この世で一番怖がりな人はだ~れ?
放課後、金木が持ってきたおすすめ少女漫画を読みながら、馬村は金木たちが話し合いから帰ってくるのを待っていた。
「なるほどね」
顔が赤い。ほてっているのが自分でもわかる。
「……なんだかなぁ」
佐久間が何を伝えたいのかが分かった。自分で気づけと言いたかったらしい。最悪の気分だった。
明日に迫る運動会の準備はばっちり。小林との練習もうまくいった。全体でも何回か合わせたから、さほど心配はいらないだろうと思った。魔法使い役に任命された修馬のペアが、パレード全体を引き締めるアクセントになり、パレードの完成度はぐっと上がっている。
ただ。
窓から吹き込む風が真っ白のカーテンを揺らしては馬村に問いかける。
『認めちゃうの?』
しまいには、カーテンだけではなく、馬村の髪も、心も揺らした。
『金木くんも、新藤さんが好きなのに?』
馬村は大きなため息を吐いて、借りていた漫画を袋に詰めた。暗いことばかり考えても仕方がない。馬村はお礼に入れた手作りのお菓子を喜ぶ金木の顔を想像した。
「お待たせ!」
バタバタとカバンを持って新藤と金木が駆けてきたのは、ちょうど時計が17時を回ったころ。
「大丈夫。いこっか」
馬村は疲れているであろう二人のために準備していたアイスを渡した。
***
「「「おい、おい、おいおいおいおい!!」」」
「「「おーい、お前、頑張れやーーー!俺らが!傍でみててやるからああああああ」」」
「「「「俺らには!!夢がある!!夢かなう!いい風が吹く!!!」」」」
太鼓と大声が鼓膜を揺らす。芦原高校運動会が始まった。
秋と言うにはまだ暑すぎて、夏を終わらせたくない生徒の願いが、まるで天に届いたようだった。「えー、芦原高校は体育祭ではなく運動会という名前を持つ数少ない高校の一つであり――――」というお決まりの先生の挨拶が終わってすぐに100m走が始まって、そのあとには部活動対抗リレー、長縄と続く。
馬村と、馬村のことがなんだかんだ大好きな佐久間は去年と同様に長縄を選択。新藤と金木は一人が出られる競技数上限まで出ずっぱりで、応援団まで入っている。
「よーい」
陸上部が鳴らすピストルを合図に生徒たちが駆け出す。砂埃が舞い、白線が砂で少しずつ削れていく。修馬は今年は白線を引き直す係になっていた。
「忙しすぎるよぅやだよぅ」
「お疲れ様。冷やしたウィダーあるよ」
「馬村くん、まじであいしてるぜ」
「馬村君から離れろ修馬!そこは俺の場所だ」
「あんたのでもねーよ」
とにもかくにも全員が忙しい。殺人的な忙しさと、太陽光の眩しさに、全員が敗北しそうだった。
「馬村くん!見てた??」
カチューシャみたいに赤い鉢巻をつけた新藤が馬村のもとへ駆け寄る。風邪で休んだ子の代走として走り終えたばかりだった。
普通の体操服を着ているだけなのに、そのスタイルのせいか、どこか艶かしい。そのくせショートカットに鉢巻きをつけているからか、どこかあどけなさも残る。
可愛い、と馬村はまた思ってしまった。
「かわ……カワセミもびっくりってくらい速かった!」
軌道修正。強引にカーブを決めたつもりが、ガードレールを擦っていたらしく、佐久間に
「迂遠なほめ方だなおい」
と突っ込まれる。
「さすがに時速60キロはでないよー」
「梨花知らないことないの?」
そんな中、馬村がどこか新藤に対してぎこちないのに、新藤以外が気づいていた。
(ははーん?)
(東雲顔に出てる顔に出てる)
(これはあれかな!自分の気持ちを理解しつつもまだ完全に受け入れることはできないハニ恋11刊の翔平の心の葛藤を描いた名シーンの再現かな!!)
(あれは確かに名作だけども!)
(いやーでも梨花ちゃんの思いには気づいてなさそうだよねー)
(て言うか金木は?大丈夫なのか?)
金木は新藤と馬村の会話をじっと見ていた。棒倒しで泥だらけになった姿は、まるで歴戦の戦士のような哀愁を漂わせている。
(大丈夫じゃなさそうだぞあれ)
(なんか背景が西部劇だもん)
(棒倒し負けたのになんであんなスカしてんのあいつ)
(東雲、それは言っちゃダメだ!)
