この世で一番自信がない人はだ〜れ?
結局、新藤は金木と、東雲は高校デビューの佐久間と、西山は同じクラスの女子と、修馬は同じクラスの女子と、馬村と小林がそれぞれペアになった。
「よろしくね、小林さん」
「うん、頑張ろうね」
返事はしたものの、小林は不安だった。
新藤・金木・東雲・西山はそれぞれ文化祭と運動会において大きな役割を担っている。パレードのダンスの練習に参加するときはいない可能性が高い。小林もTシャツを注文するという役割を負ってはいるものの、文化部だし、ほとんど練習には参加できる。
普段、クラスの人とはそれなりに話すが、あくまでそれなり。一人は嫌だった。
「動画見て練習できるようにするけど、それだけじゃ掴めない人もいると思うので、やります。ペアごとに広がって」
馬村の横に立つ。小林は新藤には悪いけれど、馬村がペアで本当に良かったと思っていた。
知らない男子と気さくに話せるような性格はしていないし、運動神経も良くないから足を引っ張るのは嫌だ。だけど金木や西山が相手だと別の面倒が待っているし、修馬が相手だと男子に人気すぎて一人になる可能性が高い。
だから馬村が相手で良かったと思っていた。
だけど、
「馬村くん、ダンス下手すぎでしょ、大丈夫?」
「馬村、そこはこうだってば」
「まじ楽しみだよな、パレード」
「てか、ずっとこの感じでいいわ授業いらん……って言ったら馬村困るか。お前頑張ってるもんな」
「馬村、この前ノート見してくれたお礼、やるわ」
馬村と二人ペアになってダンスの練習をしていたら、入れ替わり立ち替わり、いろんな人に話しかけられる。
(え、いやちょっと待って。同族じゃないの!?)
小林は馬村に対して多大な親近感を持っていた。なんとなく、新藤、金木のような選ばれた人間でもなければ、修馬のような根が明るくて空気を作る人間でもなく、東雲、西山みたいに冷静で立ち回りが上手いタイプでもない、人付き合いをさほど得意ではないタイプだと。
小林の場合、新藤と東雲とは出席番号が近くて、偶然話しかけてくれたのがそのまま続いたから、運良く一緒に行動できていると自分では思っていた。
きっと、馬村もおんなじだって。
だけどこれはなんだ。
「馬村くんじゃん、ペアの子?」
「うん、小林由美さん」
「わー迷惑かけんなよー」
「大丈夫。小林さん優しいから」
「かける前提かよ」
馬村に話しかけるのは男女を問わない。普段はいつものメンバーで一緒にいるところしか見たことなかったから知らなかった。
(これは)
小林は馬村を凝視しながら思う。
(梨花知ってるのかな)
馬村は今も、小林が一人にならないように話には補足をしつつ、小林に話を振っていた。ちょっと一緒にいるだけで、最初一人になるのを恐れていたのが嘘みたいに、いろんな人と小林は話していた。
言うなれば馬村はクラスのマスコットキャラクターみたいなもんだろう。それでも、新藤は知ったら嫉妬するに違いない。馬村はただでさえ他人との距離が近いのだ。
(やっぱり馬村くんとペアで良かった)
改めて小林は思った。
そのころ、新藤金木ペアはと言うと、
「まずここで、男子が片膝立てて座って手を差し出します」
隣の教室でダンス指南役の東雲によって、みんなの見本として前で演技をさせられていた。
(くそ、東雲!!!!)
