と身体をモノにしたところで、満たされるのは雄としての優越感のみ。

 しかも、その優越感に浸っていられるのもあとわずか。

 騎士として、武人としての矜持は揺らいだまま、なにも変わらないのだと、痛いほどわかってしまった。


「時折、なにもかも投げ捨てて逃げ出したくなる。しかし、そのような度胸はわたくしにはないのです。今の何不自由ない生活を捨てて、身を立て直す覚悟などない。

 ゆえに、与えられた役目を(まっと)うするしかないのです。虚しさを押し殺しながら、名ばかりの明星に甘んずるのみ」


 思いの丈を吐き出すと、少しばかり楽になったが、後悔も覚えた。

 幼き日よりカラフに恋心を抱いてくれていた女性に、こんな情けない話を聞かせるべきではなかった、と。

 もうすぐ来る別れのときまで、毅然と振る舞い続けるべきだっと、と。


「……失望なさいましたか?」


 自嘲を浮かべながらエレインの顔色を窺う。

 しかし予想に反して、彼女は琥珀色の瞳に真剣な色をたたえていた。失望や軽蔑などこれっぽっちも見当たらなかった。

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