バカ野郎ども、
手始めに馬村は手にした本をぶん投げた。まずはけん制。相手は長剣、かたや鈍器では分が悪かった。
普段の馬村は、傷つくと同時に再生しながら攻撃する。今回はそうはいかない。一撃でも受けたらアウトだ。余計に慎重にならざるを得なかった。
両者のにらみ合いが続く。先に膠着を破ったのは黒だった。その長い足で一気に間合いを詰める。間合いを確保しようと馬村が下がった。
「師匠」
耐えかねて、新藤が師匠の袖をつかむ。頭がパンクしそうだった。安堵と恐怖がせわしなく行き来する現状に嫌気がさした。また守られていた。自分のせいで、大切で、大事で、大好きな人が危険にさらされている。
「え?」
「行かせてください。私が相手なら、黒の剣士は殺すことはないはずです」
新藤は見ていられなかった。馬村がやられたらと思うと息も苦しい。ふだんとは違う。馬村は傷も負っている。両親も倒れた。きっと平常心ではない。
「だめだ、もしさらわれでもしたら!」
「大丈夫。あの時も無理強いはされませんでした。黒は白が黒のことを好きになるまで、そんなことはしないはずです」
「だとしてももし白が――」
「わかるんです」
新藤は師匠の話を遮った。ふだんなら、人の話を遮るなんて失礼なことは決してしない。そのくらい焦っていた。
「何度生まれ変わっても、白の乙女は黒の剣士を好きにならない。だから、大丈夫なんです」
新藤には確信があった。黒の剣士がやってきて、一番最初に思ったのは、「申し訳ない」だった。何が申し訳ないのかは分からない。新藤自身はまったくもって黒の剣士に申し訳ないとは思わない。だから、この感情が、白の乙女のものであると気づいたのだ。
「そうか」
目の前では、馬村が剣をよけながら反撃の機会をうかがってる。馬村はすきを見て剣を奪い取るつもりだった。少し伸びた爪が手のひらに食い込む。目をそらしたかった。そらせなかった。
「だけどダメだ」
けれど、師匠は無情にも否と告げる。わかってほしいと思う。許可をもらわずに出ていくことはできなかった。新藤は、この中で一番弱い人間だ。その自分が、どうして自分勝手に行動できるだろう。
「弟子を守るのは、師匠の仕事だ」
音を立てて両手を胸に当てる。爆風の中で、師匠は槍を取り出した。新藤のものとうり二つの槍だった。
「鹿之助、下がれ!」
勢いよく師匠は槍を黒の剣士に投げる。間一髪槍をよけた剣士は体勢を崩し、そのすきを見て馬村に万年筆を思い切り手のひらに刺され、剣を奪い返されていた。
だがそこで終わる黒ではない。
自分の手で万年筆を引き抜き、今まで使っていた剣を胸から出した。師匠の顔がゆがむ。剣介が使っていた武器だった。
「不意打ちでしか結果出せてないやつが、調子乗ってんじゃねーぞ」
傷が治る剣ならば何も怖くないと、馬村と師匠は一瞬で間合いを詰める。
「え?」
その時、新藤と黒だけが気づいた。傷だらけで攻撃を繰り出す師匠の髪が白く、そしてその頭に猫の耳が這えていることに。
動揺で黒の剣士の攻撃が止まる。
「……た、ま……?」
その声に、師匠は目を見開いた。
聞き覚えがあるなんてものじゃない。
これは、
この声は。
「剣、すけ……」
師匠も、馬村も、激しく動揺した。
ぐわん、と頭が揺れて、その重みを増す。
精神世界において、心の強さは全てである。綻ぶところもないほど完結した馬村鹿乃介の心は、この時、一瞬瓦解した。
その一瞬で、十分だった。
劣勢に立たされていた黒の剣士は、最後の力を振り絞り、金剣を振り上げた。
「さようなら、私の敵」
限界値を超える負荷に、二人の精神体は二つに分かれる。
「……え」