金木は言われた通り新藤の方を向いて片足を当てて手を差し出す。
「この時、ちゃんとペアの女子の顔見てねー」
恥ずかしさから顔を下げていた金木は、仕方なしに顔を上げた。
――――ドクン。
目が合った。まだ注文しているTシャツが届いていないから、衣装は体操服だけど、そんなもので新藤の美しさは隠せない。すでに買ってあるティアラをつけた新藤が眩しくて目を細める。
「男子はここで、僕と踊ってくださいませんか、って叫んでください」
外野がざわめく。当然だ。多感な時期の学生にそんなこと言わせんじゃねぇ。
「はい言って、金木」
「いや今そ」
「言って」
逆らえない圧。本当に自分が新藤のペアでよかったと心から思う。自分と馬村以外の人間が新藤にこんなことを言うなんて到底許容できないと金木は思った。
「僕と、踊ってくださいませんか」
とんだ公開処刑。指笛を鳴らす奴もいれば、叫ぶやつもいる。そっち側の人間になりたい金木は恥ずかしさから顔を覆った。
「みんな騒いでるけどあなたたちもやるのよ」
しかし現実は無情。
「女子はここで男子の手に手をのせて、二人立ち上がってここからダンスね。やってみて」
新藤は金木が差し出す手に自分の手をそっと乗せた。さすがの新藤も顔を赤くする。金木は、そんな様子にも気付かないほど動揺していた。
(細い小さいかわいいあったかいかわいいかわいいかわいい小さい細いかわいいああああああああああああ)
思わずきゅっと手をつかむ。新藤の肩がびくりとはねた。冷房は入れてあるとは言え、人数の多さもあり蒸し暑い。汗で少し手が湿る。
「んで、ここからダンスね。動画送ってある通りよ。やってみましょ」
金木の苦悩はそれから1時間以上に及んだ。
***
文化祭や運動会が直前に迫った月曜日、小林が発注したTシャツが届いた。デザインは去年と同じように小林が考えた。ふわふわのスカートにも、形のいい黒のパンツにも合うように、白地のTシャツ。前面にはシンプルに「#ステキでムテキ」と茶色で書いてある。背面には、お姫様と王子様のシルエットだ。
「わーーーかわいいいいい」
その場で着用する人も多くいた。早く着用したい人も多いのだろう、気づけば列ができている。
「あれ」
全員に配り終える前に、MサイズとLサイズがなくなった。友達の分も受け取った人がいないか確認するが、誰も受け取っていないらしい。
動画編集のために持ち込んでいたパソコンを開き、メールを確認する。
小林は、真っ青になって固まった。
「ごめんなさい、発注ミス、だ」
何度も確認したつもりだった。どこで間違えたのかわからない。「やっぱり注文する」と言って名乗り上げた人の分が足されていなかったらしい。
「まぁ起きたことはしゃーないわ。どうするか考えましょ」
「足りないの2枚でしょ」
「ある人は、今まで通りTシャツ来て、その下にスカートとズボンで統一だろ?」
「2枚だから1ペアだけ衣装を変えることになるな」
「例年先輩たちがそうしてるからって理由でそう決めただけでべつに衣装の指定はないよね?いっそ全然違う衣装を着てあえてです、ってしないとかな」
一気にみんなが打開策を考え出す。誰も小林を責めなかった。
(どうしよう)
怒られてないし、悪いのは自分で、今ここで涙を流すのはよくないとわかっている。
泣いて責任を逃れたがっているように見えるなんて百も承知。だけど。
(泣き、そうだ)
泣くな、と頭でどれだけ自分に叫んでも、体から勝手に涙が出そうだった。なんなら、ちょっとは出てた。今声を出したら、必ず涙声になるとわかった。
その時だった。
「ごめん、みんな」
馬村がそこで声を上げた。
「さっきまでド下手なダンスに何時間も僕が付き合わせて小林さんがフラフラだから、保健室連れてくわ」
私が行こうか、という他の女の子の言葉に、「いや僕のせいだし」と断って、小林の体を隠して馬村は教室を出た。空き教室になっていた地学室に小林を入れて、馬村は言った。
「ごめん、ちょっと待ってて」
そう言って、すぐにその部屋を出た。
誰もいなくなると、小林の涙の堤防は決壊し、顎を伝ってポツリと床にシミを作った。自分で自分が嫌になる。
小学生の時も、中学生の時もそうだった。一定以上感情が高ぶると勝手に涙が出てくる。すぐ泣く女がうざいことなんて自分が一番わかってる。すぐ泣く女が否定され、最終的には主人公にやられる本をたくさん見た。
自分のせいではないことで責められてもなんとも思わない。涙は出ない。ただ、誰かに迷惑をかけたと思うと、涙が止まらなくなった。
(きっと、自分は見限られるのが怖いんだ)
自分のせいで誰かに迷惑をかけて、それで自分が見限られるのが。だから泣くのも怖い。
(気色悪いなー私)
自嘲して涙とともに笑う。
――コンコンコンコン
「僕」
馬村の声だった。律儀なノックに唖然としていると、馬村は、ハンカチで包んだつぶつぶマスカットジュースを差し出す。
「これ。目に当てて。いらんかったら飲んで。よく飲んでるよね?」
