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この世で一番愚かな人はだ〜れ?

 鏡の中に足を踏み入れてから、目を覚ますと馬村は森の中にいた。足の裏が痛い。水の音がした。水源が近いようだ。湿気った土と、腐敗臭。


 さく、さく、さく。

 とす、とす、とす。


  師匠に貰ったスタンスミスに泥が跳ね返る。毎月洗ってはいるものの、もう3年以上も履いているから靴はくたくたになっていた。ちょうど良かったのかもしれない。履き馴染みが良くて、長いこと手放せずにいた。そばにあるのが自然だった。とても手放せなかった。師匠にもらった靴も――師匠への気持ちも。


 馬村は師匠と話しているといつも、1cm手を伸ばせば届くはずの師匠が、何百光年も先にいるような気分になる。

 

 師匠に恋をしたって、太陽に焦がれて羽をなくしたイカロスのように、自分の心が打ち砕かれるだけだとわかっていた。


 あまりに釣り合いが取れていないから。


 それは、顔の美しさや、能力値の高さの話ではない。そうであったらまだよかった。


 覚悟の話だ。


 馬村には、他人を傷つけてでも欲しいものを手に入れようとする勇気がなかった。人を傷つけないことが、人生における一番のテーマだったのだ。


 馬村は草花が顔に当たるのも構わず、掻き分けながら前へと進んだ。この先に何かがあるとわかった。なぜだか、進まなければいけないと思った。


 さく、さく、さく。

 とす、とす、とす。


 邪魔な草を乱暴に押し倒すと、急に開けた場所に出た。そして後悔した。


「好きです」


 縄で足と手を括られた白が、その赤い唇を震わせていた。その前には、一匹の鹿がいた。その鹿が一歩踏み出せば、その足元には花が咲き、その鹿が一度立ち止まれば、生き物たちが敬服する。森の王たる鹿がそこにいた。


「大好き」


 馬村の胸がどくんと音を立てた。どこかで猫の、泣き声がした。


 


 景色が変わった。



 そこは戦場だった。遠くで誰かが叫んでいるのがわかる。確認しようにも、砂埃が酷くてとても見えない。砂が体に当たってヒリヒリと痛む。それでも進んだ。意思は恐れていた。足はひとりでに前に進んだ。

 

 照り返しがきつい。身体中が熱い。体が水を欲していた。金属がぶつかる、耳障りの悪い音がして、馬村は人の存在に気づいた。


 砂嵐がおさまったのはその時だ。どうやら、あの砂嵐は馬が駆けることで起こっていたらしい。万の大群が馬村の方へ駆けてくる。その中心には、存在そのものが発光しているかのように見える武将がいた。たくさんの人間がいるのに、その人だけが特別に見えた。


 人が死ぬところを初めて間近で見た。傷口から見える肉片が、剣にこびりついて黒く変色した血が、頭から離れなかった。恐怖もあった。だけど、彼らは馬村に対して特に何もしてこなかった。見えていないのかもしれない。


 バタバタと人が倒れる中、白はそのまま槍を振い続けていた。小さな体躯のどこにその力があるのかはわからない。その強さは群を抜いていた。それでも、個の力には限界があった。


 白は敵将の前に落ちた。敵将はその兜を無理やり剥いだ。やめろ、と馬村は叫んだ。声は届かない。


「好きだ」


 敵将はそう言って、兜を脱いだ。白はその目を見開いた。馬村は顔を覆う。


「愛してる」


 馬村の胸がどくんと鳴った。どこかで猫がみぃ、と泣いた。





 景色が変わる。


 どこか見覚えがある商店街に馬村は立っていた。その時には、馬村は自覚していた。これは自分の過去だと。

 

 天領として栄えたこの町なら、と親に半ば追い出されるようにこの町に来たこと。

 書生として名家の家に向かうこと。


 そして――


(進むな)


 馬村は願った。


(それ以上はだめだ。また――)



 棟目から美しい少女と美丈夫が歩いてくる。赤を基調とした着物に金色の装飾が施された美しい着物に身を包んだ少女と、黒い剣を腰に添えた大男。


 少女は兄を見るようにその男を見ていた。男は恋人を見るように少女を見ていた。男は包み紙を手に取り、そこからだした金平糖を彼女の口に運ぶ。足元では一匹の猫がにゃーと鳴いていた。


 幸せそうに二人は商店街を歩く。その二人の前に、一人の男が立ち止まった。その男は長い間大事に着ていたことが見て取れる着物を身に着けている。ところどころほつれた糸が見えた。


 本来ならば比べるべくもないほどの。

 世の女性がどちらを好むかなんて聞かなくてもわかる。それでも、


「好きです」 


 今世も、彼は少女に出会った瞬間、そう告げた。馬村の制止の声は届かない。


「愛してる」


 馬村の胸がどくんと鳴った。






 場面が変わった。


 目の前には、恋焦がれる師匠と兄。そして、幼少期の自分の姿があった。ただ、決定的に違うのは、師匠の髪は黒いのに、その瞳が、赤かったことだ。そうして剣士の足に猫がいない。


 馬村は、すぐにわかった。


 自分がなぜ、師匠を愛したのか。毎度毎度、性懲りも無く白に恋焦がれる自分が、どうして師匠に惚れたのか。


 答えは簡単。


 師匠も、白の乙女の生まれ変わりなのだと、馬村は本能でわかってしまった。




 新藤と師匠は、白の乙女と猫の魂を半分に分け合い、やっとのことで転生したと。自分と乙女と神の幸せだけを願って、猫がその身を犠牲にしたのだと。


 だから自分は―――――


「おねーちゃん」


 どくん。


「僕、おねーちゃんが好き」


 馬村の胸がドクンとなる。


「大好き」


 どくん。どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、



どくん。


「ごめんな」


 どくん。


「あたしは剣介が好きなんだ」


 馬村の瞳から涙があふれた。幼少期の馬村が、目の前で現実を受け止められず呆然と立ち尽くしている。


(そっか)


 馬村は思い出した。


(大丈夫なんだ)


 悲しさから出た涙ではない。馬村は、師匠に振られてうれしかったのだ。


(僕は兄さんを――黒の剣士(かつてのとも)を、もう、傷つけないで済むんだ)


 涙がとめどなくあふれる。


(義姉さんは、あの人を愛しているから。もう僕を愛さないから)


 馬村は安心から気を失った。


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