表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の人生では
53/55

それから

 馬村はそれから、たくさんたくさん、家族と話した。誤解だってわかっても、今までのことを丸っとすべて受け入れて父と母と新藤の家族のように過ごすなんて馬村にはできなかった。馬村の父と母も、そんなこと望んでもいなかった。


 家族だから、善意だったから、ですべてが解決するように世界はできていない。


 それで解決することができなくらいには、馬村のトラウマは根深かったし、それでも邪険に馬村の両親を扱えないくらいには、馬村は大人だった。


「兄さん」


 だから、馬村はこれまでと変わらず、剣介の家で暮らしていた。その方が、双方にとって良いだろうという判断のもとで。


「勉強か?息抜きだ、これ食わないか?」


 コロナのせいで、必然的に家の中にこもらざるを得ないから、馬村は一人で勉強することが多くなった。たまに新藤が来て、一緒に勉強をすることもあったが、それでもめっきり友達と会う機会は減っていた。それを案じた剣介は、馬村が無理をしすぎないよう、ちょくちょくこうやって勉強する馬村のもとへ顔を見せてくれるのであった。


「ありがとう」

「ん」


 長崎物語の切れ端をあつめたそれは、馬村が大好きだったものだ。剣介は馬村について詳しい。その事実がくすぐったくて、馬村はどこかぎこちなくお礼を言う。


「勉強、無理しなくていいんだからな」


 剣介が言葉を選びながら言う。


「周りの人間がどういうやつらかって言うのを考えれば。自分が周りにどれだけの思いを抱かれているか考えれば」


 馬村が食べる手をとめて、剣介の顔を見る。


「鹿之助が俺に追いついているどころか、俺が憧れる人間だって、わかるだろ」


 本音で言っているのが馬村にはわかった。

 だから、自分も本音で返そうと決めた。


「……そうだね」


 周囲の人の目を、節穴と言い切れるほど愚かではない。


 自分を責めていた方が楽だったから、ずっと責めていたけれど。


 あんなに優しくて、面白くて、頭のいい周囲の人間が、自分のことを友人として弟として認めているという事実は馬村が一番よく知っている。


 そんな彼らの価値観を否定するような真似はできない。



(簡単なことだったんだ)



 馬村は憑き物が取れたように無邪気に笑った。



「だけど勉強はするよ。最初は、そうだったけど。今は、楽しいから」



 剣介はその言葉を聞くと、馬村の頭をクシャッと撫でた。



「そうか」



 その目に浮かべた涙を隠すように、それから剣介は足早に馬村の部屋を去った。


***

 

 6月になると、分散登校が許可された。

 芦原高校のカリキュラム上、2年生には3年間で学ぶ内容は終わっている。だから、他校と比べてさほど大きな問題は起きなかったけれど、それでも、一人で勉強すると中だるみがどうしても起きる。