首を縦に振る。大好きだった。
(知ってるんだ)
小林は目にジュースを当てた。馬村のハンカチからは柔軟剤の優しい香りがした。
「あと、大丈夫そうだよ。去年の3年の先輩がパラレルで着た衣装を貸してくれるってさ。10人でお姫様と王子様に魔法をかける魔法使いやることになった」
そこまで言って、馬村は外に出ようかと扉に手をかけた。
だがそのまま部屋を出ることなく振り向く。
「ああ、そうだ。言わないとだね。それを思いついて、声掛けに動いたのは」
小林は目に当てたジュースをずらして馬村の顔を伺う。
「修馬だよ」
そういって、馬村は扉を閉める。ガラガラと言う音が広い室内に空虚に響いた。
「あーあ」
小林は、完全にしまった扉に向かって独り言ちる。
「それも知ってたのか」
小林は、金木の気持ちがわかってため息を吐いた。自分まで馬村のファンになるなんてやってられないと感じた。
「人たらしめ」
涙は止まりつつある。それでも目が腫れているのを見られたくはないから、まだジュースを当てて座っておくことにした。
(だけど不思議だな)
新藤が馬村に向ける思いは並々たるものではない。見ていて自分が照れるくらいだ。
(自分に向けられる好意にはきづかないなんて。まるで、自分は愛されちゃいけないって思ってるみたい)
そうやって小林が考えている間、馬村は入り口に背中をもたれさせて、自分の分として買っていた紙パックのカフェオレにストローを差した。
こういう時にそばにいるべきではないと思ったけれど、誰かが偶然地学室に入ろうとしたら止めなければならないから、そのまま立っていることにしたのだ。
(あれ)
そこで馬村ははたと思った。
(僕、そう言えば新藤さんがバレー部と何かあったとき)
同じ状況なのに、どうして。
(新藤さんは触れてほしくないだろうってわかってたのに、僕――――)
どうして新藤には、頼ってほしいと我儘を抱いたのだろう。あの時、わからないから放っておいたことが無償に気になる。なぜだか、考えるのを止めてはいけない気がした。
***
「――――――――――――――って言うことに気づいてさ、どう思う?」
「なんで俺?あいつらにいえばいいのに」
馬村が話しかけたのは佐久間である。高校デビューのコンプレックスから彼がアクイを出現して以来、馬村はなんとなく一緒に時間を過ごすことも多かった。
「いや、金木くんたちに言うわけにはいかないよ、気まずくなったら困るしさ」
「俺が言うかもしれないとは思わないわけ」
「佐久間君はそんなことしないよ!」
「曇りない目ってうぜー」
文化祭で馬村たちがする射的の準備に下校時間ギリギリまで駆り出されていた馬村と佐久間は、実行委員の「早く帰れ」という拡声器で拡散された声を聞きながら足早に校門を出た。
「つーかそれは普通に考え」
「馬村くん?」
話を遮って馬村の肩に手を置いたのは金木だった。
「……と、佐久間くんだよね。ごめんね、お邪魔して」
「いや、別に大丈夫。俺のこと知ってたんだ?」
「うん、馬村くんから聞いてる」
「おぉそれはそれは、光栄です」
佐久間はキラキラ笑顔を作った。
(てか……は?)
佐久間は「変なこと言ってないよな」と馬村に聞くも、心は上の空のままだった。
(え、そことここが仲いいの何)
金木は、新藤と馬村さえ関わらなければ完璧超人の、みんなからの人気者である。馬村は休み時間もずっと勉強している人間だ。先生が授業中に馬村に当てるたびに突拍子もないことをいうからクラスのマスコットキャラのような存在になりつつあるが、それでも。
(なに?コイツ変な目にあわされてねーよな)
とても友人になりそうには見えなかった。
「マブダチだって言っただけ」
「死語だしなった覚えもねーよ」
「うらやましくて覚えてたんだ」
「金木くん言語機能バグってないか?」
だが目の前の二人は友人……否、教祖と信者に見える。なんだか信じられない。佐久間はなんだか面白くなかった。
面白くないのは金木も同じである。自分が馬村の第一友人を誇っていたのに、当たり前のように隣にいる佐久間が気に食わなくて仕方がなかった。
「まぁ俺もマブダチだけどね、馬村くん家でのパーティー呼ばれたし(訳:誰だお前でしゃばるな)」
「ああ、あの馬村が相談してきたやつな。うまくいったんだ。よかったな(訳:俺は馬村に頼りにされてるが?)」
「なに、馬村君わざわざそこまでしてくれたんだ(訳:大好き)」
「?うん。喜ばせたかったしね。佐久間くん、親身になってくれるから」
「お礼に手作りケーキくれたよな、うまかった(訳:ハイおれの勝ち~)」
売り言葉に買い言葉で余計なことまで言ってしまったと気づき、馬村を見る。
「佐久間くんが素直……だと……」
「うるせぇ黙れ」
「は……て、作り……?」
予想通り馬村は狼狽していた。その倍くらい金木は狼狽していたが。
(うああああああああだからこいつといるのは嫌なんだマジで!!!)
