第4話 口づけ
カラフは王妃の琥珀色の瞳を真っ直ぐ見据えて、説き聞かせるように告げる。
「はっきり申し上げます、王妃様。わたくしはあなたに対して、これといって特別な感情を一切抱いておりません。王家に連なる御方として、職務上の忠義を抱いているばかりでございます」
「カラフ……」
王妃は悲痛げに眉を歪めたが、カラフから目を逸らさない。だからカラフも、より強い口調で続ける。
「そしてわたくしにとって、あなたに一夜の甘い夢を見せることは、至極容易なことでございます。
なぜなら、わたくしは男だからです。
若い男が、美しい女性に対して情欲を抱き、その欲に任せて関係を持つなんて、馬を乗りこなすよりもずっと簡単なことなのです。
むしろ、『今宵限りで構わない』などと、男にとっては願ってもないことでございます。『明星の騎士』などと呼ばれるわたくしも、そんな有象無象の男となんら変わりがありません。
それでもあなたは、わたくしにその美しい身を委ねたいとおっしゃるのですか?」
王妃はとうとうカラフから顔を背けた。ぐすりと洟をすすったあと、細い指先で目尻をぬぐい始める。
「……はっきりとおっしゃってくださったのは、あなたの優しさなのでしょうね」
――これで諦めてくれるだろうか。
安堵しつつも、心のどこかから『残念だ』と声がした。自ら語った通り、男なんて身勝手で厚顔な生き物だ。やんごとない身分の女性が、やすやすとその毒牙にかかっていいはずがない。
しかし、泣き止んだ王妃は再度カラフを正視し、毅然とした口ぶりで言う。
「上辺だけの甘い言葉を囁いて、うっとりと酔った私を好き放題もてあそぶことはできたはずです。にもかかわらず、あなたは理性的に私を諭そうとしてくださった」
カラフは悟った。このひとは、とっくに心を決めている。もはやなにを言っても無駄だったのだ、と。
むしろ、誠意をもって告げた先ほどの言葉は、王妃の熱い気持ちに油を注ぐ結果になってしまった。
「カラフ、私はあなたを愛しているのです。この気持ちは膨らむばかりで、決して萎むことはありません。だから、あなたの手で、穴を開けてやってください……」
「後悔なさいませんか?」
威圧するように鋭く見つめても、王妃は決して揺るがなかった。
「するはずがありません」
ならば、と覚悟を決め、カラフは王妃を抱き上げた。
薄い衣はしっとりと湿り、汗をたっぷりかいていることが伝わってくる。ふと気付けば、カラフの夜着も汗で重みを増していた。
窓を開ければ涼しい夜風が吹き込んでくるだろうが、それをするわけにはいかない。今宵のことは、羽虫の一匹にさえ見聞きさせるわけにはいかないのだ。
初夜を迎える花嫁に対するかのように、カラフは王妃をそっと寝台へ横たえる。軽く覆い被さると、王妃は眩しいものを見るかのように目を細めた。
「ああ、とても嬉しい、カラフ……」
と、感極まって涙をこぼす。頬を伝うその雫めがけて、カラフは優しく口づけを落とした。たったそれだけのことで、王妃はびくびくと身悶えする。
初心な王妃の反応は、カラフの胸をカッと熱くさせ、衝動のままくちびるを奪った。
長いくちづけのあと、名残惜しむようにくちびるを離すと、王妃は頬を朱に染め、とろりととろけた目をしながら、胸を大きく上下させていた。
「大丈夫ですか」
甘い声で囁きかけると、王妃はこくりと頷く。
「カラフ……。こんなに満たされたキスは、初めてよ……」
いじらしい台詞に、カラフは我知らず笑みを浮かべていた。
しかし、『こんなキスは初めて』ということは、王との房事では一体どんなキスをされているのだろう。カラフと同じ歳の王は、キス一つ満足にしてやれていないということだろうか……。
そう考えたとき、胸の奥から湧き上がってきたのは、主君に対する蔑みの念だった。
これはいけない、と慌てて思いを打ち消し、王妃へ告げる。
「お喜びいただき、まことに光栄。
ですが、恐ろしくなったら、いつでもおっしゃってください。決して無理強いはいたしません。
ただし、あなたがどこまでも続行を望むなら、わたくしはあらん限りの力を尽くして、あなたに至上の夢を見せるとお約束いたします」
「ああカラフ……私は決して、やめてとは言いません……。すべてをあなたに委ねます。どうか、二度とない夜を過ごさせて」
「では、不肖このカラフ、王妃様のため誠心誠意努める所存です」
恭しく口上を述べたあと、カラフは王妃の頬を両手で包み、そっとくちびるをついばんだ。
包み込むようなキスのあとは、宣言の通り、王妃へ至上の夢を見せる旅路が始まった。