それぞれの思いを抱えて、運動会は進む。忙しいと時間の進みはあっという間だ。すぐにパレードの時間になった。
馬村たちの出番は最後。青、白、黄がそれぞれのパレードをするのをどこか緊張しながら見ていた。
青組は、海賊をモチーフにしたパレードをした。おもちゃの剣を腰に刺して、バニラズの『ヒンキーディンキーパーティー』という曲に合わせて踊って行進していた。風船に財宝の絵を貼り付けて行進する様子は、見応えがある。
白組は、マリオの世界の再現していた。キノピオ軍団に扮した白組2年生が、マリオとルイージを先頭に行進する様はなんだか微笑ましい。ピーチ姫の女装をした男子の野太い声に笑い声が上がった。
黄組は、大名行列をテーマにしていた。お揃いのTシャツに袴を合わせて、パーティーグッズのちょんまげ頭になる被り物をみんなで被っている。持ち物は金の扇子。なかなかにド派手で、見るものを魅了した。
「いよいよね」
東雲と西山が最後の声かけにと待機場所で立ち上がった。
「できるだけ声出して!笑顔で加点を狙いましょう!」
合図の笛を陸上部の男の子が鳴らした。演技の時間は15分。やれるだけのことをやろうと意気込んで、全員が笑顔で走り出した。
先頭で踊るのは、全員の意向を汲み、新藤と金木だ。
「美しい、お姫様」
男子全員が、パートナーの方を向いて足をつく。
「僕と、踊ってくださいませんか」
お腹の底から出すセリフでは絶対にないが、仕方がない。不格好でも、キャラじゃなくても、彼らはその瞬間、グラウンドで一番かっこよかった。こんな等身大の王子様も、たまにはいい。
「はい、喜んで!!」
お姫様たちが、王子様たちの手を取った。
***
「お疲れさん、どったの改まって」
運動会の午前の部が終わった後に会おうと、金木は新藤を呼び出していた。
パレードが終わってから、気取って金木は声をかけた。
『お姫様、12時の時計が回る前に、2体前で会えますか?』
気取らないと、平静を保てなかったのだ。
午後一番に控える応援団に参加する新藤と金木は、去年同様、団のTシャツに袴を合わせて、襷をかけている。
眩しいくらいにかっこよくて、思わず金木は新藤に見惚れた。
「ふられようと思って」
唇の両端をほんの少し持ち上げる。新藤が固まった。
これだけは、目を見て言うと決めていた。
普段は恥ずかしくて目を逸らすことも度々あったけれど、これだけは。
「好きだよ、新藤」
新藤の目が驚きで見開かれる。喜びと、罪悪感。驚きと、未来への恐怖。
自分の言動で新藤が動揺したことが嬉しくて、少し笑う。心は晴れやかだった。
後戻りはできない。したくない。この初恋を終わらせると、運動会が始まる前に決めていた。
3年生になれば、受験が本格的に始まる。大学生になれば、学力を鑑みて、馬村と新藤はバラバラになると思った。
(今しかない)
彼の痛みや悲しみの理由はわからない。だけど、優しいあの人が誰かを傷つけることを恐れていることはすぐにわかった。
彼は周りの人のステータスを気にしない。
頭がいいから
顔がいいから
背が高いから
声が大きいから
スポーツ万能だから
そんな理由で人に近づかない。評価をしない。
それなのに、自分がステータスで見下されることだけは、当然だと思ってる。
初めて気付いた時、どうしてだろうと思った。
どうしてそんなに自己評価が低いんだろうと。
佐久間が中学の同級生に絡まれている時、馬村は言った。
『僕が間に入ると佐久間くんが恥をかくかも。ステータスで評価する人にその馬鹿らしさを伝えることはできるっちゃできるけど、金木くんが行った方が、スムーズに解決すると思うんだ』
愕然とした。
そして思い出した。
初め、自分も馬村と新藤は釣り合わないと思ったこと。
そうして気づいた。
彼は、 否定される苦しさを誰より知っているから、誰もステータスで評価しないのだ。
新藤が自分を好きになるはずがないと、馬村が誰よりも思っている。
(そして多分。馬村くんは誰かを傷つけるのを極端に恐れてる)
何かトラウマがあるのだろうと思った。聞かなかったけど知っていた。聞けなかったけど分かっていた。
それは、自分が介入したら何もかもうまくいかないのではないかと思っているあの態度。話し合いの時に自分の意見と相手の意見が噛み合わないと必ず折れるし、誰かが苦しんでいたら必ず手を差し伸べるのに、最後には必ず、自力で立ち上がらせるか、誰かに手柄をぶん投げる。
そんな馬村と新藤を幸せにするためには、
「ごめん、私、好きな人がいる」
金木は、ここらでフラれておく必要があった。
馬村はきっと、自分のせいだと思うだろう。
だけど遅かれ早かれ、きっと気づく。
自分が新藤を好きだから金木が振られたのではなく、
新藤が馬村を好きだから、金木の思いは届かなかったのだと。
だから、できるだけ早く振られておきたかった。それでもパレードが終わるまで言い出せなかったのは、楽しい思い出が、欲しかったからだ。
(大丈夫)
思っていたよりもショックはない。むしろ肩の荷が降りたような気分だった。
(当然か。俺は、馬村くんのことを好きな新藤が好きなのだから)
