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馬村鹿之助の大学受験  作者: 佐藤 ココ
4度目の正直
40/55

強くなるために、

少女は言った「どうしてこんなに忘れっぽいんだろ」


男は言った「忘れていいさ。忘れるから生きていけるんだ」


***

『その日、新藤は目覚ましが鳴る前に目が覚めた。眠りが浅かったわけではない。いつになく目はさえていた。コルクボードに画鋲で張った写真にも、小学校一年生の時に買ってもらった勉強机の上においてある写真立ても、ほこりひとつついていない。昨日の夜、ストレッチ後に埃を払ってみていたからだ。


 小学校時代、バレーチームのみんなと、卒業の時に撮った写真。中学、中総体の後に泣きながらみんなで撮った写真。中学のときに親切にも共同練習に付き合ってくれた芦原高校排球部の――先輩たちと撮った写真。去年の大会後、追い出し会の後で当時の仲間ととった写真。


 今でも覚えている。遠くで聞こえる歓声、ボールの跳ね返る音、高い天井、先輩たちの後ろ姿。試合終了を告げる、審判の笛の音。


『ありがとうございましたっ』


 深く頭を下げ、そのまま掃ける。負けたものは、すぐに去らなければならない。泣き声を抑える先輩たちの嗚咽。新藤の涙は感情に追いつかなかった。


 ユニフォームを着て、芦原高校排球部を背負うジャージに袖を通す。頬を一度叩いて、一階のリビングへ階段を下りた。リビングではおにぎりとバナナ、ウィダー、ポカリを保冷バックに母が入れているところだった。父はカメラの準備をしている。


 母も父も、可能な限り新藤の試合にはすべて来てくれた。母も父も、昔はバレーをやっていたという。新藤の試合を撮り、家に帰って反省をするときも一緒に見てくれる。夜遅くまで近くの公園で自主練をするときも、心配して送迎してくれた。


「先車乗っとくぞ。梨乃さん、これ先載せといてよか?」

「あぁ、ありがとう」


 試合前におなかを重くするわけにはいかないから、今のうちに食べなさい、と母が差し出したおにぎりを頬張り、涙が出そうだった。

「……ありがとう」

「はいどうも。荷物ここ置いとくけんね」


 水筒と母が準備してくれたもろもろが入ったエメナルをもって、足早に父の待つ車に向かう。その後ろで、あとから来ることになっている母が、


「おじいちゃんとおばあちゃんから、『頑張らんばぞ。見に来っけんな』ってよ」


 と、靴ひもを結びなおす新藤の背中に投げかけた。


 高校生になって、あまり顔を見せに行けてない祖父母とは、代わりに電話をよくする。それでもあまり電話に慣れていないのか、『野菜ば送っとるけん、いっぱいたべんねね』と用事を言って、『学校はどうね』『楽しかね』と新藤の近況を聞くのみで、いつも短い。ようやく会えるのだと思った。ふがいない姿を見せたくないと思った。


 膝を悪くしている祖父と、腰の曲がった祖母がわざわざ来てくれるのだ。会場から、祖父母の家は遠い。何度もバスと電車を乗り換えなければならない。会場にはエレベーターの使えない階段もあったはず。


 自分でも何が何だかよくわからない感情がこみあげる。気合で下に押し込んだ。


「うん――いってきます」


 車に乗ると、新藤が好きなバンドの曲がミックスでかかっている。父はいつも遠征前や大事な試験前にプレイリストを作ってくれていた。今回もそうだ。フォルダー名は『梨花、高総体頑張れ!』だった。父はそれについて触れない。新藤も気づいたけれど、口には出さなかった。出せなかった。


 期待が怖くて、うれしかった。負けたって何も言われないのはわかっている。『よう頑張った』って抱きしめてくれるとわかっていた。去年だってそうだった。


「頑張るね」


 新藤は言った。期待に応えたいと思った。車が会場についた。


***


 準々決勝。


「「「ナイッサー!!!」」」


 

 1セット目を取られ、後がない新藤たちは焦っていた。何の因果か、相手は去年惜敗した島海高校。練習試合で顔を合わせることはよくあったから、コート上の顔ぶれには見覚えがあった。だから知ってる。相手も、自分たちと同じように一年間、絆を深めてきたこと。


 負けられないということ。


 焦りを吹き飛ばそうと声を張る。今は後ろ姿しか見えないけれど、3年生の先輩がどんな顔をしているのかが新藤にはわかる。


 だって見てきた。

 一番近くで、プレーしてきた。


『できるだけ長く、このチームで試合をしよう』


 試合前の円陣で部長が言った。こぶしを合わせて叫んだ。


『芦高ファイッ』

『『オーー!!』』


 これが最後かもしれないから、一回戦も、二回戦も力の限り叫んだ。何が起こるかなんて、はじまる前からわかるわけがない。


 ―――ズタァンッ!


