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第7話 至福の夢

 ――王妃のことが忘れられない。

 王妃を抱いてからというもの、カラフは胸に生じた彼女への気持ちを持て余し、苦悩していた。

 日中もぼんやりしてしまい、『お疲れですか』と何人かに案じられてしまうほどに。


 夜が更けてもちっとも眠くならず、寝所の窓からぼんやりと欠けた月を眺めるばかり。


 ――関係を持った女にここまでの執着を抱くなんて、ただの一度もなかったのに……。


 ――いや、一度か二度はあったかな。

 若かりし頃のほろ苦い記憶を呼び起こし、小さく嘆息する。だが、自分はもう色恋を知ったばかりの子どもではない。


 女に泣き(すが)られたのだって、初めての経験ではなかった。

 でもあんなふうに、なにもかもを諦めたかのように空虚な涙を見せられたのは初めてだった。


 覚悟を決めての夜這い、想いを断つことを前提とした告白、一夜限りと決めての情交。なにもかもが終わると、王妃は見送りさえ拒んで静かに去って行った。

 遠ざかる背中が余りに健気で、切なかった。


 だから、マルゴという侍女にこっそり声を掛けられたとき、ほんの少し警戒しながらも、渡りに船だと心弾ませてしまった。

 王妃自身がカラフを待ち望んでくれているなら、会いに行かない理由はない。


 マルゴは、涙を拭いながらカラフに言った。


「どうかこの夏の間だけ、王妃様に甘い夢を見せて差し上げてくださいまし」 


 ***


「どうかわたくしの腕の中で、至福の夢を御覧ください」


 そんなふうに囁きかけると、王妃はカラフの身体の下で身を震わせ、困惑しきったように目を逸らした。

 けれど彼女の瞳の中には、『期待』がありありと浮かんでいる。

 慎ましさの中に見え隠れする貪婪(どんらん)な欲望にあてられて、カラフはぞくりと昂ぶった。激しい情火が胸に灯り、ただちに己の思いを遂げたくてたまらなくなる。

 

 カラフがもう少し年若ければ、荒ぶる欲に任せてそうしていただろう。

 もしくは、眼前にいるのがただの遊びの女だったら、なんの気遣いもせずそうしていただろう。


 けれど、カラフの身体の下にいるのは、長年叶わぬ愛に身を焦がしてきた女。つい先日、その想いが叶ったばかりの女。

 カラフのために、得も言われぬほど美しい涙の粒を流す女。


 至福の夢を見せると、約束したのだ。軽く頭を振って、心に棲むけだものを理性の檻へ閉じ込めた──。


***


 すべてが終わると、王妃は感極まったようにカラフの首に縋り付く。だからカラフも、彼女の背中にきつく腕を回した。

 なんの苦労も知らない女の肌は(やわ)(すべ)らかで、カラフの指先を愉しませてくれる。

 そしてなによりも、自分を一心に慕ってくれる女が愛おしい。


「ああカラフ、どうか私の名前を呼んで」


「……エレイン様」

 

 カラフがただちに願いを叶えると、王妃──エレインはうっとりとつぶやく。


「私は今、この上なく幸せだわ……」


「そのようなお言葉を頂戴できるなど、身に余る光栄です……」


 慇懃(いんぎん)に答えながらも、カラフの心には幸福感とは異なる激情が生まれ始めていた。

 触れることさえ許されない高貴な女が、こうして己の腕の中にいる。カラフの一挙一動に酔いしれ、甘い声で幸せだと囁く。

 これは本来ならば、王のみが享受できる権利。

 それを、臣下であるカラフが味わっている。

 そう思うと、言葉では言い表すことのできない強烈な喜悦が全身を痺れさせる。


 ――王よ。あなたの妻の心と身体は、わたしのものだ。


 脳裏に王の威容が浮かんだ。雄々しい顔立ちに、逞しい肉体を持つ、まさに武人といった風体の主君。厳格で思慮深い反面、下々(じもしも)にも気さくに声をかける。ゆえに、皆に慕われていた。

 そんな偉大な男の妻を、カラフは我が物としている。そんな男の妻に、カラフが女の悦びを教え込んでいる。

 カラフが愛を刻み付けた女を、今後あの王が抱くのかと思うと、愉快でたまらない。


 興奮が収まっていくと同時に、じわりと罪悪感が込み上げてきたが、すぐに吹き飛んだ。

 すべて、王が悪いのだ。女の心と身体を開く技量のなかった、王が悪い。


 ***


 それからというもの、二人はたびたび逢瀬を重ねた。毎晩とはいかなかったが、カラフは頻繁にエレインの寝所へ足を運んだ。


 侍女のマルゴが仲介役を果たしてくれたことも大きい。三回目以降、カラフはバルコニーから暗殺者のように侵入しなくて済んだ。

 

 しまいには、日中のちょっとした空き時間にさえ、カラフはエレインの元へ忍び込むようになった。


 一夜限りのはずだった二人の逢瀬は、とめどなく続く。

 いずれ終わりが来るのだから、深みに()まってはいけないと痛いほどわかっていたが、カラフは自身の気持ちを抑えることができなかった。

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