初めからこの恋は叶わないとわかっていたのだ。わかっていたけれど、ちょっとは足掻いてみたかった。川端康成の『掌の小説』という小説集の一節、『別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます』という言葉を金木は思い出す。
たくさんの楽しい思い出を、馬村と新藤と共有した。これから先、大学生になって遠く離れたとして、大人になって別々の生き方をしたとして、この思い出を共有している限り、普段は忘れていてもふとした拍子に自分のことを思い出してくれるという確信がある。
(たまに俺のことを思い出してくれたら、それだけで)
それだけで、十分なのだった。
「わかってるよ」
金木は新藤に手を振り、「じゃあ俺、ちょっとジュース買ってくる」といってその場を離れた。
お気に入りの、馬村と会ってようやく飲めるようになった紙パックのいちごジュースが売ってある自販機まで歩く。
「わかってたけど、落ち込むな、流石に」
金木はやけになってボタンを連打して買いすぎたパックのいちごジュースをごくごく飲んだ。
***
それからしばらく、購買の前のプラスチックの椅子に腰掛けていた。人通りはあまりない。購買はしまっているから、自販機にジュースを買いにくるもの以外は、ここに来るものはいないから、当然だった。
「あれ、金木くん?」
「馬村くん」
来るとは思っていた。疲れているであろうみんなを癒すために、ジュースを買うくらいはする男だ。初めて仲良くなったあの日から、馬村は金木にジュースを奢るときは必ず紙パックのイチゴジュースをくれた。紙パックのいちごジュースは、この運動場から遠い自販機にしか売っていない。
だから、むしろ待っていたとも言える。
「サプライズだったのにバレちゃった」
自販機にお金を入れる馬村を見ながら、金木は言わなければならないと思った。馬村のことも新藤のことも大好きで大切だから、彼らに幸せになってほしい自分のために、金木にはできることがあった。
「あのさ、」
「んー?」
自動販売機を物色しながら馬村は返事をした。
「俺は新藤が好きなんだ」
突然の言葉に動揺して、馬村は押すつもりじゃなかったエナジードリンクを押してしまう。
「うん」
馬村は振り返らずに返事をした。動揺が顔に出ている気がした。そのこと自体は馬村は去年の文化祭から知っている。けれど本人の口から直接聞いて、胸が苦しくなった。自分が新藤のことを好きになったと知って、大事な彼が傷つくのが怖かった。書生だった前世と同じように、誰かを傷つけるのが怖くてたまらなかった。
あのときも自分は、剣士のことが好きだったのだから。
また大事な人を――金木を傷つけるくらいなら、二人が付き合うとしても構わないと思った。
金木と新藤が幸せそうにしているのを祝福することはできると信じたかった。
「だけど振られた」
馬村は驚いて思わず振り向く。自販機からエナジードリンクがコロンと落ちた。
馬村から見て、新藤と金木はこれ以上ないほどお似合いで、素敵で、きっと断ることはないだろうと思っていた。昔好きな人がいると言っていたのも知っていた。だから金木に違いないと、思い込もうとした。思い込みたかった。
だって新藤の交友関係はほとんど知っている。校外の人間ではないことは確か。だからその「好きな人」が、もし金木じゃないとしたら。
(僕……?)
そんなの、自分以外ありえないのだから。
「なん、で……」
思わず言葉がこぼれる。
心当たりはある。前世。書生と白。生まれる前から勝手に決まった運命として、新藤は馬村が好きになったのだと。新藤は前世に引っ張られているのではないかと、馬村は思う。思ってしまう。
だって金木は完璧だ。
初めて会ったとき、話に聞いた兄のような人だと思ったほど。
馬村は自分のことをよく知っている。
頭も運動神経も顔も背も、そして何より性格が終わってる。何一つ優れていないのだ。すべての分野で惨敗だ。始まる前から終わってるような人間を、好きになるような人間はいない。いたとしたら、呪いか何かだ。
現に告白されたことなんて一度もない。言い寄られたことだって。友達としては許容できても、恋人としては許容できないだろうと、自分を客観視して思う。
「俺じゃダメなんだってさ。好きな人がいるんだって」
金木が言う。
「その人なら俺も納得だ」
呆然と立ち尽くす馬村の背を軽くたたいて金木は去っていく。
「応援団にそろそろ行かなきゃ。昼過ぎ一番なんだわ」
馬村の背中が熱くなった。
(どうして)
傷ついていないはずがないと思った。傷ついていないはずがないのに、
(どうして晴れやかなんだろう)
吹っ切れたように笑う金木の強さが眩しかった。
(僕のせいで、振られたようなものなのに)
金木の予想通り、馬村は自分を責めた。
(どうして僕に、変わらず接してくれるんだろう)
それからは、ぐるぐると同じことを考えていた。馬村に文化祭の記憶はない。ただ茫然と、勉強をしているうちに、10月が来た。
馬村はただただ、自己嫌悪でいっぱいだった。




