彼らはいつまでも
大学入学を目指す高校生にとって、1番目の試練は共通テストである。2番目の試練としての2次試験には共通テストを突破したものしか挑めない。
ため息をかみ砕いて西山は受験会場に足を進めた。携帯は持ってきていないから、仲間たちがもうついているのかは分からない。緊張でなのか寒さなのか、手が震える。
試験会場になった大学は馬村と東雲の現時点での志望校。無機質な白と直線だけで構築された教室と、絶望感でいっぱいの人々の顔が見ていられなくて、西山は席に着いてすぐにノートを開いた。
共通テスト初年度だから、過去問なんてものはない。10年以上のセンター試験の過去問と、各予備校が出した予想問題を解いて間違った問題のポイントをまとめたノートは、西山にとって勇者の剣のようなものだった。表紙には、いつものメンバーの寄せ書きが書いてある。
「頑張ろうね」「自分を信じろ」「見直し」
ありきたりな言葉だけれど、そこに込められた思いを知っている。だってずっと一緒に勉強してきた。1・2年の時は部活でへとへとになった後に塾に行って10時まで勉強して、家に帰ったら課題をしていた。高総体がなくなってからはそれこそずっと。
それだけ頑張れたのは、横で馬鹿みたいにがむしゃらに勉強している奴らがいたからだと西山は思っていた。
『受験当日までは団体戦だが、ここからは個人で戦わなければいけない』
昨日のHRで先生が言っていた。
『だけど忘れるな、お前らはよく頑張ってた』
ここまでずっと頑張ってきた仲間がいる。
「よし」
西山はこぶしを作った。
***
小林は、母が準備してくれたカイロを手に持ち、物思いにふけっていた。
「大丈夫」
小さくつぶやく。大丈夫だと言い聞かせていないと感情があふれてしまいそうだった。
小林のこの時点での最高得点は782点。東京大学を目指すと言い切ることができなかった。三者面談、先生はずっと伸びしろについて話していた。現役生だからどうとかこうとか。学校としては合格者を出したいということはわかっていた。だから止められないだろうとも。
だけど。
「私?私は東大志望じゃないわ」
自分よりも成績のいい東雲はそういった。
「県外の大学に行くお金がないもの」
無念そうだった。塾にもいかず、家庭教師もつけず、通信教育も受けていない、ずっと公立だったのに、あの成績をたたき出し続けた東雲がそういったのだ。悔しいだろうと思った。
だけどそれより前に、小林はうらやましいと思ってしまった。自分も挑戦しないで済む言い訳が欲しいと思った。そう考えてすぐ、自分の性格の悪さにぞっとした。誰かに理由を求める自分は、なんてみじめなのだろうと思った。
(あーあ、逃げたいなぁ)
小林は思う。それでも。
「逃げない」
だって誇れる人間でいたかった。大好きな、一生の友達が誇ってくれる人間でいたい。
小林は誰よりも逃げずに自分の成績と向き合いつづけた馬村を思い出した。
そうして笑ってこぶしを作った。
***
修馬は息苦しい試験会場内の空気に耐えかねて、校舎の外まででていた。時間まであと30分もある。平常心でいられないのはごめんだった。
(まぁ、いつも通りなら大丈夫)
修馬は、おそらく仲間内で一番の天才肌だった。地頭のよさに加えて勉強にも全力投球の新藤金木東雲にはかなわないものの、かけた時間による点数の上昇幅で言うと、修馬はだれもが一目置くところだった。
幼稚園から受験しなければ入れないところに入れられ、県内一番の進学校に入学。親はどっちも医者。医学部か東大だと親にさんざん言われていた。姉は九大医学部に入学し、兄は東大理科一類に合格した。正直期待は重いけれど、そうでもしなきゃ勉強しない性質の人間だと自分でも思っていたし、さして勉強せずとも成績は良かったからそこまで負担でもなかった。
だから、最初に馬村と仲良くなったときは衝撃だった。
だって誰にも強制されずに、毎日毎日暇を見つけては勉強しているから。そのうえ成績は良くないのだ。はじめは何の冗談かと思った。
(すげーよな、まじで)
勉強せずに成績がいい自分を誇っていたけれど、その馬村の在り方こそ、修馬はかっこいいと思ったのだ。
ダメでもぐれずに愚直に真摯にやるべきことをこなし続ける。
眩しいと思った。そんな馬村に感化されて、みんなが頑張り出したのも見てた。修馬が戦う覚悟を決めたのは、彼らの存在あってこそ。
「さて、行くか」
修馬はこぶしを作った。
***
東雲が試験会場として割り当てられた教室に入ると、そこにはすでに馬村がいた。声はかけない。正念場だって知ってたから。
「お母さん」
東雲は母と幼い頃に作ったプラ板のキーホルダーをぎゅっと握った。
東雲の母は、専門学校を卒業していて、大学には行っていない。父だった人もそうだと聞いた。