黒の剣士はそのまま新藤の元へと距離を詰める。
「白の乙女よ、待たせましたね」
新藤は、込み上げる涙を気合で押さえつけた。
「……さない」
自分にしか聞こえない、小さな声。
「なにか?」
取るに足りぬ存在だと新藤を侮る剣士はゆっくりとした足取りで上機嫌に尋ねる。用があるのは新藤の中身、白の乙女だけなのだから。
「許さない」
新藤は、手にした槍で思いっきり自分の胸を突き刺した。
「なっまた――」
刹那、吹き出したのは光。
どこまでも、白く、美しい光。
「協力しなさい、白の乙女」
新藤は瀕死の状況で立ち上がりながら言う。
「あなたも私の一部でしょ」
滝のように流れる汗を、拭うこともしない。
「協力しろって言ってるの」
飛び出した光が新藤を包む。
「わかったらさっさと出てきなさい!」
新藤の目が、赤く染まった。ショートだった黒髪が腰まで伸び、透き通るほどに肌は白くなった。
斬られた馬村と師匠は、その様子を復活しながらまどろみの中でとらえていた。
「どういうことです、あなたも、あの女も、白の乙女に、なにが……」
分が悪いと、黒の剣士は近くにあった鏡に飛び込んで消えた。突然のことに師匠と馬村は叫び声をあげた。
「「ひきょうものーーーー!!!!!」」
「剣介の顔でクソ野郎ムーブかましやがって!いい加減にしろよ!!かまってちゃんですか!?一人がさびしいんですか!?」
「師匠がそっち側の人間になったら悪口とめるやついなくなりますやめて」
軽口をたたいているのは、現実から目をそらしたかったからだ。それが痛いほどわかったから、新藤は馬村の両親のもとへかけた。
そうして、馬村父の横に座り、その傷口に手を当てた。そうしなければならないと思った。
光があふれた。やわらかく、あたたかな、春の木漏れ日のような、あるいは窓から吹き込む春風のような心地いい力。
馬村父の体が淡く光る。表面の傷がふさがった。力が半分に減ったくらいで馬村母にも同じように力を注ぐ。新藤の見た目が元に戻った。
両者を完治させることはできなかった。傷をふさいだだけだと、新藤には手に取るように分かった。
「白の乙女の、力だと思います」
新藤は言った。力を行使したとき、白の乙女になっていた時に感じていたぬくもりを感じた。
「すみません、今はこれが限界です。燃料が空っぽになったみたいに、白の乙女の力を感じないんです」
せっかく力になれると思ったのに、とうなだれる。悔しかった。
「力が復活したら、何度でも力を注ぎにここに来ます」
「ありがとう、十分だ」
師匠が泣いたのを見たのは、馬村ですら、長い付き合いで初めてのことだった。
「剣介を親殺しにしないでくれて、ありがとう、梨花ちゃん」
いつも師匠がしてくれるように新藤は師匠の頭を撫でて抱きしめた。つよくつよく、抱きしめていた。
それからは、怒涛の勢いで物事が進んだ。
馬村の両親は馬村家の遠縁のものが経営する病院で治療を受けることになった。新藤の手によって傷は癒えたものの、いまだ目を覚まさない。剣介の隣に、家族そろって眠ったままだ。馬村は毎日そこに通った。お祭りでの剣舞は、代用の剣が使われた。狙われる可能性があるからだ。誰もそのことに気づかなかった。
ある程度のお金は馬村を預かるときに一括で師匠がもらっていたし、それまでも一緒に住んでいたわけではなかったから、馬村の生活はそれまでと変わらなかった。それが余計に悲しかった。
馬村も何も変わらない。勉強をして、戦って、勉強をして、勉強をしていた。順位だけが上がり、実力テストでは200番代を切るようになった。変わったのはそれだけだ。
そうして、何事もないまま、馬村たちは2年生になった。