 先輩が飛び込む。

 しかし、後1cm先のところで拾えなかった。

 後1cm。だけど、その1cmを埋められない。


 そんな戦いが続いていた。


 ラリーが始まる。一瞬の静寂。隣のコートへの応援の声も、すべてが遠くに聞こえる。サーバーがその手からボールを放った。


――――バチンッ


 一セット目で誰が一番サーブカットが苦手かなんてもうばれている。胸の高さジャスト。3年生の先輩が顔をゆがませた。


 自分が苦手なことなんて一番自分がわかっている。言い訳はできない。卑怯でもない。勝負なのだから当然だ。


 ボールが乱れる。ここで返せなかったらずっと彼女が狙われ続けることなど明白。

 

 後方中央に寄ったボールの下に新藤がが回り込む。速攻はできない。両サイドにはアタッカーの先輩と後輩が走っている。


 レフト。


 だが、当然そんなの読まれていた。ブロックは2枚。


 無情にも、ボールは新藤たちのコートに転がった。





 気づけば、4点差が開いていた。


 24対20。新藤はスコアボードを睨んで落ち着こうと息を吐く。相手はセットポイントを握っていた。


 サーブは新藤。大一番だった。


(大丈夫)


 チームメイトが作ってくれたお守りを、練習に付き合ってくれた父母を、練習後にたべなさいと、祖父母が送ってくれたびわシロップを、去年の先輩たちの最後のプレーを思い出す。

 

 去年と同じ構図だった。白線にかかったボールが、自分のコートに落ちるさまがフラッシュバックする。笛が鳴って、試合が終わって、そのあとのことは曖昧で。


 新藤はボールをついて、相手コートを見渡した。


(できる)


 空気を割いてボールが宙を舞う。相手の4番がアンダーで上げた。相手チームが乱れ、コースがサイドに絞れる。


 セッターが右に動いた瞬間、ブロッカーが動いた。


――ダンッッッッッ!


 ブロック。相手チームは切り返しを落とした。


(これで)

 新藤は肩で息をして、サーブの位置に移動する。

(これで、24対21)


 依然として苦しい。一秒でも長くこの場所にいるためには、もう落とせない。


先輩たちの笑顔が好き。

くだらないことで笑ってくれる同級生が好き。

慕ってくれる後輩たちが好き。


コートの熱気が、バレーが、大好き。


(楽しいな)


 新藤は一瞬口角を上げ、相手コートを睨んだ。


 セッターがサーブカットをするように狙って打つ。後方右。速攻はない。絞れたコースに対応してブロックが2枚付いた。後輩があげる。


 理想の形。新藤はボールの下に回った。


 視界の端に、3人が走りこんでいるのが見える。祈るように新藤は3年の先輩にボールを上げた。最高到達点よりもさらに高く、先輩が飛ぶ。


(先輩)


 ストレート。目の覚めるような速さでボールは飛んだ。


ピー―――――――


 笛が鳴る。そのストレートは、ボール一つ分サイドラインを割った。


「「「ありがとうございました!!!」」」

 試合が終わった。芦原高校は負けたのだ。










「応援ありがとう」


 新藤は笑って、祖父母の手を握った。


「来てくれてうれしかった。また会いに行くね」


 うまく笑えていたと自分では思う。祖父母は『ようがんばった』『かっこよかったよー』『あそびにこんね』と新藤の頭を撫でて、『小遣い銭ばやろうかい』と言った。


 いらないってば、と笑って、新藤は祖父母を見送る。疲労がたたったようで、タクシーで帰ることにしたらしい。


「帰ろっか」


 新藤の母がそういって荷物を持った。新藤もエメナルをもって後ろに続く。クーラーボックスは父がすでに車に乗せてくれたらしい。


 車に乗り込むと、母がおにぎりを差し出した。なぜか食べる気にならなくて断る。母はそれから、なんてことない話をした。間を埋めたかったのだろうと新藤は思う。


「あのさ」


 一瞬できた隙間に、新藤が呟く。


「負けちゃった、ごめんね」


 新藤がそれから先に話さないのを受けて、父は音楽のボリュームを上げた。新藤の一番好きなバンドの歌だった。人柄がにじみ出た歌詞が好きだった。一人にさせてくれないところが、すごく。誰もが一人で、だから一人ではないと、自分を悲劇のヒロインにしない歌をロックに歌う。


 新藤は視線を感じてふと顔を上げた。父はバックミラー越しにこちらを見ていたらしい。不自然に顔をそらし、何も言ってこなかった。視界の端にフォルダー名が映り込む。


フォルダー名は、『梨花、おつかれ』。朝は『梨花、高総体頑張れ!』だったことを考えると、別に準備していたのだろう。


 その時ようやく、涙が感情に追いついた。後部座席で声を押し殺し、涙を流す。その時、父が音楽のボリュームを上げた理由に気づいて、また泣けた。


「今日夜ご飯、ハンバーグにしようと思ってるの」

「ハンバーグか、いいな」


 父も母も、気づいていないふりをしてくれた。

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