校門から長く続く坂を下り、分かれ道に立つ。佐久間と金木の思考がまとまらないまま、馬村の提案でせっかく集まったのだし、と自然な流れで近くのショッピングモールのフードコートに行くことになった。
「いや初めましてってわかってる?距離の詰め方がバショウカジキばりだって」
「いや馬村君の友達なら仲良くなりたいし」
「なんなのネアカ怖いんですけど!」
芦原高校から一番近い路面電車の駅との間にあるショッピングモールは芦原高生御用達で、テスト前以外の平日に行けば芦原高校生が大量に発生している。しかし、県内でも大きい方のショッピングモールであるだけに、ほかの高校の生徒がいることも多かった。
(ま。大丈夫、か?)
席をとる人と、水を注ぐ人、注文して商品を取りに行く人に分かれる。それぞれ佐久間、金木、馬村に割り当て、いったんバラバラになる。馬村たちはたこ焼きを食すことにした。
「この辺かな」
「ああいいんじゃない?」
水が注がれた小さな紙コップを3つ片手で持って金木が言う。
「じゃあ俺馬村君手伝ってくるわ」
金木と話すことなんて正直佐久間にはない。高校デビューを機に努力をしているとはいえ、初対面の人と長時間はまだキツイ。助かったと喜んで送り出した。
が、すぐに後悔することになる。
「佐久間じゃん、何してんの?」
中学の同級生たちだった。どういう感情でかは知らないが、ニヤニヤと口元を上げている。昔から、その顔が苦手だった。
「あー、友達を、待ってるんだ」
目を合わせることがどうしてもできない。苦手意識は簡単になくならない。
「友達?できたの?」
言外に、『お前なんかに?』という言葉が見える。こんな公の場でなにもされるわけがないと分かってはいても、身がすくんだ。
顔が整っている奴や、運動神経が良い奴、声が大きい奴が中学では最強だった。荒れている中学だったから、がり勉と呼ばれていた佐久間は、よく宿題を代わりにさせられていた。
『人間としてお前は俺らより下』だって態度と言葉で表されていたっけ。
(だるいな)
彼らは佐久間の前に座ろうと椅子に手をかけ――――
――――バシッ
トレーが音を立てて机に置かれた。
「金木…くん?」
金木だけがそこに立っていた。馬村がいない。
「あれ、そいつら佐久間の友達?」
改めて、顔の良い男だと佐久間は思った。タッパもあれば、性格もいい、運動神経も良いうえに成績だって新藤に次ぐ2位。芦原高校で2位だなんて、県内2位と同義だ。彼らがこだわっているカーストでいえば最上位だと誰もが評価するのが金木だった。
そんな、規格外の男の前に中学の同級生たちがたじろぐ。
「いや、中学の同級生」
「あーね。悪い、俺座っていい?」
彼らはごちゃごちゃと何かつぶやいて風のように去っていった。敵わないと悟ったのだろう。そりゃそうだ。佐久間だってあちらの立場ならすぐに去る。
「行ったか」
金木は椅子を引きながらなんてことないように言った。
「ありがとう、助かった」
「馬村くんが行けって言ったからな」
タイミングよく、馬村が席に手をかけた。どうやら遠くから見ていたらしい。思わず凝視する。馬村はあきれたように言ってのけた。
「僕じゃ意味ないでしょ。同じ土俵でぶちのめせるカードがあるなら切るよね普通」
「は」
「ヒエラルキーだの陽だの陰だの言ってるやつらになんか言ったら長くなるし温かいうちにポテト食べたいし」
馬村は手をふいてポテトを一本口に運んだ。
「お前なぁ」
もう我慢できない。面白すぎる。
「図太すぎだろ!?」
佐久間は声を上げて笑ってしまった。
(外からどう見えてるか理解したうえで気にしてないのか、こいつ)
そんな佐久間をほおっておいて馬村は、ヤンヤンツケボーの魅力について真面目に金木に説いている。
(気にしてるのは俺か)
「カーストがどうだとか誰もなんも言ってねーのに他人の言動玩味して評価して気にしてるのは俺でそれは俺が自分軸の評価基準持ってないからで――――――――」
「どうしたのぶつぶつ言って。勉強中の僕かって」
「自爆攻撃になってねーかそれ」
まとめて10本ポテトを口に突っ込む。馬村は横で不平をこぼしたが、気分が良かったので佐久間は言った。
「そうだ、続きだけどな、馬村」
馬村は何のことだと首をかしげる。
「だいたいの悩みは少女漫画読めば解決するぞ」
「え、佐久間君も少女漫画好きなの?」
「金木くんその感じで少女漫画もたしなむの?」
少女漫画談義は非常に盛り上がったという。