 先生たちの苦渋の判断だった。


 それが8月になるとマスク着用の元通常通りの授業ができるようになり、9月も終わるころにはテストまでもが復活した。



「馬村君!!!」


 馬村の教室に全力で駆け込んできたのは東雲である。東雲の全力疾走なんて、なかなかお目にかかれないから、馬村は驚いて文字通り飛び上がった。


「ちょっと来て!」


 なんだなんだと教室の外に出ると、東雲は小さな長方形の紙を馬村に見せた。


「1位とったの!!」


 馬村は笑った。東雲が喜んでいるのがうれしかった。


「初めて、私……馬村君のおかげよ」


 東雲の言葉に馬村は首をかしげる。


「僕、何もしてないけど」

「そんなことない!!」


 東雲は、馬村の目をじっと見た。手に握った紙が、思いの強さからちぎれそうに震える。


「馬村君の勉強するところを見て、頑張れたの」


 それは、馬村にとって予想外の言葉。


「みんなそうだよ。私たち、馬村くんに、本当に感謝してる」


 予想外過ぎて、反応が遅れた。


「っは」


 馬村は破顔した。


「そっか、なら、よかった」


 うれしかった。





 その日の放課後、馬村は新藤と一緒に帰っていた。師匠のもとへ定期の報告に行くことが決まっていたから、自然な流れで一緒になった。


「疲れたねー、来週も模試でしょー」

「覚悟してた3年の夏がそのまま来たよね」


 沈みかけの太陽に輪郭を縁取られて、新藤の姿が眩しく見えた。


「馬村くんさ」


 校門からの坂道。

 下側で新藤が先を歩いていた。


「ん?」


 3年の夏になると、現実的な将来が目の前に迫る。

 この県のこの市の、この町で。

 みんなと永遠に生きていくことなんてできない。


「将来どうなりたいの?」


 馬村と初めて出会ったのは、グラウンドだった。

 勉強を教えてくれと叫ばれて、初めは変なやつだと思ったのを覚えている。


「僕は、この町で生きていたいな」


 馬村は言った。


「やっぱりこの町の人が好きだし。この町の未来のために働きたい」


 新藤は笑った。

 あまりに予想通りだったから。


「私はね、馬村くんみたいな人になりたい」


 だから言った。今、無性に言いたくなった。


「当たり前みたいに周りの人を気遣えて、目標に向かって地道に毎日頑張れる、大事なものをちゃんと大事にして、自分が辛くてもどん底でも思いやりを忘れない、そんな」

 

 前世とか、関係なく。

 書生だからでも鹿だからでもない。


 あなただから。 


「ヒーローになりたい」


 馬村だから、憧れたのだと。



 新藤の思いは馬村にきちんと伝わった。


 馬村は思う。


(自分の思いは絶対前世の影響じゃないって思ってたのに。新藤さんのそれがそうだときめつけてたなんて)


 そうして自身の愚かさに笑った。


(僕って本当に馬鹿だなぁ)


 新藤が震えながら、口を開こうともがく。顔はすでに真っ赤だった。









「新藤さん」


 馬村は笑った。もう完敗だった。かわいくて、好きすぎて、どうにかなってしまいそうだった。


「僕、新藤さんが好きだよ」


 新藤の口は開いたまま固まり、そのふさふさのまつ毛がパチパチと拍手をする。



 その様子を見て馬村はさらに笑った。反応をしない新藤に、じれったく思った馬村がその顔を覗き込む。


「伝わってる?」


 もちろん、新藤には嫌と言うほど伝わっていた。


「わ」


 馬村の肩に頭をぽすん、と投げかけて、新藤はつぶやく。


「私から、言いたかったのに……」


 上機嫌に馬村は笑って、新藤の手を取る。馬村のそれよりも小さくてすべすべしていて、やわらかい手。だけど、中指にできたペンだこだけが一緒だった。


「べ、勉強しないと!?いけないと思います」

「そうだね、はやく帰らなきゃだ」

「そうだよ、今日のノルマが終わってないよ!?」

「うん、ごめん。名残惜しくて」


 馬村はもう一年もしないうちに、新藤がこの街を出ていくことを知っている。一分一秒が惜しかった。


 新藤だって、わかっていた。だけど別に怖くはなかった。なぜだか、大丈夫だと思えた。それは大人に言わせれば無謀で無理な若人が故なのかもしれないけれど、根拠なんて一つもないけれど、それでも。


 もう自分たちは、大丈夫だと思った。


「梨花って呼んでもいいですか」 

「ふぁっ」


  驚いて声とは言えぬ声が出る。恥ずかしくて顔を隠そうにも、片手は馬村に奪われたまま。

 無理やり片手で覆うことを試みたものの、その手も馬村に取られてしまった。



 観念して、新藤は馬村の顔を見つめた。


「…………うん、鹿之助くん」


 そうして二人は、晴れて恋人となったのだった。


***


 とはいえ、恋に浮かれてばかりではいられない。

 目先に共通テストは迫っている。


 新藤たちは全員で一丸となって勉強をつづけた。




「だーっ馬村その解法使ったら時間かかりすぎるよ」

「佐久間くんの解法思いつかなかったぁ」


「え、これどういう図形ができるの?回転させられないんだけど」

「切り口考えろって断面を式で表せたらいける。図形はこう」


「あー覚えきれねぇ……湖水面積が変わるカンボジアの湖ってなんだっけ」

「トンレサップ湖」

「なんで覚えてんだよ……」



 そうやって、地道に少しずつ、毎日を繰り返し続けた1月。








 共通テストがやってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