母は、それをコンプレックスにしていたのだと東雲は知っていた。
東雲が小学生のとき、東雲の母は教育にうるさいママたちに馬鹿にされることもあったと言う。中学受験をする人も多かったし、小学校から塾や家庭教師、通信教育を受けている人は多かったから。小学生のテストで100点を取り続ける人は少なくない。東雲はもちろんそうだったけれど、だからと言って家の評価が変わることはなかった。
一変したのは、中学に入学した時だ。
『東雲一位なの!?』
中学受験をしないと言うことで馬鹿にしてきたママたちも、高卒だとみくびったママたちも、手のひら返して東雲の母に擦り寄った。
『どんな勉強をさせてるの?』
『教材は?高校はどこ目指してるの?』
東雲は、何が何でも一位になり続けるとそこで誓った。
母は、『みくびられていた方が楽でいいわ』と言っていた。事実そうなのだろうとわかっている。それでも、母が下に見られているのなんて許容できなかった。
高校でも、優秀な成績を更新し続けた。かつて母を馬鹿にした奴の子供が行った学校から、沢山の生徒が芦原高校に入学していた。その中で優秀であることは、東雲にとって大きな意味を持った。
ずっと、見下されないために勉強していた。
誰よりも高い成績を出し、
誰よりもお金をかけず、
誰よりも素晴らしい親を持っていると証明するために。
だから。
『馬村くん、本当に勉強頑張るね?』
『そう、かな……ああでも前はそうだった』
『え?』
『憧れに何か一分野でも追いつくために勉強をしてたから。今は違うけどね』
『どう言う意味?』
『今は、楽しいから、やってる』
だから、馬村が眩しかった。
親近感は抱いていた。前からずっと。がむしゃらに自分の全てを勉強に注ぐ姿に、覚えがあった。自分もそうだった。高校に入って、志望大学にはもう勉強しなくても入れそうだと気づいて、なんだか燃え尽きてしまっていた東雲には、馬村が眩しすぎた。
そこから始めて東雲は、自分のために勉強しようと決めたのだった。
2年生。勉強を楽しいと思えたのは。
3年生。新藤金木を抜いて一位に一度なれたのは。
きっと馬村のおかげだと思うから。
(がんばろうね)
東雲は馬村に向かってこぶしを作った。
「試験を開始してください」
受験生が、一斉に問題用紙を開いた。
***
共通テストの翌日は、学校に集まって全員で採点をするのが芦原高校の決まりだ。
学校が準備したマークシートに問題用紙に残しておいた自分の回答を記入するとともに、自己採点をする。共通テストが終わってから二次試験に出願するまでの間に共通テストの正式な点数を知ることはできない。自己採点の点数を信じて、受験生たちは進むしかないのだ。
意思を強く持つこと。
自分の点数を人に言わないこと。
先生が自己採点の前に言ったのはそれだけだった。新聞に共通テストの答えが乗っていることはわかっていたけれど、生徒の多くはは見ずに学校に行くことを選んだ。
それは先生が見てはならないと言ったことも理由の一つではあるが、全員でこの大一番を乗り越えたかったというのが一番の理由だ。
ペンがこすれる音が響く。
全員が全員、周りの人間が丸ばかり付けているように感じていた。
自分だけが、失敗したのだと思わずにはいられない。
難化したと信じたい。
点数調整はどうなるのかがはやく知りたい。
現状の自分の点数を受け入れたくない。
足きりにあう点数か。判定はどう出るのか。
思考はせわしないようで同じところを回転するだけだった。
風が入ることもためらうような教室内の重たい空気は、その日一日続いた。
だけど翌日には、多くの生徒が前を向いた。
(強くなったな)
先生はそんな生徒たちを見て彼らの過去を省みた。
(入学したての頃は、課題もちゃんと出せないようなやつばっかりだったのに)
そんな彼らが、勉強に全力を注ぐことをかっこいいとするようになったのは。
きっと。
「あれ?」
馬村は誰かに呼ばれた気がして振り向いた。
「誰かなんか言った?」
新藤たちは首を振る。
8人は休み時間に勉強するため空き教室を探しているところだった。
「今まで、ありがとう」
金木が言う。
「みんながいたから、こんなに頑張れたんだ」
新藤も続けた。
「3年間、楽しかった」
新藤は本当に嬉しくて思わず笑みこぼれた。
東雲が言う。
「永遠の別れみたいに何?」
西山が言う。
「これからもずっと、会うつもりなこっちが恥ずかしいなこれじゃ」
修馬が言う。
「卒業したら、同窓会、あとは誰かの結婚式とかで会うんかな」
佐久間が言う。
「どの二人のこと言ってる?自分たちのこと言ってる感じ?」
小林が言う。
「からかわないで。それに、そういう用がなくても集まるよ」
そして最後に馬村が言った。
「そうだね。絶対、約束だ」